ドロップ

子供21t。両大血管右室起始。鎖肛。 田舎住み。

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子供21t。両大血管右室起始。鎖肛。 田舎住み。

最近の記事

我が子が一年生き延びた話

息子が1歳になりました。 よく生きた。 普通はそんな事と思うかもしれませんが、僕としては心からそう思いました。 すごく大変な一年だった。 とりあえず我が子は、いくつかの障害を携えて産まれてきました。 障害の名前を調べると、国指定難病なんて言葉がでてきます。 そして、病気の全ての根本が、ダウン症候群と分かった時のどん底に落ちたようなと言う表現があたっているのか、うーん。なんて言えばよいか、難しいのですが。多分、この子を育てていく自信がなくなったという言い方が正しい感情かな

    • 親子入院の親人権って話。

      人生において親子入院というものを、一回くらいであれば、思うことはないと思う。 なぜなら、子供が手術、入院って最初は、不安で私ら親の人権なんていりません!!! どうか、この子を、治してくださいって思うのだから。 でもね。もう何回も何回も親子入院ってのを体験してると言いたくなる。 ここは、監獄か?と。 入院患者のご飯や入浴は、しっかりと確保してある。入院患者のは。 付き添いは、勝手にやってください。 シャワーは、予約制で30分のみ。 この30分で、ドライヤーもして、ご飯を

      • 後悔のない選択って、分からんって話

        両大血管右室起始の心臓根手術成功!!! 本当によかった。 何回も、心臓根手術をするかどうか迷ったし、 本当に手術して、延命してよかったかは、未だにわからない。 知的障害がひどく、歩けないかもしれないとか、排便が生涯人の手を借りないとできないかもとか、人間としての扱いをされないのではないかとか、僕ら親が、どこまで守れるか。 若しくは、守りたいと思えなくなる日が来るかもしれないとか。とか。とか。とか。とか。 この子の寿命をのばし 沢山の「とか」と、闘う日々を選んだ。 後悔が

        • 初めましてがハードな話

          晴れて、障害児育児が始まっている 我が家であります。 我が家は、第一子であるので、 育児初心者であります。 障害児育児なんかも、初めましてという話。 育児本読んでも、全然、当てはまらない事多数のダウン症我が子。 まず、体重とか3000gまで遠い遠い。 そして、合併症多数の我が子は、病院通いがまぁ多い多い。 通常育児ではない我が子。 心配になり検索魔になる妻。 メンタルぼろぼろな夫。 もう、大変だったな。 まだ、大変ですが。 そんな我が子は、そろそろ10ヶ月。 心

        我が子が一年生き延びた話

          あっち側とこっち側の話

          僕らは、予期せぬ。そりゃそうなんだが 唐突に障害児親になった。 予期なんか出来るわけなく 障害児親になって思うのが、当事者でないとなんもわからん。 友人や仕事関係の人に、障害児を育てていると話したりすると、励ましや、優しい言葉は、たくさん聞いたが、あまり心に響かないのだ。 なぜだろう。 って思い、気づいた。 僕はこっち側から、あっち側に移動したのだ。 こっち側から見ても、あっち側の本当の事はやっぱりわからないのだ。 あっち側に来て、初めてわかった事ばかりである。 あ

          あっち側とこっち側の話

          ストーマケアの話

          一立と暮らし始めて、なんやかんや大変な事はあるが、とりあえず。健常児と明らかに異なる点は、それは人工肛門のケア。 これは、子育て経験がある母や、並の保健師、看護師に聞こうが、ネットでやり方調べよーが、まぁわからない事が多い。 少しばかりネットに載っているやり方を見様見真似でやったり、人工肛門ケアの経験がある看護師さんに聞き取りながらやるが、 まぁ、漏れる。 なんなら、病院で人工肛門のスペシャリストと言われるお医者さんにストマつけてもらった。その日のうちに漏れてきた時は、

          ストーマケアの話

          常識って、、、話

          本日は、妻が他の用事あった為、定期検診を、1人で立ち向かう事に。 鞄にはオムツ、ミルク、替えの着替え、診察券、保険証、ガラガラ、抱っこ紐、そしてノートパソコン。 9時30分に大学病院到着。 まずは、小児外科へGO! いつもの先生に一立のストマチェックしてもらう。服を脱がすと、すでに服の中はウンコまみれ。。。まじかよ。 そして、診療中に一立は、3回も先生におしっこをかける。申し訳ねー。 続いて、小児外科の受付をし、 待ち時間に、ミルクあげながらノートパソコン開き。メール

