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テラジア アーティストインタビューVol.1 演出家 坂田ゆかりが『テラ』に辿り着くまで/「テラジア」はどこへ行くのか

2020年、コロナウイルスの世界的な流行とともにはじまった新時代の国際協働プロジェクト「テラジア|隔離の時代を旅する演劇」。昨年11月には「テラジア オンラインウィーク2021」と題して、日本、タイ、ベトナム、ミャンマー、インドネシアのアーティストたちによる作品やトークイベントを一挙公開し、成功をおさめた。

「テラジア」の出発点となったのは、2018年に東京・西方寺で上演された演劇作品『テラ』だ。三好十郎の詩劇『水仙と木魚』をベースに、文学作品、会場となった西方寺をとりまく地域の記憶、住職へのインタビュー、仏教法話や経典を織り交ぜて創作され、現代日本における「寺」や「仏教」、「人々の死生観」を見つめた。

その『テラ』で演出を務め、現在は「テラジア」のメンバーとしてプロジェクトを牽引するのが、演出家 坂田ゆかりだ。

坂田は、東京藝術大学音楽環境創造科で身体表現に出会って演出をはじめた。卒業後は5年間にわたって全国の劇場で舞台技術スタッフとして働いたのち、2014年に本格的に演出を再開。国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー2014」のメインプログラム『羅生門|藪の中』の演出家として、パレスチナのアルカサバ・シアターと共同創作を行った。

2018年、再び「フェスティバル/トーキョー」から新作の委託を受けた坂田は、大学時代の学友でもあった俳優の稲継美保、ドラマー・パーカッショニストの田中教順、加えて通訳者・翻訳者の渡辺真帆をドラマトゥルクとして誘い、『テラ』を創作した。そして『テラ』はアジア各地のアーティストたちの共感を呼び、2020年にコロナ禍のさなかで「国境をまたぐ移動をせずに国際共同創作は可能か?」という4年間の実験「テラジア」に発展した。

「演劇を好きな人が『テラ』を観ていないなんてもったいない。お寺や仏教関係の方にも興味をもってもらえる要素があると思う。そして、演劇好きでもお寺好きでもない人にも観てもらえたら一番嬉しい」

坂田がそう語る演劇作品『テラ』は一体どんな思いでつくられ、「テラジア」とは一体何なのか。ここでは、坂田ゆかりが『テラ』に辿り着くまでの道のりと、そこから生まれた「テラジア」が行く先を見渡してみる。

左より坂田ゆかり、稲継美保、田中教順、渡辺真帆(西巣鴨 西方寺にて)


演劇との出会い

『テラ』『テラ 京都編』のドラマトゥルクを務めた渡辺真帆によると、坂田は「よく働く人」だ。「動き続けることの正義を信じているというか… 作品のために、期限ぎりぎりに見つけてきた助成に申請すると言い出して、周囲が驚いているうちに信じられないスピードで書類を仕上げてきたりします」といわれる坂田。「テラジア オンラインウィーク2021」でも、事務作業からプログラムごとのイメージビジュアルの展開、映像編集まで、会期前から終了まで息つく間もなく働いた。

第三者の目にはまさに演劇に人生をかけているように映る坂田だが、大学で演出を学びはじめたのは意外にも積極的な理由ではなかった。そもそも坂田が通っていたのは、東京藝術大学音楽学部だ。実際に、坂田は幼少の頃に作曲をはじめ、ピアノも演奏し、音楽に親しみ育っている。

「大学に入ってすぐに仲良くなった人たちが本当に音楽が好きな人たちだったんです。『テラ』の音楽家、田中教順もそのひとりです。彼以外にも、一度は他大学に行ったり社会人になったりしたうえでまた大学に戻って音楽を学ぶ人々や、昼も夜も延々とノイズミュージックを聴き続ける人の姿をそばで見ていたら、『あぁ、わたしは音楽好きじゃないんだなぁ』とすぐにわかってしまったんですよね。それで、逃げるように身体表現のゼミに入りました。わたしが通っていた音楽環境創造科は分野を横断して学ぶことができて、アートマネジメントや現代美術など音楽以外を研究するゼミがあったんです。当時は演劇に人生をかけようだとかは思っていなくて、そのなかから『とにかく音楽以外、音楽以外…』と思って選びました」

消去法で足を踏み入れた身体表現の分野だったが、そのなかでも坂田は歩みを止めない坂田らしい理由で演出の道に進んだ。「演劇は勉強したことがなかったから、やってみようと思ったんですよね。やったことがないことは、それはやりたいでしょう」。そして、そこで『テラ』の主人公 京極光子を演じる俳優の稲継美保に出会う。

坂田と稲継は、ともに在学中だった2008年に初めて演出家と俳優として参加した『BOMBSONG』以来、互いの卒業後もいくつもの共同創作を重ねている。『BOMBSONG』、坂田の卒業制作でもあった『プロゼルピーナ』、そして『テラ』では、いずれも稲継による一人語り、モノローグが展開される。『テラ』の創作はその当初から、「稲継の代表作のひとつになるようなモノローグ」を手がかりにしていたという。

