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遊◎機械という演劇に"人生を救われた"話

エンタメ不要説がコロナになってたまに出てた。
要らない人に要らないし、無くても生きていける。

私もどちらかといえば無くても生きていける派だけど、エンタメによって人生が救われたことが1度だけある。

人は死ぬ
今がすべてである

…という事をエンタメを通じて体感した事で、将来的に自分が持つことになったであろう重たい荷物を軽くすることができた。

その芝居は、俳優や今や演出家として日本でも大御所となった白井晃と、高泉淳子が立ち上げた「遊◎機械」という劇団の「ラ・ヴィータ」という2時間少々の演劇。

大学2年生の時に、日曜夜に寝るのが嫌で(月曜日が嫌なサザエさん症候群)毎週深夜までダラダラテレビを見ていたのだが、たまたまNHKでこの芝居をやっており観ていた。

当時三谷幸喜のドラマに出ていた白井晃が良いキャラで好きだったので、観てみるかくらいのノリだったと思う。
芝居に興味はあったけど、全然見たことなかったし、本当に偶然だった。

芝居の内容は、人生を終えかけている老人の下に、過去関わった様々な人たちがその男のために集結し(空想なのか異次元なのか世界線はナゾ)、彼との人生を回顧。
自分の人生に不満が最初あった風だった老人も、最終的には実は手に持っていたけど気付かなかった様々な大切なものに気付き、後悔し、「今がすべてだ、今がね」とつぶやきながら、あの世への旅立ちを連想させる感じでステージを静かに去って幕を閉じる…というもの。

とても概念的で大きな転換もなく、多分見る人によっては退屈だと思う。

私の場合は、終幕後、ボロボロ泣いていてなかなかテレビの前から動けず、感情が高ぶってしまい、結局朝まで一睡もできなかった。

それまで人が死ぬという事は理解していたけど、祖父母も元気で身近に死んだ人も、死にそうな人もいないし、死を迎える人がどういう事を考えるか…なんて考える機会が無かった。

人生を終えるとき、こんな後悔があるのか…。
「今がすべてだ、今がね」という老人のセリフ。
今でも私は、一度死にかけたのにやっぱり「今が全て」といえるような生き方はできておらず、そうした生き方もできない。
(ダラダラして1日何もせず無駄に過ごす事もザラにある)

でも、この芝居を観て、まず「死」は万人に必ず訪れるという事を、たった2時間の間に強烈に実感する事ができた。

そして自分の死は実感できないままだが、両親については「いつか絶対死んでこの世からいなくなる」と、この芝居を観て、強烈に意識するようになった。何で両親だけなのかは今でもよく分からないけど。

ちなみに私はそれまで両親は「人間だから死ぬ」とは概念では理解していても「なぜか私の親は絶対死なない」バイアスがかかっていた。
誰でも死は等しく訪れる事は分かっていても、自分の親が死ぬ前提で考える事なんかしたくないし、信じたくない。
でもこの芝居を観て、「あ、死ぬんだ」という事を強烈に意識をさせられたのだ。

父とは昔から折り合いが悪く、口を利かないなんてこともザラで、大学卒業後、すぐに家を出た。母ともそう。ずっとそんな感じだった。

でも、そんな中でも、その芝居を観る前までは「明日でいいや」「今度でいいや」「いつかでいいや」…と思っていたが、両親への向き合いに関しては「やりたい・やれると思ったタイミングで、すぐやる」に変えた。

まず初任給で弟含めて家族4人、電車で1時間かけてきてもらい、赤坂の東急ホテルの高級中華料理を1人1万円分、ご馳走した。
お酒も好きに飲んでもらった。
初任給なんか21万少々。一人暮らしのお金とか考えると、余興費+貯蓄分はすべてこの食事に回ったことになる。

誕生日の時には、絶対両親が自分では買わないであろうハイブランドのビジネスアイテムを毎年1つプレゼントした。

30歳過ぎ、少し余裕が出てからは、旅行に連れて行ったりも何度かした。
旅行や温泉が好きで忙しい合間を縫ってせっかく行っても伊藤園で6~7000円のホテルばかり行っていたから。

福岡では料亭「稚加榮」で3人で一番高いコースを頼み、地酒も好きに飲んでもらった。シーホークの良い部屋のホテルを取り、ゆっくりしてもらった。
カニが好きな父の為、福井まで行ってカニが美味しいホテルに連れて行ったりした。

コロナ以降は、私もテレワークで余裕が出たので、2020年、Go toを使い月1回・合計7か月間に渡り毎月近場に旅行に連れて行った。
Go to で安かったので、全て普段は止まらない宿で一番良い部屋を取った。

時には湯河原で20%引いても3人で15万円の旅館に泊まってもらった事もあった。これは両親ともにいたく感動してくれて「来年も行こう!」と喜んでくれたことを今でも覚えている。
そして普段寡黙な父だが、夕食を前に写真を撮ってあげようとしたら、ピースをパカパカとカニのように広げながら「幸せ~」と言っている様子がiPhoneのLIVE機能により、一瞬だけ動画で残っていた。

