内省 3


2の続き


大人のいうことを聞いて、大人に認めてもらうことがほとんど唯一の存在意義だと思っていた私は、

お手本通りにやってみたのに、「それは違う」などと言われて、内心、かなりショックを受け、戸惑って泣きそうだった。

先生が何を言っているのか意味がわからなかった。


ーもう、、、どうすれば、いいの・・??・・わかんないよ!!



泣きそうになるのを必死でこらえ、表情を隠して、胸のあたりがキューっとなっていくのを感じた。

お城先生は、先生のほぼ真似である私のぐちゃぐちゃについて、
「自分の中からでてくるもの」が無いと判断したのであろう。

「自由に」「心のおもむくままに」という意味で 提示した例が、幼児らしくもない、「真似されるべきお手本として使われる」、ということに、多少ショックを受けているようにも見えた


普段から、子供らしい欲求をなるべく我慢し、心に拘束具をつけて、大人ブリッコしていた私に、人前で放てる自由な衝動なんてものは、なかった。
訓練された番犬のような幼児は、見る人から見れば、子供らしくなく、可愛いげがなく、薄気味悪いものだっただろう。


…描きたいものなんて、とくに、無いよ……。



小学校でも、国算理社等の「正解のあるお勉強のテスト」系と
音楽は割と得意だったものの、図工はいつもの通知表の真ん中。
いつでも不動の真ん中(笑)。
可も無く不可もなく。

「真ん中なら文句ないじゃないか」
と思われるかもしれないが、当時の私は、親の承認に貪欲だった。
なんとか自分を認めてもらうため、ほめてもらうため、
親に喜んでもらうがために。。。。真ん中では絶対ダメ!
真ん中では、親に喜んでもらえたためしは無かったから。


……願わくば、、一番上!


図工に関しては、他の科目と違って、ドリルも正解もなく、何がダメなのかも、どう頑張ればいいかもわからなかった。

うちの母親も、さほど芸術的なことに興味が無く、
たまーに父親に、家族で連れていかれる絵画展の中の個性的な絵を見て、感想を求められても
「んー、よくわからない」と苦笑いするような感じであった。


通信簿をみて、完璧主義な母親は、気軽にこう言う。

「たね子は図工がよくないねぇ。ほかは割りといいのにね。
ここが上がれば完璧なんだけどな。んーまあ、でも、こういう、図工とかは仕方ないよ。」

そんなセリフだったと思う。口調がいつもよりもやさしかったので、怒られているのではない、と少し安心した。
が、残念そうな母親の表情をみて、やはり落ち込む。


。。。わたしは、図工がダメなんだね。。仕方ないの?
やっぱり、4か5をとらなくては。


ぐちゃぐちゃが描けずに困った時の、あの、みぞおちあたりがキューっとなる感覚を思い出していた。



そんなある日。

お教室に、見たことのない知らないおじさんが現れた。

その人は、お城先生よりも、年上に見えた。

幼稚園の園長先生でもなく、お城先生の代わりにたまに来る
お兄さん先生(先生の息子さん)でもない。


「…このひと、誰だろう?」


突然現れたそのおじさんは、いわゆる、普通の、おじさんに見えた。

お城先生から、そのおじさんがもう一人の先生・お教室のアシスタントさんであるようなことを告げられる。

先生のお弟子さん的な人なのだろう。
年は先生より上に見えるが、お城先生に対して敬語を使っていた。


内省 4 につづく



内省2

https://note.com/tekumakumayak9on/n/n82b7a17d6862







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