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物思いに耽る熱帯夜

約五分の一世紀ほどこの日本で暮らしている僕だが未だこの国特有のじめじめとした暑さには慣れない。

それなのにエアコンも扇風機もなぜか好きじゃないという謎の性格のせいで、

煮えそうな四畳半で何も考えずにタイピングしている。

最近ろくな恋愛もしてないため僕の今まで書き連ねてきたような小説は書けそうにもないので、

最近の僕の心のうちを勝手に独りでに整理したいと思う。

回り回る思考回路

生活の中では選択を迫られる瞬間が多々ある。

そんな選択が自分の人生を形作っていくわけだが、

選択を下す前にひどく自分の頭の中で無為な妄想をしてしまう癖がある。

例えばこんな次第だ。

満員電車で運よく座れたはいいものの、

斜め後ろからおばさま二人の視線を感じる。

キャリーバックを持ってることから旅行中なのだろう。

さぞかし疲れているに違いない。

しかしここで善意で僕が席を譲るとすると二人の間に静かな冷戦が勃発するのではないかと心配になる。

お互い同じ年代で、同じように疲れている。

しかし譲ってもらったからといって、

そこで「じゃあ私が」なんて傲慢な人間はこの国にはいないだろう。

(そのような神話を信じ込んでいる。)

だからお互い面目上「どうぞどうぞ」と思ってもいないけれど譲り合ううちに、

たまたま乗り込んできた汗くさいおっさんに席を取られ不愉快に事が終わってしまうのではないかと、

ありもしない自分勝手な妄想に想い馳せ、

何も行動せず終わってしまう。

考え出せばきりがないんだろうけれど、

自分の遺伝子が多分そういうタイプなのだろうと最近は観念して壮大な妄想を楽しんでいる自分も少なからずいる…

運命論

最近の口癖はというと「そういう運命だよ」だ。

なんだそりゃとツッコミたくなる気持ちは分かる。

しかし個人的にこの言葉は実に現実を客観視できていると思うし、

例え不幸に見舞われてもなんだか開き直ることもできる。

たまにどうしようもないことにひたすら向き合い、

自分自身の首をゆっくり絞めるような人もいるけれど、

僕からの精一杯のアドバイスは一層開き直ってみたらという投げやりな言葉。

「それは運命だよ」と一言添えて。

例えば生まれる場所を選ぶことはできない。

病気になるかならないか選ぶことはできない。

人の心を操作することはできない。

できないをできるに変えてきた人類だけれど、

こういう普遍的だけど根本的な事象は変えることはこれからもできないだろう。

そのようなどうしようもない現象に必死に抗おうと悔いても、望んでも、祈っても、

結局はそこの用意された事実が唯一無二の現実であり続ける。

だから僕ら唯一できることといえば、

今自分の心に映るもの、真実そのものを包み込むように認め、

それらを抱えて前を向いて歩くぐらいだろう。

人生はシンプルだ。

それを複雑にしているのは他でもない自分自身であり、

少し客観的に考えてみると案外心が軽くなることもある。

運命に俯瞰しながら流れるように生きていこう。






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