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名言より学ぶvol.14 「好事魔多し」

物事がうまくいきそうなときには、とかく邪魔が入りやすいものだ。よいことにはとかく邪魔が入って、とんでもないことが起こりがち。

中国元代の戯曲である『琵琶記(びわき)―幾言諫父』に、「誰知道好事多 レ魔起 二風波 一」とある。

「好事魔が多し」の類義語としては「そうは問屋がおろさない」「足元をすくわれる」などがあげられます。

調子がいい人に対して戒めるときに同じような意味で「足をすくわれる」とか単に「気をつけな」というような言葉を使うことが多いですが「好事魔多し」と言えたら格好いいかもですね?


【経験談より】
既に人生の前半戦を生き抜いて来ましたが「好事」の記憶が限りなく少なく
ロクな思い出がないように思いますが、実は目指しているレベルが高すぎた?理想と現実の差が大き過ぎ、実は小さな「好事」なラッキーは数多くあったのに気付かなかった。

いや、勝手に無視していただけなのかも知れません。

まだ人生前半戦のことなので後半戦がどうなるか分かりませんが、想定外でのラッキーには気を付けたいですね、マイナス要素が強いことが予想されます。

世の中は全てにおいてバランスが取れているものです、好事を得るにはそれ
なりの努力をして獲得するか、それとも魔の部分を受け入れて納得して行くのか?

持って生まれた運が強い、引きが素晴らしい~ナドナド周囲から言われることはなくても自分自身の中では結構暗黙の了解で承知していたりするもの。

自身の半生を振り返ってみますと、もしかしたら「ここまで生きてこれたのが好事なのかも知れません、だって約4年半前には生死の境を彷徨いましたが、幸運にも生き残ることが出来ています、若干の後遺症は残っていますが・・・。

そのことが最大の「好事」であれば、もしかしたら持っている運をそこで全て使い果たしたのかも知れません。

でも後半戦いはまた何かあると信じています、必ずやもう1~2回の人生を左右する出来事に逢うはずですから用意周到な気持ちで臨みたいですね。

誰もが自分の人生における「運」のことは想うはずです、そして自分は運が良いのか悪いのかを考えますが、正解の回答は得られないと思います。

でもこの世を去る時には全てが明確になって行きますので真摯なる対応での生きることを実践し続けたいものです~魔力に引きずられるなかれ!

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