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なかなか凄い子が産まれてから1週間くらいの出来事

11/16 に、我が家に男の子がオギャーっと産まれたかどうかは定かでないが誕生した!
コロナ中であり、予定日より1ヶ月はやく帝王切開での出産だったので、父親は立ち会いできずであったが、とりあえず私は心の準備も出来ぬまま父親に、なったのだ。

我が家は、5年の不妊治療、2度の流産を経てやっとできた子なので感動は大きかったように思う。

ここで、「ように思う」と言う、実体験であるのに、他人事のような表現をしたのは理由がある。

この数時間後より、怒涛のような忙しさ(我が人生史上最も忙しい数ヶ月)が始まったのである。

11/16 AM11:30

取引先との商談中、妻から電話がはいった。
いつもは、LINE電話だったが、通常着信であり、緊急かと思い直ぐに電話にでた。なんせ、妻は1ヶ月後に出産を控えた大事な身体であるのだ!

電話にでると、妻からすぐに病院に来て欲しいと連絡があり、急遽帝王切開で出産すると端的であり正確な通達がはいった。

私は、取引先と商談中であったが、
「これから、わたくし父親になってきますので申し訳ないが、商談の続きは後日で!」っと意気揚々に商談を切り上げ、私は、急いで病院に向かった。

出産予定日は、12/16であった。1ヶ月も早やかった。先週末の定期検診でも、お腹の子どもの体重が増えておらず、大学病院に転院を勧められてすぐであった。

病院に着いて直ぐに、私はトイレに向かった。妻には急いでと言われていたが、放尿と気持ちの整理を、したかったのだ。放尿をしながら、父親になるのか〜っと、喜びやら緊張やら、よくわからない感情を出していた。

無事に放尿し嫁に、指定してされているフロアに行き、看護師さんに話しかけた。
「これから、父親になる渡邉です」と、
すると、こちらですと早足で手術予備室?的な所に連れて行かれた。

自動ドアを開けると、妻がベッド横たわっていた。妻は、私に向かって、おっ!早いね!っとあっけらかんと。

こちらは、多少緊張してながら向かったので拍子抜けであった。しかし、これは妻の優しさと強さだと知ったのは、まだ先。

着いて、すぐにお医者さんより、手術の説明があった。とりあえず、すぐに子供をお腹から出さないと危険であると言うこと。その他は形式的な説明と、同意書への、サインを急かされた。私は、思ったより大変な事態なんだとは思ったが、それ以上に子供ができるんだと言う喜びの気持ちが大きく、よくわからずとりあえず、同意書へのサインを行った。

その後、男のできる事などなく。待合室で私はまった。

ただただ、待ち続けた。
待ち続けた。
待ち続けた。何時間経ったんだろか、着いたのは昼過ぎ頃であり、病院の窓から見える景色は暗くなっていた。

やっと、病院から連絡があり、子供が産まれた事の報告がなされた。赤ちゃんの出産後検査終わりましたら、また連絡しますとの事。とりあえず、お母さんは無事ですと。こちらも、簡潔な連絡を頂けた。

私は、おぉー。父親になったのだなぁっと、少し興奮をした。いや。結構な興奮だったと思う。妻にお疲れ様と声をかけ、子供の誕生を抱き合いながら喜びたかったが、コロナで会えず、どうやら退院まで妻には会えないらしい。とりあえず、妻にはLINEだけおくっておいた。親族にも連絡をいれ、SNSでも報告。知人、友人へのおめでとうの強要を実施。と、色々していたが、なかなか病院からの連絡は来ず。我が子との感動の初面会という人生最大規模の感動瞬間に向けボルテージがどんどん高まっていくのである。高まっていくがまだ連絡こず。

そこから、また
待ち続けた。
待ち続けた。あたりはもう夜になり
こんなに、赤ちゃんの検査って待たされるものなのかと思っていた所に、
ついに電話が鳴った。0コールでもしもし!