「モノローグには、対話劇のように人と人との関係性からストーリーを描き出す演出はありません。もちろん、モノローグだって元々は台本に書かれた言葉ですが、俳優が自らの脳でそれを咀嚼して語り出す心象風景を、稽古場で『よりよく』していかなければいけない。これは『他人の心のうちは、自分にはわかり得ない』という価値観ではできない作業です。俳優がモノローグを話しながら感じ考えている、その心の状態を演出家が少しでも理解して、鏡になって映し出し、相手が内側から変わっていくように働きかけていかなければいけないんだと思います。そういった演出は、よほどの信頼関係がなければできません」

『BOMBSONG』(2008年11月)
『プロゼルピーナ』(2009年3月)


『テラ』誕生

坂田が「フェスティバル/トーキョー2018」に参加することになったとき、決まっていたのは「舞台は『まちなか』」ということだけだった。そのとき坂田の頭に浮かんだのは「稲継美保と何か大事な作品をつくれたら良いなということと、まちなかだったら『寺』かなということ」だったという。

「その頃わたしは大学院で、美術分野における海外とのコラボレーションを学んでいました。そこでは、外国人から見える日本らしさを作品に取り入れられるかどうかが、その世界に生き残れるかどうかに関わるようなところがあったと思います。でもわたしは、『日本人アーティストとして海外の鑑賞者に求められるものを提供する』ことは自分にはできないな、と感じていました。そんな状況のなかで、『日本に戻るなら、日本人と日本語で日本でしかできない作品をつくりたい』と思ったんです」

無限に「場所」のある東京のまちなかで、すぐに「寺」を思い浮かべた背景には、国外にも活動の場を広げた坂田が、生まれ育った日本に抱いていた疑問があった。

「なんで宗教って、日本の社会のなかでこんなにタブーになるんだろう?と思っていました。信仰や宗教について大っぴらに話したり、誰かと共有したり、心や魂といった『見えないもの』と現実に起きているさまざまな問題などの『見えるもの』をつないで生きたりすることが全然スタンダードじゃない。むしろ無神論者であると宣言することが、日本社会で安心して生きることになる空気すらあります。日本での宗教って一体どういうものなんだろう、と思いました」

「見えるもの」と「見えないもの」の世界を分ける扉のひとつに「死」があるだろう。「死」は、坂田にとって重要なテーマのひとつだ。

「藝大に入らなかったら、終末期のケアをする看護師になりたいと考えていました。死は悲しいことだけど、見過ごせないこと。誰もが最後に経験すること。きっかけを覚えていないくらい、自然とそう考えていました」

「たとえば親戚のお葬式やお盆にお坊さんに来てもらうという経験をしていても、仏教のこと、他の宗派のことをわたしは何も知りませんでした。でも、『寺』は弔うための場所であり、死者を見送る僧侶という職能があって、お墓もある。だから自然と寺に惹かれたのかもしれません」

稲継美保と大きな作品をつくること、寺を舞台にすること。その2つを手がかりに戯曲を探すうちに、三好十郎『水仙と木魚 ―一少女の歌える―』に出会った。

「普段は図書館に通ってたくさん読み漁るけど、当時わたしはアテネに留学していて触れられる文献が限られていました。その少ない文献をひたすら読むなかで、青空文庫にもあった『水仙と木魚』に出会いました。寺の娘である京極光子が書いた『長い長い詩』です」

2014年にパレスチナのアルカサバ・シアターと共同制作し、坂田が演出を務めた『羅生門|藪の中』で、パレスチナの俳優たちは「芝居のなかで詩をよむ」ことをごく自然に受け入れていたという。現地では、小学生の頃から詩をよむということを学ぶそうだ。その後、2015年から坂田と稲継は、戦後日本で活動した田村隆一の詩集『四千の日と夜』を中心に据えたプロジェクトを行った。

「第二次世界大戦でたくさんの人が命を落として、日本というひとつの社会が壊れて、これからどうやって新しい社会をつくっていこうかという時期、人々は猛烈に言葉を必要とし、書いていきました。そうして生まれた『詩』というものを上演できないだろうか、という意識がありました。稲継は、詩をかたる…朗読するのではなくて演じるに近いところまで持っていくことができる。わたしは彼女のそういう部分が好きなんだと思います」

『羅生門|藪の中』(2014年11月)


日本の寺からアジアのTERAへ

そうして編み上げられた『テラ』は2018年の初演のあと、ほどなくして日本の外へ踏み出す。2019年にはアフリカの「カルタゴ演劇祭」に招待されてチュニジアでのツアー公演が実現し、さらにアジアでの展開も計画していたが、そのさなかに新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が訪れた。日本の状況が深刻化していた2020年春、ドラマトゥルクの渡辺真帆とかねてから交流のあったタイの演出家 ナルモン・タマプルックサー(愛称ゴップ)との対話のなかで「テラジア|隔離の時代を旅する演劇」は生まれた。

