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大学に行く価値?【自らの不完全さから来る苦痛】

皆さんは、大学に進学する価値とは何だと思いますか?

また、本当に大学に進学する意味はあるのでしょうか。


皆さんこんにちは。
最近、記事の更新が途絶え気味で申し訳ありません。

以前のコメントでいくつかテーマをいただいたので、今後はそれらに言及しつつ、記事を書き進めていきたいと思います。

今回は、大学に行く価値、に関する記事です。

わたし自身が現役の大学生ということもあり、大学に行く価値、意味に関する記事を書いて欲しいというコメントがありました。

ですから今回、短めの記事にはなりますが、わたし自身の大学に関する価値観について書いていけたらと思います。

その前に、わたしの記事を初めて読んでいただいている方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれないので、簡単な自己紹介から始めさせていただきます。

teppei (テッペイ)
石川県金沢市出身。
現在は東京都内の大学に通う21歳。
小学生の頃から日本の教育システムに疑問を感じ、中学校に進学後、高校受験を前に単身留学を決意。中高時代をアメリカハワイ州のプライベートスクールで過ごし、卒業後、帰国。
その後、日本における大学受験のシステムにも違和感を感じ、教育、学問、人、人生の価値について考えはじめ、哲学という学問に出会う。
そして、人生に思い悩んでいた時に、ある一人の牧師先生と出会う。その出会いが自らの人生を一変させ、"考えることの重要性"を実感する。
現在は学生コミュニティの運営などを通して、多くの学生に"考えることの大切さ"を周知するための活動を行なっている。

また、以下の記事もよろしければ合わせてご覧頂けると嬉しいです。


それでは、内容に移っていきましょう。


そもそも皆さんは、大学に進学することに価値を感じますでしょうか?

結論から言ってしまえば、わたしはとても価値のあることだと思っています。


よく最近では、もはや大学に行く意味は無い、なんて仰られる方も多く目につきます。
学費に見合わないだとか、大学で学んだことは社会に出て使わないとか...

そのようにして、大学は無価値だと声を上げている方も多くいらっしゃいますよね。

しかし、本当にそうでしょうか。


何度か、以前の記事でも書きましたが、人は創造力を持っています。
ですから、幸せも不幸も、自らの内から生まれる感情であり、同じ環境下にいても自分が幸せか否かを決定するのは自分だ、ということです。

これと同じでは無いでしょうか。

そもそも大学に行くことは無価値だ、なんて主張がおかしいのです。
わたしの恩師である先生はいつもこんなことを言っています。

無いと言わずに、<無>から作ることだ。

結局、自分がそこに価値を見出せないから、無価値なんです。
そこに自分が価値を見出したならば、価値あるものに変わるでしょう。

ある意味で、そこに価値がないと言ってしまうならば、自らの創造力の弱さを世間に発信してしまっているようなものです。

結局は全て環境のせいじゃないんです。

まずは、そのように全て環境のせいにしてしまう自らの不完全さを克服すべきなんです。

皆さんの周りにもいませんか?
とにかく自分ができないのことを環境のせいにして、自らを合理化しようとする人。

政治においても、仕事においても、大学においても。
全て、政府がこうだから、職場環境が、上司が、学費が、授業が、、

まずは、責任の矢印を自分に向けなければいけません。

結局、自分の不完全さから来る苦痛の方がよっぽど大きいんです。

まずは自分を愛しなさい、みたいな名言もよくありますよね。

自分の行ないが好きになれないと、自分を嫌いになり、苦痛が出てきて、防衛本能として環境のせいにしたがるんです。

だから、自分自身が、自分を愛せるくらいに日々行なうことができていたならば、環境を言い訳にすることもなくなるんです。


そのものに価値を見出せないのならば、それを価値あるものに自分がしなければいけない。

そしたらそれで助かる人も、大勢いるのではないでしょうか。

よく人はモヤモヤしながらも、その環境に調和してしまう生き物だけど、それでは革命は起きません。

あなたは今、あまりに多くの、後世に生きる命を背負いながら生きているんです。

その無価値さ、虚しさに気づけているあなただからこそ、それを変えなければいけない。

人間のみが持ち得る創造力で、より多くの命たちを救う必要があるのではないでしょうか。

少し今回は短い記事になりましたが、何かしらの生き方のヒントを与えられていれば、嬉しいです。

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