検査結果でましたので、妻の病室まで来てくださいとの事。あら?妻とは退院まで会えないのでは?っと、思いながら、妻にお疲れの言葉をかけられると、スキップしながら(実際には、運動神経が悪くスキップがうまくできないのだが)病室に向かった。

なんなら、初めて妻と子供と父親である私のスリーショットが撮れるのではと思っていた。この時は、3人で会えるのがかなり先だとは知る由もなかった。

妻の病室がわからず、看護師さんに話しかけた。すると、お医者さんも同行するとの事で
若いお医者さん1人と、看護師さん2人と一緒に妻の病室に向かった。この方々と長い付き合いになる事も、まだ知る由もなかった。

病室に行くと妻は、元気で笑っていた。私はホッとし妻に労いの言葉をかけた。病院の方々に、よい夫に見られたかったのだ笑
しかし、子どもの姿はない。はて?

すると、お医者さんは検査結果の説明致しますと。

お子さんは、心臓とお尻に異常があると説明を受けた。それと、出産体重が1650gと未熟児の為、NICU(子供用の集中治療室)にいるとの事。

心臓は、両大血管右室起始症との病名。
と、どういう病気かを心臓の絵を、描いてくださりながら説明してくださった。
もちろん、一般家庭のフツーのサラリーマンの私とその妻は、心臓に病気があるって言葉だけで、テンパった。そんな中振り絞りだした、こちらからの質問は、「えっとそれは、
かなりヤバめの病気ですかね?」っという、
知的な質問からは、程遠い質問を投げかけた。

お医者さん「えっーと。まぁ中々な。」
看護師さん「でも、将来的に全く運動ができないとかではなく治療すれば、出来る様になる可能性もあります。」っとフォローが入った。

そのあたりから、思考が止まりつつあったが、お医者さんは続いて、お尻の方の説明をしてくださった。

病名は、鎖肛。
つまり、お尻の穴がないとの事。びっくり!
そして明日人工肛門を付ける手術を行うとの重大発表!もう、びっくり、びっくり!

こちら側「はいっ!わかりました!よろしくお願いします!」驚きすぎてそれくらいしか言えず。

産まれて次の日に手術。名前もまだ決まってないのになぁー。

お医者さんからの説明は、一通り終わり、
息子との初面会が行われた。

もう、めちゃくちゃ可愛い。子供苦手だった私は、この瞬間から全人類の子供を愛すようになったのだ。

そして、子の顔をみて、名前を決めたのだ!我が子は、一立(いちた)と命名。
これは、我が人生の中でもファインプレーであったと思う。

ちなみに、私は赤ちゃんが出来たと聞いた時、名前は「頑張(がんば)」にしようと妻に話し、かなり命名のセンスを疑われていた。

喜びやら、不安やら、なんやらよくわからない感情とかなりの疲労感を感じながら私は病院を後にした。もう。真っ暗。

妻からLINEが、きた。
今日は疲れてると思うので、病気については調べないでおこうと。それと感謝と労いの言葉を頂けた。

なんて、よくできた妻なのだろう。自分の方が疲れてるというのに、お腹捌かれて〜。
勝てないなぁっと思いながら帰宅し、
妻の言う通り検索せず、爆睡。

かなり長い1日であった。
この時、次の日が更に長いとは知る由もなかった。

11/17
朝から病院へ。
本日、息子「一立」の手術の日である。
生後24時間経ってないが、手術である。

陽気な年配のお医者より、病気内容と手術の説明を受ける。

オヘソから、腸を出しそこから、ウンコさんを出せるようにするとの事。

お尻の穴の開通工事は、体重(7kくらい)がもっと大きくならないと出来ない手術なので、暫くはオヘソから排便できるようにしますと。ふむふむ。

手術アトは、オヘソの中にできるので、将来的にはほぼわからなくなりますと。ふむふむ。

手術的には難易度は難しくないが、男の子だと特にトイレトレーニングに苦労するかもと説明をうける。あらら。でも、まぁ。ふむふむ。この時から、やたらとメモをするようになった。

なんせ、知らない言葉を、知らない言葉で説明受けるのだから!

