対人恐怖症を克服した過程〜東京進出〜

アルバイトをして1年経った頃、東京へ出ようと思った。

なぜそんな風に考えたかというと、高校を辞める時にただ、人とうまくやれないという理由ではカッコ悪いと思ったし、それでは辞めさせてくれないと予想したからだ。先生や母親には俳優になりたいからという理由を口実にやめた。

実際は高校の人間関係がうまくいかなかっただけだ。でも当時の自分は、その理由ではなく、学校にただ漫然と通うのは時間の無駄だ!これは自分の時間をもっと有効的に使うためなのだ!と自分自身も騙していた。人間関係がうまくいっていないという理由を認めてしまうと自分がダメなやつというレッテルを自分自身に貼るような気がしたからだ。

ややこしいが、俳優になりたいという理由も嘘で実はお笑い芸人にならなれると思っていた。

嘘をついたのはお笑い芸人になりたいって人に言うのは恥ずかしかったからだ。

いや、本当に今考えるとお笑い芸人さんに失礼なくらい簡単になれると考えていた。

小中学生の時に皆んなからお前は面白い、将来芸人になるんか?みたいなこと言われたことだけを握りしめて東京に行った。

一応養成所的な所へ入ったが吉本とかメジャーな所ではなくお爺さんとお婆さんがやっている(経歴はよく分からない)、お笑い、俳優なども養成している的なふわっとしている所だった。
いや、本当は凄い所だったんかもしれんが…

とにかく行ったが、そこには同年代の人はおらず。というか、ピンでやってるおじさんが1人いただけだった。

自分が想像していたような同じような世代が集まり授業的なものがあってコンビを組んでネタを作らせてもらえるとかいうところではなく、とりあえず面白いことやれ、面白い話をしろって言われてお爺さんとお婆さんに見せてダメ出しされるという地獄のような時間だった。

数回行った時にとりあえずライブ出てみるか?って言われて、出てみた。

お客さんは数人、顔が引き攣りながらの初ライブ…これがなんとばかうけ!会場がドッカンドッカン。

なんてなるはずもなく、顔を真っ赤にしている自分の姿を見て1人の男性が苦笑いを1回しただけの悲惨なものだった。

これを受け止めて次はもっと面白いネタを作るゾ!となれるくらいの精神は当時持ち合わせておらず、結局そこも学校同様フェードアウト…

東京には1年近く住んだが、東京でしたこととと言えば借りたアパートでテレビをひたすら見るということと、アパートを紹介してくれた方の某宗教団体の集会に呼ばれてそこでバンザイをすることだった。

いや、自分は無宗教だったが、さすがにお世話になった方の誘いはむげにするわけにはいかないと思って参加していただけだ。

そんな無意味な東京生活を終え何の成果も手にすることなく無事?地元へと戻ってくることになる。

…つづく


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