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【小説】「渋谷、動乱」第4話

 スクランブル交差点から、地下を東急田園都市線が走る道玄坂の大通りを進み、間もなく右手に見えてくるセンタービル手前の信号を左に折れ、ラーメン屋や寿司屋、焼き肉屋などの飲食店が軒を連ねる2車線の細い通りに、奥田秋生おくだあきおがよく利用するネットカフェはあった。
 ビルの表の立て看板には、黄色の背景に赤字でデカデカと、「24時間無料」の文字が躍っていた。店内は、他のネットカフェと大きな違いはないのだが、この街に数ある店舗の1つとしては、なぜか奥田同様、中高年男性の利用が目立つ店だった。部屋は地下1階から4階まで。全室個室で、利用できるサービスは、DVD鑑賞、カラオケ、CS放送の視聴、コミック雑誌の読み放題、もちろんパソコンも無料で使うことが出来、地下1階にはシャワーに電子レンジ、コインランドリーなどが設置されていた。
 コロナ禍の煽りを受け、紙切れ1枚で派遣の契約を打ち切られた奥田は、年齢を理由に新しい仕事もすぐには見つからず、アパートの家賃が滞り始めたことで、10年余り暮らした部屋を追い出され、いわゆる住所不定となった。その後は、ほんのわずかな貯金で、路上とネットカフェを転々とし、日雇い仕事で何とか食いつなぐしかなかった。しかし、工事現場などでの肉体労働に嫌気がさし始めた奥田は、息抜きのために1か月ほど前からこのネットカフェに入り浸り、やがて寝食を忘れるほど、あることに没頭するようになっていった。

 ネットカフェの中には、奥田のような常連を嫌い、最悪出禁をくらわす店舗もあったが、この店のオーナーを務める元ホストの稲垣ジンは、奥田のような客をこそ歓迎していた。ジン自身、高校時代に先輩との付き合いで警察沙汰を起こし、家を半ば追い出された後、行く当てもなく漂流し、この街に流れ着いた1人だった。まず食住を何とか確保しようと、住み込みでも働けると謳っていたホスト店で働き始めた。もともとビジュアルには自信があったジンは、先輩から見よう見まねで学んだ話術を生かし、やがて頭角を現すと、系列の店舗を合わせても、ナンバー3に入るほどのホストになっていった。
 その頃には、この街のホスト代表として、何度か深夜番組に出演したこともあった。ジンはそこで改めて、テレビの影響の大きさを目の当たりにした。翌日にはテレビを観たと、ジンを指名する客が何十人も現れ、その月はジンとしても過去最高の売り上げを記録した。だが、その人気は一過性の物に過ぎなかった。2か月後には、別のテレビ番組に出演した他店のホストに客が流れ、ジンが中学の歴史の授業で強く心に刻みつけられた「盛者必衰」という言葉を、身をもって味わうことになった。ジンはその後、しばらくして、その時かろうじて保っていた知名度と、高級マンションを手に入れられるくらいの蓄えを基に、自分の店を持つことを考え始めた。ただ、店と言っても、それはホストの店ではなかった。ジンは先輩や後輩たちが目標とする売り上げを上げられず、まるで用なし言わんばかりに、追い出されるように店を辞めていく後ろ姿を何度も見ていた。
 ――ジンさんおれ、どうすればいいっすかね、と後輩に泣きつかれた時には、頑張ればなんとかなるって、と自分なりの慰めの言葉を掛けたこともあったが、今思えば、気持ちの伴わない空しい言葉でしかなかった。そして自分もまた、自分のことしか考えていなかったことに気付いた。それが原因で、母親の洋子にも迷惑を掛けることになったというのに。
 店を辞めたジンは、金髪を地毛の色に戻し、常連客だった出版社社長の石島紀美子いしじまきみこの伝手を頼って、この街で空き店舗になっていた今のビルを借りることにした。店の名前は「TOMARIGI」。一見して、ネットカフェと不釣り合いな名前だが、ジンはこの店を皮切りに、この街に、その名のような場所を増やしていくことを、今後の人生の目標に掲げていた。

 1階の受付に立つアルバイトの山根耕司やまねこうじは、ここ1か月、全く同じ時間に店にやってくる奥田のことが気になり始めていた。
 休憩時間に店長の榊原丈二さかきばらじょうじに、
「あの人、また来てますよ」
 何となく告げ口をしたことがあったが、榊原は、
「ああ、いいんだよ。ジンさんが良いって言ってるんだから。俺たちは客の素性には構わず、淡々と、粛々と仕事をこなせばいいのさ」
 と取り合わず、電子タバコをくわえながら、スマートフォンでオンラインカジノを楽しむような男だった。
 耕司はそんな榊原のことを、よく思ってはいなかった。どうしてジンさんは、こんな人を店長に据えているのかと、いつも疑問に思っていた。山根はホスト時代のジンに憧れて、この店でアルバイトを始めたようなものだった。耕司もまた、元ホストだった。対して榊原は、ホスト上りというわけでもなく、元々何をしていた人なのか分からなかった。一度、それとなく聞いてみたこともあったが、榊原は「さぁね」と言うだけで、ひょうひょうと煙に巻くのが常だった。耕司から見て榊原は、つかみどころのない男だった。