          常識って、、、話

          ですがの、、、話

          我が家に一立を迎えいれ、数日。 ここまで、長かったなー。などと ホッとしている暇はなかった。 生活は、バタバタ。 ずっとパジャマで、食べれず、寝れず。 僕らは衣食住を失ったのだ! 子育てあるあるは、本当だったのだ。 忙しく動いていると、考える時間少なくて助かっております。 一立が退院し、数日経っております。 目まぐるしく日々過ごしております。 もちろん、退院しても一立の病気は治ったわけではないので色々な方の助けが必要であり、色々な方がサポートしてくださるとお声をかけて

          ですがの、、、話

          フツーとイジョーの話

          我が子が、お家にやってきて、 長い病院通いも、一旦おわったので話を整理しよう。 2022年11月16日 子供爆誕 爆誕 翌日 人工肛門取り付け手術 12月 ダウン症告知&心臓手術1回目の為都会病院へ転院 1月 5人に1人は死ぬ手術より我が子生還 2月 我が家にやっとやっとやっと来てくれた。 その後予定としては、 カテーテル手術が、あり 心臓根手術、都会病院で1回 肛門作る手術が、田舎病院 人工肛門外す手術して、おわり。 まぁ、ダウン症なのでそ

          フツーとイジョーの話

          産まれてから100日までの長い奇跡と、この子の今後についた悩んだ話

          やってきました。 悪魔の手術日。5人に1人は死ぬ手術日当日。 結論から、話せば無事に我が子は、この世に戻ってきてくれた。 手術日、妻と手を取り、既に麻酔で眠らされている我が子と手術室へ向かう。 もしかしたら、もしかしたら、これが最後かもと思い送り出す親ってこんなんなんだっと、少し冷静でいる自分と、しっかり泣いてる自分がいた。 今、思えば、 親にはなってはいるが、産まれてから今まで、 ずっーと入院しており、一緒に暮らしてないので、 親としての心持ちみたいなのが、あまりなかっ

          産まれてから100日までの長い奇跡と、この子の今後についた悩んだ話

          5人に1人は死ぬ手術に向かう息子を止められない親の話。

          さて、都会病院へ転院する日になった。 子供は、病院の車で搬送。 その後ろを我が愛車の軽ワゴンで、着いていく。 片道3時間かけ、病院に到着。 して、呼び出しくるまで待つ。待つ。 お昼食べる。待つ。 妻の宿泊先であるマクドナルドハウスってとこにチェックイン。して、待つ。 なんかおかしいと思い病院の事務の人に声をかけると待ってました!と、どこにいたんですか?と。 えっ?いやいや、4時間くらい待ったぞ。おいっ!っと思っている暇もなく すぐに、お医者さんに呼ばれて、説明を受ける事に。

          5人に1人は死ぬ手術に向かう息子を止められない親の話。

          ここでは、手に負えないので都会へどーぞの話

          我が子が産まれて、1ヶ月が経過した。 しかし、我が子は我が家にはこれず。 ある日、再々再々の病院からの呼び出し。 今度はなんだろと思い、夫婦揃ってまた病院へ。 今度は、40代の爽やかお医者さん。 今回は、心臓の病気の話なのな。 話は、こう。 両大血管右室起始ってのは、 珍しくて、僕らが住んでる田舎大学病院では症例がすくなくってか、1回しかやったことないので 都会病院へ行って。やってはどうかと。 また、両大血管右室起始はすぐには根手術できないので、姑息手術をまずして体重が重く

          ここでは、手に負えないので都会へどーぞの話

          なかなか凄い子が産まれてから1週間くらいの出来事

          11/16 に、我が家に男の子がオギャーっと産まれたかどうかは定かでないが誕生した! コロナ中であり、予定日より1ヶ月はやく帝王切開での出産だったので、父親は立ち会いできずであったが、とりあえず私は心の準備も出来ぬまま父親に、なったのだ。 我が家は、5年の不妊治療、2度の流産を経てやっとできた子なので感動は大きかったように思う。 ここで、「ように思う」と言う、実体験であるのに、他人事のような表現をしたのは理由がある。 この数時間後より、怒涛のような忙しさ(我が人生史上最

          なかなか凄い子が産まれてから1週間くらいの出来事