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へんてこ長男の喘息と長女の幼少期

マイホーム建築、単身赴任、長男の喘息

長男と二歳違いの長女は、待望の女の子でした。
長女を妊娠する年にマイホームに引っ越したのですが、
夫が半年間の単身赴任となりました。
長女の妊娠中、二歳になる年の長男が
二回喘息性気管支炎で五日間入院しました。
身重な体で簡易ベッドで付き添い入院したのは大変でしたが、
長男の喘息発作はもっとかわいそうでした。
咳をしすぎて吐いて、ぐったりしても、咳は出続けるし、息するのも苦しそう。
ゼーゼーいうのも私が変わってやれない…一生忘れられないトラウマになりそうなほど、
私の頭に長男のこの当時の姿は明確に
焼きついています。

近所のアレルギー小児科の先生は、長男は今晩発作を起こしそうな気がするという母親である私の直感を無視し、
「お母さん心配しすぎ、大丈夫大丈夫!」
と気管支を拡げる喘息予防薬のオノンとせき止めテープしか出してくれませんでした。
その晩、私の直感が当たり、長男は緊急入院しました。

このエピソードは小児科の先生より母親の直感が正しいことがある、一つの証明です。
医者という職業にどれだけ権威や名誉があろうが、
普通の母親には叶わないことがあります。


高橋 子どものふるまいや表情に絶えず目を配ること。心を配る、というか。そうすれば自然と、子どもの「心の声」が聞こえてくるようになります。陳腐な表現ですが。 簡単なことではありません。相当な熱意と決意、経験が必要です。小児科医はプロフェッショナルとして、病気の子どもと、付き添っている親御さんの「代弁者」になるべく、十年、二十年、三十年とトレーニングを重ねている、とも言えます。 でもご両親には、本能的に「子どもの心を読み取る力」が備わっています。両親の遺伝子を半分ずつ受け継いで生まれ、同じ家で暮らしているのですから、子どもの様子を見ていれば、本能的に異変に気づけないわけがない。もし気づけないとしたら、ネットをはじめとするさまざまな情報に邪魔されて、その能力が衰えているのでしょう。
養老 目の前の子どもの状態よりもネットの情報を参考にしてしまう風潮はたしかにあると感じます。
高橋 養老先生のご著書には、時折そうした切り口が出てきますよね。「何かが違うと感じる、でもよくわからん」といった具合に。私は、世の中から「賢人」と称される方が違和感を抱いた場合には、その声に丁重に耳を傾けるべきだと確信しています。 大人は自分の価値観をむやみに押しつけるのではなく、まずは子どもの声に耳を傾けて、代弁してあげることから始めるべきではないでしょうか。

子供が心配
人として大事な三つの力
養老孟司 


喘息発作は季節の変わり目に起こりやすく、長男の場合は秋でした。
小児科から帰って夕飯を食べてしばらくしたら、
長男は水分も飲めないほど咳き込みはじめました。
長男を膝に抱いて頭の位置を高くして、背中を優しくさすり、
以前話を聞いた病院に勤める友達のアドバイス通り、氷をなめさせました。
いよいよ長男の唇が紫になりかけた頃、すぐさま休日診療所に電話をかけて
長男を受け入れてくれる病院を探してもらい、救急車で病院に運ばれました。

喘息発作に限って言えば、西洋医学は素晴らしいの一言です。
早め早めの対応と、子供がどんな風になったときに休日診療所に電話したらいいかを
事前に必要なら調べたり聞いたりしておき、
心の準備しておくと、いざというときに
慌てなくてすみます。

直接病院に電話するより、私が住んでいる自治体であれば、休日診療所のような
病院と患者の間を取り持ってくれる行政機関の
連絡先を調べておくことも大切なことの一つです。
今はコロナ等で救急車が足りないという話も
チラホラ聞きますから…

長女の妊娠中に夫の単身赴任が始まり、長男の喘息入院が二回もありましたが、
一人っ子で両親が他界している私にとって、
同じ都道府県に住む義父母には本当に助けられました。

長女誕生、仲良くなりたいのにいつも人に嫌われる長女の悲劇

長男がやんちゃ盛りの二歳の年、長女は生まれました。
二人目なので、全て一人目の時とは比べ物にならない大雑把さ。
長女も少々の長男のグズリ声や泣き声、遊ぶ音には無反応で、
熟睡し続けていました。
離乳食なんかも味噌汁や煮物の具だけちょっと取り分けて潰したものを与えたりして。
しかし、長男には赤ちゃん返りがありました。
その頃には夫が単身赴任から帰っていたので、
休日に長女を夫に任せて長男と二人だけで
公園に遊びに行ったり、
ご飯を食べに行ったりしました。

地域子育て支援センターに常駐していた先生達には、
本当にお世話になりました。
長男は手遊びやお歌、体操、紙芝居等全く興味なく、
好き勝手に一人で積み木や電車で
いつも遊んでいましたが、温かく受け入れてくださいました。
そこでは同じような年の子供達とそのお母さん方がたくさんいて、
みんなと自然に仲良くなることができました。

長女は生まれた直後、私の隣に寝かされていた時から
私の顔をジーッと見ていました。
目が見えていたとは思いませんが…
生まれた直後の長男にはないことだったので、長女は人に興味がある子なのかなと
その頃から何となく感じていました。

成長するに従い、長女は私の予想通り、人に興味がある子だと分かってきました。
だけど長女はあまのじゃくで素直じゃなくて、
いつもまわりから嫌われていました。
長男のあとを金魚の糞のようについていっては、
長男の遊びを邪魔しては長男を泣かせて、
けろっとした顔で長男から取り上げたおもちゃで遊ぶのでした。
私が長男の気持ちをなだめようとしても、すぐに気持ちを切り替えられなくて泣き続けている長男のすぐそばから、
長女は取り上げたおもちゃに飽きて、
新たに長男の嫌がることをする悪魔のループ!!
毎日何年も、そんなことが続いたのでした。

でも二人の年齢は近く、遊びの興味も似ていたため、
プラレールとシルバニアファミリーを組み合わせて、子供部屋いっぱいに街を作り、
電車を走らせながら、シルバニアファミリーでお人形遊びもよくしていました。

このような一見変わった遊び方は今思い返すと、
二人は遊びの常識のようなものを知らなかったからということと
絵本で培われる想像力を実際のおもちゃで
再現していたのではないかということです。

その頃、絵本はあまり興味なかった二人の
お気に入りの動画をのせてみます!






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