対人恐怖症 克服ものがたり

友達0 会話が10秒も続かない。無趣味で誰とも繋がれない孤独感を10年以上経験して、毎…

対人恐怖症 克服ものがたり

友達0 会話が10秒も続かない。無趣味で誰とも繋がれない孤独感を10年以上経験して、毎日消えたい、死にたいと考えていた10代中頃から20代。しかし、現在はそれらを克服して毎日楽しく過ごしています。克服していく過程を書くことで誰かの生きる糧になれれば幸いです。

最近の記事

対人恐怖症を克服した過程〜生まれて初めての彼女〜

それまでは自分には何の取り柄もなく、何をやってもうまくいかないと思っていた人生だったが、音楽を通して自分に自信をつけることができた。 そして、その自信のおかげか当時働いていた職場の同僚に猛アタックをしかけた。 後々彼女から聞いた話では全然自分はタイプではなく、寧ろ嫌いよりだったらしい。 しかし、猛アタックに断りきれなかったらしい。 そして付き合い出した。 人生で初めての彼女ができ、やればできるんだ!という自信はついたが、やっぱり人と会話するということに関しては全然ダ

    • 対人恐怖症を克服した過程~ひたすら打ち込む~

      音楽学校を卒業してからはひたすらにドラムに打ち込んだ。 すごく苦しかった。自分は本当にうまくなることが出来るのか?死ぬまでひょっとしたら変わらないのではないか? そんな自問自答が頭でこだまする。 毎日練習したが、それが果たして本当に自分の目指すドラマーに近づくことなのか?不安でいっぱいだった。 朝から晩まで練習した。一生誰とも繋がれない、ただ孤独にこんなことをやって自分は死んでいくのか?と考えると涙が出てきた。 そして半年ほどそうやって過ごしていた時、それは突然やっ

      • 対人恐怖症を克服した過程〜生まれて初めて一生懸命になる〜

        音楽の専門学校に入るまでは何かに一生懸命になるなんてことはなかった。 大体のことは少しやっても人並みにできることはなく、すぐに諦めた。 しかし、学校に入ってからはドラム講師の鬼のようなレッスンを受けていたので、根は真面目だったこともあり、割と頑張って練習した。 ホントに大袈裟ではなく映画「セッション」のノリやった。初めてこの映画見た時、懐かしい〜って思ったのを覚えている。 そんなこんな2年間真面目に練習はしたが、自分のドラムは好きになれなかった。 入学当初いた先輩の

        • 対人恐怖症を克服した過程〜専門学校での孤独〜

          学校に入ってからもやはり人と交流はできなかった。 音楽の専門なので入学した時点でうまい人は飛び抜けてうまかった。 自分も中学の頃少しやっていたから皆んなより頭一つでているかな?と思ったが、全然そんなことはなかった。 そもそも自分って才能あるくね??とか音楽好きなんです!の集団なわけで、ある程度できる人達が来る所なんだから当たり前なのだが。 そんな中、自分は譜面も読めない人間だった。 ある日、授業で使う道具を忘れたので勇気を出して声をかけたことがあった。 自分「あ、

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          対人恐怖症を克服した過程〜またしても学校へ〜

          何もやる気がなく家でごろごろしていると暫くぶりに友達から連絡があった。 「おまえ今何やってるのー?」と聞かれた。当然何もやってないよ。と返すと「今俺音楽学校行ってるんだけどお前も来ない?」と誘われた。 僕は趣味も何もなく、何をやっても続かないし、努力もできず、何に対しても楽しみを見出せずにいた。 だが、電話をかけてくれた中学時代に仲の良かった友達と一時期バンドをやっていてドラムを経験していた事があった。 自分の状況を見かねて声をかけてくれたのかもしれない。 僕も特に

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          対人恐怖症を克服した過程~すべてに対してやる気がなくなる~

          もともと趣味というのは1つもなく、唯一楽しかったのが学校生活での友達とのおしゃべりくらいだった。 しかし、それも15歳で高校入学してからは人間関係がうまくいかず。楽しみという楽しみがなくなった。 高校を退学後アルバイトしてからも怒られてばっかりだったのでやりがいや楽しさを見出すこともできるはずもなかった。 最初の方は頑張って笑顔で明るい性格の人間を演じるが、だんだんとそれが辛くなり、もう引き攣った笑顔しかできなくなり、最終的には感情が顔にでなくなってしまう。 最初は「

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          対人恐怖症を克服した過程〜地元に戻って〜

          東京での不毛な生活を送って地元に戻ってきた。 中学時代の小さな栄光、面白いと言われた過去の経験を握りしめて芸人になれると信じて東京に行ったが脆くも崩れさった。 中学時代の部活動もそうだったが1年生の時は良いが2年生になって周りが努力して上手になりどんどん実力が離されていくともういいや、ってなるタイプだった気がする。平たく言うと努力しない人間だった。努力してる風でやった気になって自分は周りと一緒くらい努力してるのに!とか思って悲劇のヒロイン演じてたんだと思う。ま、当時はそん

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          対人恐怖症を克服した過程〜東京進出〜

          アルバイトをして1年経った頃、東京へ出ようと思った。 なぜそんな風に考えたかというと、高校を辞める時にただ、人とうまくやれないという理由ではカッコ悪いと思ったし、それでは辞めさせてくれないと予想したからだ。先生や母親には俳優になりたいからという理由を口実にやめた。 実際は高校の人間関係がうまくいかなかっただけだ。でも当時の自分は、その理由ではなく、学校にただ漫然と通うのは時間の無駄だ!これは自分の時間をもっと有効的に使うためなのだ!と自分自身も騙していた。人間関係がうまく

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          対人恐怖症を克服した過程〜高校を中退してからの初めてのアルバイト〜

          とりあえずアルバイトを始めようと思い、喫茶店で働くことになる。 まだ当時は自分がコミュ症という自覚がなかったため客商売に対しても抵抗がなかった… コミュ症というのは自覚さえしなければ問題ないが自覚しだすとそれが芽生えてゆきドツボにハマる。 なのでまだお客さんにも一緒に働く人にも抵抗感なく普通に接していたと思う。 しかし、しばらくすると一緒に働く主婦から毎日小言というか仕事での注意を受けるようになる。 それが嫌でどうしたら注意されないようになるのか?を考えてその主婦に言

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          対人恐怖症を克服した過程 ~人との会話が好きだった頃から徐々に変わってゆく~

          もともと自分は幼少期から高校入学するくらいまでは人と接することがとても好きな人間でした。 学校の勉強は出来なかったし、運動神経が良いわけでも音楽や美術なども出来るわけでもありませんでした。 でも誰かが笑ってくれるという事だけが自分の楽しみであり、それを楽しみに学校に行っているようなものでした。 しかし、高校に入学すると地区の知り合いはほとんどいなくなり、また1から徐々に関係性を築いていかなくてはなりませんでした。 どうも自分にはそれが苦手なようで人間関係は極端に言うと

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