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「桐島,部活やめるってよ」が退屈な人たち

初めて『桐島,部活やめるってよ』の映画を見たとき,衝撃的だった。


こんなにも的確に高校生の負の側面をとらえた映画が存在し,成立していることが。それまでに見てきた学園モノのドラマや映画は,リアルではないと感じる場面が多かった。
おそらく,ドラマや映画を作る人,脚本家や監督はおじさんが多いため,もう高校生活がどんなものか,忘れてしまっているのである。そして,「おじさんがイメージする高校生」の描写になってしまう。もしくは「なんとなく学園生活っぽい描写」だけであればおじさんにも作れるが,それをリアルに近づけようと解像度を上げるほどに,ブレが大きくなってゆく。
小説や漫画であれば書く人は若い人もいるので,また話が変わってくるのだろうけれど。しかしこの映画は,そんなおじさん臭さは感じられなかった。むしろ高校生が肌で感じ,だが言葉にはできないような感覚を,映像化していた。見事だった。
そんな思いを抱きつつ,

一方で私はこの映画から伝わるメッセージを受け止めきれずにいた。

映画を見終えて感じる喪失感,達成感のようなものがとても大きかった。それは単に,作品を見終えたからだけではないだろうという感覚はあった。この映画の,視聴者に向けての主張がそうさせているのだという確信があった。しかし受け止めきれないその思いを言語化できずに,ぼうぜんとしてしまっていた。呆然としたまま,映画のレビューを見てしまった。本来ならほかの人の感想を見る前に,自分の感想を持つべきだったと思うが,それよりもこの映画のメッセージをみんなはどう処理したのかが知りたかった。私は自分ですぐに答えを出せなかったから,ほかの人の回答を覗いたのだ。

そこで私はもう一度ショックを受けた。

「つまらない」「この映画は何を伝えたいのかわからない」というレビューが多かったからだ。私はこの映画のメッセージを受け止めきれず、処理できずにいたと書いたが、それでも確かにメッセージは届いていた。しかし「この映画は何を伝えたいのかわからない」と書いた人達は、メッセージそのものが届かなかったと言っているのだ。はじめ、私にはその事実が信じられなかった。
私は、「この映画は何を伝えたいのかわからない」という人間には二種類いると考えている。

一種類目は、

映画というものを、こちらが何もしなくても楽しませてくれるものだと考えている人。能動的に何らかのメッセージを汲み取ろうとしない人だ。そんな人たちにとって、大したハプニングも起こらず、カッコイイヒーローも登場せず、桐島が消えるという事件も全く解決しないまま終わるこの映画はさぞ退屈で、ラストにタイトルが浮かび上がってくるシーンを見て拍子抜けしたことだろう。そうであればレビューに「つまらない」等と各気持ちも理解できる。ただしこれは例外のようなものだ。

二種類目は、

映画の中で描かれた憂鬱や屈託を感じない人。人は、人が痛みを受ける映像を見て、痛そうだなと感じることができる。あるいは、「痛みを受ける映像」としての作品なのだと解釈することができる。そう解釈すれば、仮にその映像作品の伝えたかったことが理解できずとも、映像作品の特性は理解できる。つまりその「痛み」を表現したい作品なのだと。痛みの表現に対して、面白いもつまらないもないものだと思う。『はだしのゲン』を見て、だから何?と言う人はいないだろう。「作品として好みではない」という意見ならわかる。しかし,「意味が分からない」とはならない。怪我をして,食べるものがなくて腹を空かせて,家族とも別れてしまう人々を理解したうえで,「だから何?」という人は異常だろう。すなわち,高校生の憂鬱や屈託がこれでもかと描かれた「桐島,部活やめるってよ」を見て,「この映画は何を伝えたいのかわからない」という人達は,作中の屈託を感じていないのだ。

とはいえ,

価値観は人それぞれだ。作中の屈託を感じない,そんな人もいるだろう。それは頭では理解していた。ただ,信じたくなかったのだと思う。私の心を大きく揺らしたその屈託を全く感じずに,「だから何?」といえてしまう人がいることを。それを示すレビューが一つや二つではなかったこともまた,私を動揺させた。「世界のどこかには,自分と全く違う価値観を持つ人間も,当然いるだろうな」と漫然と考えていた私の目の前に,唐突に表れたのだ。そして明らかなその差を,自分自身で確かめてしまった。自分とは大きな大きな価値観の差がある人間が,何人も何人も存在するということを,信じたくなかった。きっと,私が一パック百円の卵を買うために隣町のスーパーまで行くことを,給料日前の数日間をもやし炒めで凌ぐことを,この石油王たちは知らないだろう。それを真の前で見せられても,「彼らは何をしているの?」「なぜもやしばかり食べているの?」と,純粋に質問してしまうことができる。

「ラストシーンの問答,

あれで主人公たちが勝ったといいたいのか?それは納得できない」というレビューもあった。そうだ。勝っているわけではない。もし最後の問答で,本当に勝ちなのであれば,映画はハッピーエンドになるはずだ。ヒロインと結ばれ,映画研究会もないがしろにされることはない。そうではない。総合的には圧倒的に負けているのだ。最後の問答の,ある一点で勝ったって,それで逆転勝ちなんてことは全くない。
それでも何もない彼らの,唯一残ったものが映画だったのだ。それは全く実用的ではない。女優との結婚も,金もうけもできない。それでも唯一のものだ。


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