東京にきて一年が経ちましたので、一旦ここで振り返りをしておきます。

こんばちは。
タイトルにもある通り、岩手の山奥から東京にきて、はや1年が経ちました。
ここで一旦、この1年間を振り返りたいと思います。

正直、東京にきてからはかなりハードな毎日でした。
それでも何とか生きていけるているのは、強くなったからだと勝手に思っている所存です。

まず、東京にきた背景は?

◾️彼女と結婚を考えて、同棲するため
→彼女が先に転職先が決まり、そこについていく形になった
地元が大阪、特に戻りたい気持ちもなかったので、東京で働く選択をする。一緒に住む物件まで決まっていたが、直前で色々あって破談になり、別々に暮らすことになった。

①2022年10月〜12月

◾️10月:転職して、現在の営業会社に入社
→自分の仕事のできなささに絶望し、毎日枕を濡らしていた
前職、エンジニア職だった彼はいきなりコミュニケーションの壁にぶち当たる。うまく話せず、自分でもコミュ障じゃないのかと疑うほど全く話せなくなる。それに伴って、仕事の成果が上がらず、いきなり挫折。びっくりするくらい仕事ができなかった。
同じタイミングで入った同期にも負けた。

◾️11月:彼女とお別れの危機
→色々あったが、何とか解決できた→一緒にやっていくことを誓う
自分は仕事が全くうまくいかず、彼女は謎の体調不良が続く。そして遠距離ということもあり、かなり苦しい時期があった。一度あって話をした。もう別れる寸前まで行ったが、一旦踏みとどまる。その時に、誓ったことが
「嬉しい時に約束しない。悲しい時に決断しない。」これをお互い約束して、もとに戻った。あの時に誓った言葉は今でも大事にしている。

◾️12月:年末年始に彼女に実家に挨拶にいく
→緊張のあまりうまく話せず、いい印象を残せなかった
ここで謎のコミュ障を発症してしまった。緊張のあまり、記憶が全くない。何をしていたか。思い出した。調子に乗ってお酒を飲んだ気がする。それだけは覚えている。
お酒を全く飲めないのに、飲んだせいか絶賛二日酔いをもらう。楽しかったが、無茶をした代償はかなり大きかった。

②2023年1月〜3月

◾️1月:25歳の誕生日
→人生の4分の1が終了して、かなり焦る
人生の約4分の1が終了。これまでの自分、何してきたのかと、ふと冷静に考える瞬間が増えた。誕生日は一人で過ごす。彼女は体調不良で寝込んでいた。親からケーキをもらえる予定だったが、親が間違って実家に発送したため、ケーキは食べず。自分で盛大に祝った。このころ、少し体調を崩しがちでしんどかった。

◾️2月:婚約予定だった彼女とお別れすると仕事の試用期間の突破
→バレンタインの日。彼女は大きめの袋を持っていた。その中には彼の荷物。今までありがとうと告げられた。彼は納得してなかったので、色々話し合った。3時間ほど。結局別れることになった。人生で一番と言ってもいいほど泣いた記憶がある。本当に死ぬほど泣いた。翌日は目がパンパンだった。
多分、人生で最愛だった人。本当に不思議な感覚だった。おそらくまたどこかで出会える気がする。そんな感じがするようなお別れの仕方だった。まだ思い出は綺麗なままだ。
2月初旬。仕事の試用期間を突破。年始早々、いきなり同期が目の前で辞めた。いや、辞めさせられたと言っても過言ではない。その光景を目の当たりにしてから、あ、本気で死ぬと思った。本当に死を覚悟した。
その時は、毎日残業して、アポが取れるまでずっと仕事をしていた。電話をかけていた。上司にも付き合ってもらった。毎日泣きながら家に帰っていた。
その結果、なんとか試用期間を突破することができた。

◾️3月:絶望の時期を過ごす(毎日夢で元カノが登場する)
→ここから本格的に売り上げも上げていく時期。全く数字が上がらず、激詰の毎日。失敗を恐れて、失敗をすることを恥ずかしく思い、くそみたいな社会人が出来上がっていた。本当にくそみたいな人間だった。ずっと地獄みたいな生活をしていた。寝不足、体調不良みたいなのはなかったが、メンタルが崩壊しそうだった。そして、毎日悪夢を見るようになった。元カノがずっと夢に出てくるようになった。もう、これ以上何を失えば、心は許されるの?彼の心の山崎まさよしがそう呟いていた。

③2023年4月〜6月

◾️4月:山登りであまりの達成感に涙を流す
→4月1日のエイプリルフール。前日、彼はDAIGOの動画を見た。どうしてもしんどくなったら自然に触れよう。そして山登りをしよう。癒される。メンタルが回復する。そんな内容の動画を見た。騙されたと思い、いざ近くの筑波山へ。
いろんなコースがあったが、やはり一番難しいコースを選択。彼は体力には自信があっった。道中はかなりハードだった。確かにしんどかったが、目の前の崖を登っていく時はアドレナリンが止まらなかった。絶対に乗り越えてやる。そんな強い意志を持って登っていた。自分には無限の可能性がある。そう自分に自己暗示をかけて、2時間かけて登頂。登りきり、山頂からの景色を見て彼は感動のあまり泣いてしまった。
自分の存在がちっぽけに思えた。自分の悩みなど小さく感じた。心が空っぽだった状態から少し満たされた状態になった。
また頑張ろう。彼はこの経験を通して、そう思えた。