当初は、海外渡航が難しい状況のなか、どうすればタイでも『テラ』を上演することができるかを考えていた。そのことを相談したゴップとの対話のなかで、初めて違うかたちが見えてきたのだと渡辺はいう。「ゴップに東京公演の記録映像を観てもらったら、『これをタイで、自分たちの手でつくって、やってみたいんだけど』という提案をしてくれて、これは、と思いました。ゴップとの会話のなかで、みるみるうちに『TERA+ASIA=TERASIA/テラジア』という名前が生まれ、『隔離の時代を旅する演劇』という副題がついて、人や物の代わりに作品に旅をさせて、土地ごとでの変異を見てみようというコンセプトが出来上がりました」。そうして、ゴップと彼女が信頼するタイのアーティストたちによって解体・再構築され、2020年秋、『テラ』は、登場人物や音楽、原案とする文学作品さえも異なる『TERA เถระ』に生まれ変わった。同時に、ゴップの声掛けによってプロジェクトの活動はミャンマーとインドネシアのアーティストにも広がり、始動から1ヶ月たらずのうちに4ヶ国の参加が決まっていたという。

「テラジア」は、「隔離の時代を旅する演劇」と題されている。しかし渡辺のいうように、作品はその旅先の状況により、またアーティストたちの手により変異を起こし、必ずしも「演劇」の枠に収まるものではない展開もはじめている。ベトナムのアーティストたちは、ウイルス拡大の影響によるロックダウン長期化に伴い、サイトスペシフィックな上演から映像作品へと切り替えてリサーチを行った。ミャンマーでは軍事クーデター後の厳しい状況下で、安全のためアーティストの身元を伏せたまま参加者と協働するアートプロジェクトが行われた。

「たとえば美術大学でも『隣の研究室には足を踏み入れません』という空気があると思います。不思議ですが、積極的に劇場に行く人たちが美術館にも足繁く通うとは限らず、逆もまた然りで、美術展を回るのが好きな人たちがついでに劇場に行くわけでもない、という現象があるように思います。わたし自身は分野を超えることには抵抗はありません。演劇であった『テラ』が映像になっても美術になってもいいと思います」と坂田はいう。

そうして交流と個々の特性によって変異を生み続ける「テラジア」は、4年後を旅の終わりと決めて歩み出した。プロジェクトが始動した頃、ウイルス拡大による事態―「隔離の時代」は4年で終息するであろうと予測されていたのだ。旅の終着点は、2023年にプロジェクトのフィナーレとして開催予定の「テラジアサミット2023 in インドネシア」だ。インドネシアのアーティストによる作品公開と同時に、アジア各地のテラジアメンバーが一堂に会することを目指している。

「演出家 ディンドン W.S.が、インドネシアでの『TERA』の作品コンセプトを提案してくれました。『TERASIA Back to Nature』です。彼は、コロナ禍を機に『インドネシアの人々がもっと自分たちの過去を振り返り、自然を大事にしていけるとよい』と。ここでテラジアは自然に還るんです。そういえば『テラ』の劇中で京極光子がお客様に問いかけ、木魚を叩いて答えてもらう木魚アンケートによると、みんな最後は海に散骨されたがってるんです。理想の終末ですよね」

アジアの各地でつくられる『TERA』には、原点となった東京での『テラ』との関係性をしめすことを含め、その創作に条件が一切設けられていない。では、『テラ/TERA』とは一体何なのだろうか。

「2023年のサミットでは、まさにそのことを話し合おうと思っています。『テラ』を『テラ』たらしめているものは何かということが判れば、『テラ』をオープンソースにできる。それがわたしたちの夢です。『いつどこで誰がつくりかえても、テラである限り、それは人類の共有財産だ』という未来をつくれればいいんですけど、今はまだどうやって『テラ』を定義づけることができるのかわからない。寺…仏教じゃなくてもいいのかもしれません。だからこそ、演劇好きじゃなくても、仏教好きじゃなくても、楽しめる作品だと思うんです。それに、『テラジア』の例がひとつの協働のかたちとして広がればいいし、コロナ禍にはこういう協働と創造の可能性があったんだということが伝わればいいなとも思います。そのために、まずは2023年まで走り切ります」

コロナ禍のアーティストたちが、つくることをやめるまいと手探りで進む旅。それが一時代の特性でも、新たな普遍の兆しでも、動き続けることが生きて死んでゆくわたしたちをつなぎ、変化を受け入れる勇気をくれる冒険譚になるかもしれない。


プロフィール

坂田ゆかり
演出家。東京藝術大学社会連携センター特任助教。自身の演出作品『テラ』が、2020年にアジアのコレクティブ「テラジア|隔離の時代を旅する演劇」に発展。以来、プロジェクトの企画・運営における中心的な役割を担う。 

筆者プロフィール

遠藤未来子
文章家、企画・広報コーディネーター。東京藝術大学音楽環境創造科卒業。


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