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【高校生Teeの映画館】No.29 42 ~世界を変えた男~ [あらすじ,見どころ,感想]

皆さんこんにちは、愛知県で高校生をやってるTeeです。

昨日の投稿にスキしてくれた方、ありがとうございました!!!


突然ですが、皆さんはメジャーリーグの試合を観たことがありますか?知らない人はいないと思いますが、一応説明しておくと、メジャーリーグとは、世界中のトッププレイヤーが一堂に会して迫力あるプレーでぶつかり合う、世界最高峰の野球リーグのことです。(通称:大リーグ)


メジャーには、年に一度、4月15日、大リーグの全選手がチームも敵も味方も関係なく、大リーグで唯一の、全球団共通の永久欠番「42」をつける『ロビンソンデー』と呼ばれる日があります。


今日は、そのモチーフになった人物の実話に基づいた作品を紹介していきたいと思います。


それではいきましょう!



今日紹介するのは、2013年公開のスポーツドラマ映画『42 ~世界を変えた男~』です。

この映画は、人種差別や隔離政策が公然と行われていた時代のアメリカで史上初の黒人メジャーリーガーとして活躍したジャッキー・ロビンソンと、彼をバックアップした球団オーナーのブランチ・リッキーの奇跡の物語です。2日続けて、差別をテーマにした映画になってしまいましたが、野球でも酷い差別が起きていたという事実を知って欲しいので紹介します。

ぜひ、最後まで読んでいただけると嬉しいです。


【監督】ブライアン・ヘルゲランド 【時間】128分


《あらすじ》

舞台は1945年、アメリカ。アフリカ系アメリカ人は不当な人種差別や隔離政策に苦しめられ、野球の場も黒人選手だけの「ニグロリーグ」に限定されていました。そのため、当時のメジャーリーグは登録選手400名全員が白人でした。しかし、ある日その席が一つ空き399となったのです。

ブルックリン・ドジャースのGMブランチ・リッキーは、空いた一席に戦力強化として、ニグロリーグから1人の男をスカウトします。男の名前はジャッキー・ロビンソン。オフィスにジャッキーを招いたリッキーは、まずドジャース傘下の3Aチーム、モントリオール・ロイヤルズに彼を入れることにしました。リッキーは、あらゆる場面で差別を受けても、怒りを抑え、プレーでねじ伏せられる選手になれと熱弁します。同意したジャッキーは1945年8月26日にロイヤルズへ入団。ジャッキーは結婚したばかりの妻レイチェルを連れ、フロリダ州で行われる春季キャンプにやって来ます。


《注意》ここから先はネタバレになります。






ドジャース対ロイヤルズのオープン戦に出場したジャッキーは白人観客から凄まじいブーイングを浴びせられます。一方、黒人観客は拍手と歓声でシャッキーを迎えます。

初打席、フォアボールで出塁したジャッキーは2つの盗塁を成功させ、最終的に相手ピッチャーのボークでホームに帰って来ました。その後の試合でも黒人選手代表として素晴らしい活躍をしますが、人種差別が特に酷い地域ではグラウンドから追い出されてしまうことすらありました。

1946年4月18日、3Aインターナショナル・リーグが開幕し、ジャッキーは初ホームランを放ちます。さらに、その8か月後には、レイチェルとの間に子どもが生まれ、夫妻は喜びに包まれました。

1947年3月18日、パナマで開かれた春季キャンプでジャッキーはドジャースの一塁手となるため、監督のレオ・ドローチャーから守備練習を受けていました。しかし、その一方で、ジャッキーを良く思っていない白人選手らが拒否する嘆願書にサインをしていたのです。

この事実を知った監督のレオは、「人種など関係なく、ジャッキーが優れた選手だからこそドジャースでプレーさせるのだ」と諭し、それでも受け入れない選手に関しては、リッキーが直々にトレードすると言い渡しました。これにより、徐々に環境が変わり始めます。

その後、功績を認められブルックリン・ドジャースに入団を果たしたジャッキーは4月15日、エベッツ・フィールドでの開幕戦で背番号42のユニフォームに袖を通し、初めての試合に臨みます。そこでも、期待通りの活躍をし、迎えた4月22日のフィラデルフィア・フィリーズ戦。