◾️5月:GWに実家に帰省
→幼馴染に相談を受ける。彼は幼馴染のメンターみたいな存在。彼女も彼と同じ状態だった。その相談をずっと受けていた。ずっと相談を受けていると、自分も気分が落ち込みそうだった。一人の時間になった時は、きつい時間があった。いろんなことを思い出してまた感傷的になってしまった。
自分を大事にしてあげて。

◾️6月:梅雨の到来で体調不良が頻繁に起きる
→頭痛がひどかったがなんとか耐えた。大幅な天気の崩れは少なかったが、雨の日がくるたびに体がいつもの10倍重くなる。常に200kgのバーベルを持っているみたいだった。何とかやりきって、上半期を終えた。

③2023年7月〜9月

◾️7月:いとことのお別れ
→身近な人の死に触れた。自分よりも若くて、友人たちからかなり愛されていたらしい。彼が最後に会ったのは学生の頃だったので、もう5年くらい前のこと。その時からしばらくあっていなかったので、知らせを受けた時は、全く実感がなかった。姿を見た時に実感が湧いた。祖父を失った時の喪失感とよく似ていた。

◾️8月:5年ぶりのテニスの試合に急遽参加
→元々出る予定がなかったが、試合3日前に急遽出れなくなったから代わりに出て欲しいと言われた。ほとんど練習もしないまま試合当日を迎えた。結果はボロ負けだが最高に充実した。学生時代にしか味わえない青春を少しだけ感じることができた。
お盆休みに帰省し、弟と人生について話した。弟は今年大学受験をする。弟は時間が全くなかったが、無理やり連れ出して温泉に誘った。その時に、弟と語りあった。今、現状はどうなのか、楽しいか、テニスはどうか、こっから先はどうするのか、などを話した。可愛い可愛い弟は、質問するといつもちゃんと答えてくれる。もっと弟のことを知りたくなってしまう。可愛い。ちなみに自分ことも聞いてくれる。仕事はどうか、大変じゃないか、結婚とかするのか、とか。まさか弟からそんな言葉が聞けるとは思ってもいなかった。弟の考えが聞けて、成長が垣間見えて嬉しかった。

◾️9月:毎日上司に激詰めの日々
→9月3週目ごろ、苦しい局面を迎えていた。数字がない。入ってこない。目の前が真っ暗になりそうだった。諦めずに何とかコンタクトを試みるが、繋がらない。アポが取れない。なのとか繋がった中から、アプローチをかけていくが、全て不発。その状態が最後まで続き、ゲームオーバー。彼は最終日にトイレで一人で泣いていた。ただ、気持ちだけは折れなかった。折れたら負けだとずっと自分に言い聞かせていた。

この1年を通して、思ったことは、彼は何もかも中途半端だったこと。それだけだった。
仕事にしても、やりきれなかった部分が多くあった。
プライベートもそうだった。筋トレにしても、趣味にしても何でもそう。
彼は上司に本質を突かれた。「もしかして、全部浅いんじゃないか?」
確かにそうだった。思い当たる節がかなりあった。
何か1つを極めるまで何かをやりきったことがあるか。彼にはそんな経験はなかった。
自分が苦しんでいるのは、全てこれまでの自分のせいだった。
大きな気づきになった。

◾️今後の予定は?どうしていくか?いつまでにするか?

ー仕事
・まずは与えられた月の目標を突破する(今年のQの目標)→12月までに
・もっとコミュニケーションを取る→飲みに誘ったりする(自分から、自ら積極的に)→12月中
・職級のアップ(今年中)→上がるための売り上げを作り、目標を達成する→今年中


ープライベート
・パートナーを見つける→そろそろマッチングアプリを本格始動させようか→来年の誕生日までに
・朝活の継続→英語(まずはTOEICを終わらせる)、筋トレ、仕事の勉強、noteの継続→まずは10月末まで続ける(週1の投稿)
・一人の時間を大切にする(永年)


ー密かな野望
・来年に結婚する(やっぱり結婚はしたい)→26〜28までにはする
・一人旅行をする→候補は仙台、新潟、岩手、福島、神奈川、北海道、沖縄→今年か来年の三連休か長期連休のどこか
・親孝行をする→父親と母親に恩返し→二人で旅行に行ってもらいたい→来年お金を貯めて、行ってもらう

こんな感じで直近は過ごしていきたいと考えてます。
まだできることはある。自分を変えるのは自分の行動のみ。今からでも変えていこう。

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