自己紹介途中。。。

あらためまして。変身のたね、と申します。
noteを初めてから、42日になります。

つぶやきばかりで、全然自己紹介がかけませんでした。
大抵の方は、始めるときに自己紹介記事を書くのでしょうけど、私は何故かそれができませんでした。

ひとつは、何年も文章など書いていないので、まず、なまった頭を動かすのが大変だってこと。
ふたつめは、自分のことを、他の誰にでもわかるように、説明するのが面倒くさかったこと。
みっつめは、色々と怖かった、ということじゃないかな、と思います。

プロフィールにもあるとおり、HSP(HSS型?)、ADHD(ADD)、エンパス、もしかしたら少し自閉症スペクトラムもあるのかも?という感じです。

昔から自分が、小さなことも気にしすぎる、とか、まわりの人たちとなにか違う、と感じていました。細かいことが気になるので、周りと足並みが揃わず、なんとなく周りから疎まれている感じもあり。。遠い昔には、いじめも、もちろんありました。

また、まわりの人達と違うことにより、
「私は、なにかがおかしい」
「こんなことを気にするのは、ヘンで、恥ずかしいことだ」
「私が間違っている」
と、自分を責めることも多かったです。

特に社会人になってから、とても疲れやすさ、を感じています。

多数派(非HSP)の人達と同じように職場を選び、ある程度の期間勤務をすると、だんだんと体調を崩してました。

夜はなかなか寝付けないし、どれだけ寝てもめちゃくちゃ眠いし、朝になって気持ちが悪くて吐いたり、辛くなって自分から辞め、その度に長期休みをいれたり、職場も転々としました。


特に、私が声を大にして言いたいのが、自分の特質でもある、

『非HSPを擬態すること』

(擬態=何かのマネをし、なりきること)

のことです。

HSPやエンパスは、人の表情や声色、感情や雰囲気に敏感で、人のことを良く観察しているため、マネをすることが得意な人も多いそうです。

私も割とそういう傾向にあります。
近しい人の口癖はうつることが多かったし、口調も真似できます。
なんとなく雰囲気も似かよってきます。


そんな風なので、自分の「HSPっぽさ」を隠すために、そして「生きづらさ」をなくすために、
「非HSPのふるまい」をして「多数派である非HSPの人」に、なりきってきました。

10代のある時期からかな?「なんか周りと違ってヘン」な自分の性質を消したいと思ったのです。多数派の人に合わせて、多数派の人のようになろうと、必死で努力していたのです。


「ヘン」な自分を「普通」にしないといけないと思ってました。
周りに、社会に適応するために…。


周りの人は私の言動を見て、一見「"普通の"人」だと思っていることが多い。これは、仲良くなったHSPの人にも言われたのね。「明るいし社交性もあるし元気な感じだから、そうじゃないと思ってた。」って。

そう見えるように10代から頑張ってきたわけだから、その成果を認められたようで、ある意味、嬉しいけどね。
でも、本当の自分は、実は(芯は)そうじゃなくて。。

だからこそ、つらい。

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HSPの感覚の敏感さ、は生まれついてのもので、自分のセンサーとして残っているのに、そうではない人のふりをするからです。普通の人の感じる刺激の何倍もの刺激を感じたり、何倍もの葛藤を感じながら、普通の人と同じようにやっていく。

疲れやすいのも、やたらと眠いのも、睡眠が長いのも、それが関係してるんだなあ、と。
そう思うととても気が楽になりました。それまでは、単純に怠けてるだけだと思ってたから。。
寝るのが長いと、親にもたたき起こされるし、日本では特に「ナマケモノ」扱いされる風潮がないですか?それで、自分で自分を「私はナマケモノだ」と責めるわけです。


HSPの資質を「高性能カメラ」で例えた本がありましたが(ごめんなさい、タイトル忘れてしまいました)、まさにそんな感じです。

画素数も高い、音声も微細なところまで記憶するからデータが大きい。その他にも匂い、雰囲気、色、人の声色や醸し出す感情。。
人だけでなく、動物や物のこともわかるかもしれない。(人によって敏感な分野や程度は様々だと思います。)

なのに、その処理速度も普通のカメラと同じにおさめなければならない。
メモリーだってたくさん使うわけです。

すぐに疲れる(メモリーがいっぱいになる)のは当然ですよね。


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センサーとしての自分はそんな感じでも、そうじゃないほうが圧倒的に生きやすそうだったし、何より、他の人達に自分を受け入れてもらいたかったので、私はそちら(非HSP擬態する方)を選びました。

私は自分でも、どこが本当の自分で、どこからが「非HSPのフリ」なのかも、わからなくなってきています。
例えるなら、俳優さんが役作りに真剣になるあまり、
舞台を降りた日常の生活でも、役の人格から抜けだせなくなるようなものです。

私の普段の呟きを見ていただければわかると思いますが、ところどころ、なんとなく「非HSP」っぽさを装っているような気がします。「普通の人はこういうかんじだったなぁ」「こんな風に書いてたなあ」という。

もちろん、嘘をついてるわけではありません。 どちらも自分。

言い回しをちょっと、変えてるくらいのかんじです。
方言を変えてみた、みたいな。


でも、演技して「非HSP」のふりをする、っていうのもなんだかなあ、と思うし、実は、そんなことしないでいいんじゃ無いかと思ってきたわけです。。

続く

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