打席に立つ度に白人から浴びせられるブーイングには慣れていたジャッキーでしたが、フィリーズの監督ベン・チャップマンから「ニグロがやるスポーツじゃない」「太陽で焦げたからそんなに黒いのか?」「早く出ていけ」など、聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせられます。リッキーからどんな差別を受けても怒らないようにと忠告されていましたが、さすがにプレーに集中出来ず、怒りに震えたジャッキーはベンチ裏の壁にバットを叩きつけ、絶叫して暴れました。

果たしてジャッキーは、この先野球を続けていけるのでしょうか。



《見どころとポイント》

たった一人で起こした公民権運動

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公民権運動の指導者として世界的に知られるのが、昨日紹介した「ネルソン・マンデラ」や「マーチン・ルーサー・キング牧師」、スポーツ界のヒーローで言えば黒人ボクサー「モハメド・アリ」です。もちろん、彼らの残した業績は偉大で輝かしいものなんですが、彼らが注目される20年近くも前に、ジャッキー・ロビンソンはたった一人で人種差別の文化に風穴をあけ、誰よりも根強く、差別される側の人間として自分の意見を発信し続けていたのです。

黒人が故に毎日のように差別を受けるジャッキーが、何か言い返すわけでもなく、暴力を振るうわけでもなく、野球人らしくバットで答えを出し、鬱憤を晴らしていく姿は本当にかっこいいです!


●チャップマンとの写真

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対フィリーズ戦で、ジャッキーに酷い罵詈雑言を浴びせたフィリーズの監督チャップマンは、試合後に球団オーナーから「チームのイメージが下がる」と、責められ、後日ジャッキーに謝罪することに。関係の修復を世間に示すため、チャップマンはジャッキーにツーショットを撮る提案をします。記者からチャップマンとの握手を求められたジャッキーでしたが、彼は手ではなく一本のバットを2人で持って写真を撮るのです。

このシーンから「見かけだけの仲良しごっこで、心から黒人を受け入れていない人間とは握手なんてしない。」という、ジャッキーの黒人差別に対する強い意思が感じられます。


●チームメイトの変化

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白人のやるスポーツとして親しまれていた野球の世界に黒人として一人で飛び込んできたジャッキーに、チームメイトは差別をしないまでも冷たく接していました。しかし、彼のプレイヤーとしてではなく、人間として強く生きる姿を徐々に認めるようになっていきます。そして、ジャッキーをシャワーに誘ったり白人観客の前で肩を組んだりするのです。


●ラストシーン

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辛く、苦しい差別を受けてきたジャッキーが最後に起こした奇跡とは。。。(ここマジでやばいんで、先にバスタオル準備しておいて下さい)


●エンディング

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感動のラストシーンの後に、ドジャースの選手やスタッフがその後どうなったか説明するエンディングが流れます。輝かしい功績を残した方がとても多くて、ジャッキーがどれほどの人に影響を与えたのかが伺えます。


《高校生なりのまとめ》

さて、ここまで『42 ~世界を変えた男』について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

慣習やしきたりを変えるのは簡単なことではありませんが、時には自分で動いて変えていかないといけない場面もあるんだなと思いました。

内容的なことを言うと、ジャッキーだけに焦点を当てるのではなく、その家族や、彼をサポートしたリッキーにもスポットライトを当て、よりリアルに描いていたことがとても良かったと思います。カラーラインを破り、黒人が活躍する新たな世界を築いたジャッキーがいなけば、オバマ大統領は誕生していなかったのかもしれません。

白人のみの世界へ飛び込んだジャッキーの忍耐力と勇気は勿論ですが、野球という舞台が大好きだからこそ、(神の前でも胸を張れるような)誇らしく新しい世界に変えていきたいというリッキーの強い願いも同等に素晴らしいと思いました。リッキーがチャンスを与えなければ、改革は何年も先伸ばしになっていたと思います。この黒人を受け入れるという判断は、当時凄く勇気のいる事だったと思うし、それに信念とプレーで応えたジャッキーが何よりも素晴らしいと思いました。


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ベーブ ルースはベースボールを変えた。

ジャッキー ロビンソンはアメリカを変えた。


邦題に加えられた「世界を変えた男」には、創作物以上のリアルがあることを感じさせてくれました。

この映画から、人種差別的な考えが変わる人が出てきてくれることを願っています。



【予告はこちら】


親切に最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

次回もお楽しみに!


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