説明を受け、一立と面会。
一立に、頑張ってと!念をおくる。

手術室に到着。
大きな手術室には、ずらーっと10人以上の方々が、医療ドラマの手術の格好して、待っていてくれた。この時、初めて事の重大さを体感した。手術リスク低いっと言っても、まだ1日しか生きてない人間のお腹を捌く。

この異常事態。なぜ、気づかなかった。
この異常。お尻の穴ないって。普通聞いたことない。人工肛門って。頭がまた、パニック。

しかし、私はしなくてはならない事に気づいた。

手術室にいるお医者さん、看護師さん、麻酔医さんなどなどに、深く深く一礼し
大きな声で「一立をよろしくお願いします。」っと泣きながら叫んだ。

息子にした初めての父親らしい事。

ここからまた
待った。待った。待ち続けた。
手術終了時間を過ぎ、待った。
何かあったのでは、ビクビク。
この待ち時間は、本当に嫌だ。
変な妄想が海原の様に広がる。

電話が鳴る。手術無事終了との事。
ほっと胸を撫で下ろす。

夕方、一立に逢いにNICUへ。
思ったより元気そうで、手足バタバタ。
この手術が簡単な方であれば、
心臓手術はどんなんなやろか〜っと
不安を抱える。涙がでる。
なんの涙なんだろなー。涙の理由分析はしない。

待ってる時間も、含めて何回泣いたかなー。

11/18-21
毎日、一立に逢いにいく。コロナのせいで毎日3時間の時間制限でも可愛くて可愛くて逢いにいく。毎日、よしよし。

お腹にある人口肛門を見る。びっくり。
オヘソから腸がでている。真っ赤な。
また、異常を感じる。この子は、異常な子?
こんなに、可愛いのに??

その晩より、難しい病気に関して検索する。
両大血管右室起始と検索。

難病指定だと。すぐにわかった。
日本に約5000人程しかいない難病。
まじかよ。

検索がとまらない。

11/22
お医者さんにお呼ばれ。
妻も同席との事。一立の病気の事で説明をとの事。こちらも、知りたい事山ほど。

看護師さんに、誘導され個室へ。
ここがものすごく立派な個室。
特別診察室とか、ソファーがあり、高そうな置物も。普段使われてないらしいが、コロナで部屋が空いてないので特別にと。

少しラッキーな気分。いやっ。病気の説明を聞くのが怖かったから、少しでも気が晴れる思考に持っていったいたようなー。

立派なお部屋で待機していたら、妻登場。
ゆっくり歩いていた。まだ、お腹痛いと。
可哀想。

間もなく、先生登場。今回は落ち着いた感じの年配お医者さんだった。

すごく丁寧に優しく説明してくださった。
まず、両大血管右室起始症の病気説明を一から聞く。今後の治療に関しては、体重7kくらいになったら、根手術していきましょうと話してくれた。 いつ手術やるかや手術の詳細などは、今度は循環器科の先生指示になるので今度は循環器科お医者と打ち合わせしてねと。

わかりましたと話すが、改めて色んなお医者さんと話さなきゃならないのだなとしんどかった。その度に、仕事抜け出したり有給とったりして病院へは大変だなと思いながら。

そして、ここからが本題。
落ち着いたお医者さん。
両大血管右室起始と鎖肛の話がおわった後に、「これだけ珍しい病気があるのは、ダウン症候群の可能性があります。染色体異常の検査を受けませんか?」

これに関しては、病気に関して検索しまくっていたので、僕も可能性は考えていた。
驚かず、お願いしますと。妻も同様意見であった。

打ち合わせは1時間以上かかった。
妻の退院も本日する事に、これはとても嬉しかった。僕ら夫婦はとても仲が良い。
これは、ノロケではなく本当に。
流産した際に、一度お互いの遺伝子を測ってもらった事がある。すると臓器移植出来るほど類似しておりビックリ!
僕らは北海道出身と京都出身だが、そんな事もあるもんだなぁーと思いながら〜。

11/24
妻が退院し、一大イベント!!
出生届を提出!!
その後、保健所へ未熟児医療申請、高額医療申請の相談!!ほとんど妻がやってくれたのでよくわからん!が。なんだか大変。


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