 奥田が利用する部屋はいつも同じで、3階右手の「303号」だった。特にその数字にこだわりがあったわけではないが、初めて店を訪れ、最初に入ったその部屋が、次の利用時にも空いていたことで、何となく同じ部屋を選び、それが自然と習慣化したというのが真相だった。奥田は時間のコースと部屋を選び、素早く受付を済ませると、階段を上り、自分の家に帰りついたかのような心持ちで、303号の部屋に入室した。思わず、「ただいま」と言う声が漏れる。この街で1人暮らしを始めて以来、誰1人自分を迎えてくれる人が現れなかった奥田が、いつしか続けてきた習慣の1つだった。
 ネットカフェの部屋には、ゆったりと腰を落ち着けることが出来るリクライニングチェアやソファー、横になれるシングルシートなど、利用客のニーズに合わせた設備が備えられていたが、奥田が利用していた部屋は、リクライニングチェアがあるPCルームだった。パソコンのモニターが乗るテーブルに、コンビニで買ったからあげや飲み物が入ったビニール袋をひとまず置き、パソコンを起動させると、リクライニングチェアにゆったりと腰を下ろした。部屋の備え付けのヘッドフォンを頭につけ、瞼を閉じ、2度3度と深呼吸をする。その間にモニターには、デスクトップの画面が現れる。計ったように奥田は瞼を開き、リクライニングチェアをモニターの方に近づけ、マウスに右手を置いた。慣れた手つきで、お気に入りのブラウザFirefoxを立ち上げ、検索窓に「あっとふぉーむ」とキーボードで文字を打ち込む。間もなく、画面のトップに表示された「あっとふぉーむ」のリンクをクリックする。すると、誰もが書き込むことが出来る匿名掲示板が現れた。
 奥田はモニターに映る掲示板を見ながら、ビニール袋の中から缶の周りに水滴が滴っていた缶ビールを取り出した。奥田からすれば、贅沢の一品だった。だがそれは、奥田が仕事をするためには必要な飲み物だった。右手の指先だけでプルタブを開け、プシュッと瞬時に弾けた泡の音を心地良く感じながら、とりあえず一口、ビールを口に含んだ。奥田の気分が高揚していく。俄然仕事モードに入った。次は掲示板の検索窓に、いくつかのキーワードを入力していく。例えば「犯行予告」。例えば「犯罪」。例えば「誹謗中傷」。例えば「暴力」。奥田は次々と、ブラウザに新しい画面を表示させながら、時系列順に並ぶキーワードを含んだ書き込みのスレッド一覧を、一つ一つ開いていった。奥田の仕事、いや、奥田が自分の仕事だと思い込んでいる仕事とは、自分がお気に入りにしている掲示板の書き込みの監視だった。

 奥田が監視を始めたそもそものきっかけは、自らその掲示板に、派遣先の上司に対する恨みを書き込んだことだった。当初は自分の書込みに対する反論、またはそのようなことを書くべきではないといった正論が目についたが、次第に自分に同調するように、それぞれが誰かに対する恨みつらみを吐露していくようになった。それはまるで、奥田の書き込みを基に細胞が分裂を重ねて増殖していくようなもので、奥田は、どんどん膨れ上がっていく匿名の書き手たちの感情の大きさに、ひとり恐怖を覚えた。これは、このまま放っておくと、いずれ「爆発」してしまうのではと思った。一般的にそれに似たものは「炎上」と呼ばれているが、奥田が言う爆発とは、恨みつらみを書き込むことで、それぞれが気持ちをすっきりさせるのではなく、逆に恨むつらみの感情が書き手読み手を問わず、まるで爆弾のように心の中に巣食い、それがやがて、個人レベルで爆発するのではないかと言う危惧だった。個人ならまだ良い。それが集団、不特定の集団により引き起こされたら、とんでもないことになる。奥田はそう思い込んだ。そのため、奥田は自らを爆発物処理班になぞらえた。奥田にとって、この部屋で必ず身に着けるヘッドフォンは、実際の爆発物処理班が被っているフルフェイスのヘルメットと同じようなものだった。奥田は派遣の仕事をしている自分は大嫌いだったが、今の監視の仕事をしている自分のことは、大好きになっていた。

 奥田は数日前から、オカルトにまつわる事象、噂、ネタについて書き込む掲示板の、あるスレッドの書き込みに目に留めていた。それは、ジョン・タイターなど、よくある未来人による予言に関するものだったが、その中に『新約聖書』のヨハネの黙示録めいた文言で、名指しでこの街の名前を上げ、これから起こるであろう出来事が書き込まれていた。その文言は、「空の目、地の目は、見開かれるためにこそある」と始まっていた。
 
 流れる 始まりの流星
 流される 朝日の鮮血
 きたれ きたれ
 かぐわしい北の地から
 きたれ きたれ
 うるわしい東の地から
 きたれ きたれ
 つつましい南の地から
 きたれ きたれ
 なまめかしい西の地から
 (中略)
 そう 淵源の渋の谷へ
 みな 唱えよ
 さすれば
 叡智の目が見開かれる

 
 この書き込みを見た者たちの反応は、いたって白けたものだった。この類いの書き込みはほぼ毎日、無数に現れては消え、よほどの物好きでもなければ、覚えている者はほとんどいなかった。普段であればこの書き込みも、時間と共に、波にさらわれて消えていく砂の上に書かれた言葉でしかなかったが、その言葉を胸に書き留めていたのが奥田であり、名もなきYouTuberの錦戸愛斗にしきどあいとだった。奥田はこの街の爆発物処理班として、この書き込みを基に、何らかの出来事が起こることだけは絶対に防がなければならないと思った。この街の治安は俺が守る。奥田はこの書き込みに対する続報や反応をつぶさに監視しながら、この黙示録めいた書き込みの書き手は誰なのか、何とか突き止める方法を探していた。

                               つづく

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