5年前に実家に帰ってきてからは、東京に行くたび、テレビや東京で取り上げられたお菓子や名物を買って食べてもらった。

情報番組で美味しそうな店が紹介されて行きたそうにしていれば、その翌週には一緒に食べに連れて行ったり、最近では車で連れて行ったりしていた。

直近の父の誕生日には500mlで5,000円近い、出羽桜の一番いい日本酒をプレゼントし、年末に自身の故郷では最高の自慢の観光地・靖国神社でお参りをし、靖国の升を買ってあげた。そして正月にその升を使い、日本酒を満を持して明け、こんなうまい酒は初めてだよと笑いながら飲んでいた。

私の両親は公務員で、父は警察官で特に退職するまで本当に24時間のほとんどを仕事に捧げる感じの人生だった。
だからピリピリもしていたんだろう。そして再就職で65歳まで働いたけど、再就職先は民間企業でちょっと鬱っぽくなっちゃうくらい環境慣れなくて大変そうでかわいそうでもあった(辞めれば良いのに、ツテでやってるから辞められなかったそう)

でもそんな中でも、折を見て美味しいものやお酒、旅行を楽しんでもらったり、折り合いが悪い事が多かったけど、「両親へやりたい」と思った事をその場で「いつか」ではなく「思い立った時」にほぼすべてやる事で、両親は喜んでくれ、私も「喜んでもらえて良かったな」という満足感を常にもらっていた。

そんなこんなで20年が経った、靖国の升で日本酒を飲んだ日から25日後。

68歳で突然父が亡くなった。朝ごはん食べて、コーヒー一緒に飲んでいたのに、その1時間後くらいに、様子を見に行った畑から電話があり「倒れて脈が無いって…」と。
病院に行くと、もう息を引き取っていた。

突然来た死。何も準備していなかったし、1時間前までは至極日常だった。
その日の16時には葬儀会社で、通夜・告別式・火葬の日取りを決めていた。
翌日午前中には、棺桶・骨壺・遺影の背景や衣装を決めていた。

でも不思議と悲しさや後悔はなかったし、涙も出なかった。
全くないと言ったらウソになる。
でも「もっとああすれば、こうすれば…」という想いがほぼなかった。

今でも後悔している唯一の事は、本人に向かって「ありがとう」「大好きだった」という事を伝えられない事だった。
生きてる間はそんなこと想いもしなかった。だから口にした事もなかった。
でも亡くなって、人生で初めて本当に取り返しが付かない事が起きた事に直面して、ものすごく後悔をしたのはこれだった。

寝ている父にそれを言ってみるけど、そこの場に父はいるけど、やっぱりいない。生きている間に、本人にこの言葉を伝えて、喜ばせてあげたかった。

もちろん、もっといろいろ連れて行ってあげたかった所もある。
ハワイで大好きな釣りをさせてあげたかったし、新聞の広告を観てカナダの紅葉やオーロラを観たいといっていたのでコロナが終わったら連れて行ってあげようと思っていたし、孫もどんどん大きくなるから楽しくなるだろうし、まだ68歳で、完全退職からたった3年しか遊んでない。

でも死んでしまってから、影膳で好物を並べたとき、お父さんが大好きだった良いお酒を香典でもらった時も「生きている内にもっと楽しませてあげれば良かったな…」という気持ちはそこまで起こらなかった。

なぜならできる限りで、出来るときに、全部やったから。
やれるだけのことは20年間やった。
だから不思議とスッキリとはしていたし、今でもあまり悲しさは無い。
いつか死ぬ、それが今来ただけだったから。

もし芝居を観ていなかったら、この20年が無かったらー。
「親は死なない」「いつかがある」「いつでもいる」と思ったままで、時間を有効に使う事もなく、死んではじめて、親が死ぬことを理解し、こんなに早く死んでしまうんだったら「もっと色々な事をしてあげたかった。いつかじゃなくてすぐやれば良かった」と後悔をしていたのでは…と思う。

私がその重荷を少し軽くすることができたのは、20年前に見た芝居で「今が全て」という実感を、強烈に刻んだからだと思っている。

エンタメは無くても死なない。生きていける。
けど確実に誰かの人生を良い方向へ向かわせるパワーも持っている。

本や、エンタメは「作り手の人生を通して感じた想いや願い」が詰まったもの。
誰かの人生で感じた「想いや願い」が結晶となって届けられた、貴重な道標でもあるのだ。

そして今実は私もエンタメ会社で仕事をしている。
本当は作れたら良いんだけど、私にはそれは無理だったので、エンタメを持続可能にしていくためのいわゆる事業部側でエンタメを作る人を支える仕事をしている。

最初に話した通り、エンタメが無くても私はどちらかというと生きていける。でもたった1度、2時間少々の芝居に人生大きく感化を受けた私は、エンタメを生業にしている。

自己満足かもしれないが、私が支えた事によって、作り手が安心してエンタメを生み出し、それがまた私のように誰かの人生を救い、ほかの人がそれにより救われ、少しでも良い世の中になりますように。
そう思いながら、実は日々仕事をしている。

昨今YouTubeやSNSにエンタメが置き換えられ、映画や作品は冗長で見てられない…という流れがあるみたいだが、本来はエンタメとは誰かの人生に寄り添い、良い方向へ人生を少し変えるような、そんな素敵な装置であって欲しいし、YouTubeやTicTok世代の皆さんにも、そんなエンタメの側面を知ってもらったり、触れてもらえたら嬉しいな~…と少し思っていたりもしている。

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