CA日記13日目〜(長編)最終日まさかのとんでもない展開から得たメッセージ
そもそも、この旅日記は1日目に時差ボケで真夜中2時と4時にバチっと目が覚め、あまりに眠れなく、なんとなく思いつきではじめたのだけれど。なんと旅が終わるまで書き続けることが出来た。
誰にも頼まれず1人で勝手に書く文章ゆえ正直途中でもう面倒くさいなと思い、今日は特に何もなかったのだからもう書かなくてもいっか、と思うこともあった。
それでも続けられたのは、書き始めて早々に旅日記を楽しみにしているとメッセージをくださった方や毎回イイネを押してくれる方がいたからだ!
あと、私も人のエッセイから人生の楽しみや困難さに共感し、生きる希望をいただいてきたから。有名無名に限らず世の中の文章を書いている人に敬意をはらうことができたから。とにかくやり切った後の風景を見てみようと、途中から考えるようになった。
誰にも読まれなくていいと思わないと、日記なんて書けないけれど、こうして公開するからにはやっぱり読んでもらえると嬉しいものだ。
というわけで、読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます!感謝です!
それでは最終日のまさかのとんでもない展開について書いてみます。
8/13
最終日はノープランにしていた。この旅は行く前からずっとお爺ちゃんや父、ご先祖様に守られている感があり、旅行中も毎朝ご先祖様に「ありがとうございます」と祈ることも欠かさなかった。
で、最終日は「最善の場所に導いてください」と上に投げていたのだ。そんな旅の仕方!笑
夫が地図とにらめっこして車で1時間くらいのPine forestという場所はどうか?と提案してきた。いいね!距離感もいいし、山に行きたかったし、なんといっても名前がいい!松は大好きな木だ。
朝ごはんを食べ、町のカフェでコーヒーを飲んでからいざ出発。前日から水をあまり飲んでおらずコーヒーを飲んだ時あれ?と身体に異変を感じた。
軽い脱水症状かも…。この旅でずっと風邪薬も飲んでいる。
30分も車を走らせたところでひどい頭痛がしてきて、みるみる最高潮に具合が悪くなり、後部座席に横になるもどうしても頭痛から解放されず、もう目も開けていられなくなり、しまいには車を停めて嘔吐。書いていても思い出し具合が悪くなるくらいそこから地獄のような時間が訪れたのだ。
戻るのも山道、進むのも山道で揺れる度に死にそうに気分が悪くなるので、とりあえずゆっくり進んでもらい、夫と息子には車を停めて山や川でしばらく遊んできてと頼んだ。
とにかく1人になってじっと横になっていたかった。頭痛が酷すぎて目も開けられないので山も川も1ミリも見れなかった。
最善の旅をオーダーしたはずの最終日はまさかの事態となり、息も絶え絶えに午後早めに家に戻りとにかく横になりたかった。ベッドに横になっても強烈な頭痛が治まらずにうーあーと、のたうち回った。吐き気もずっとあるけどもう胃の中が空っぽだ。
ここはアメリカ、明日は飛行機に乗る。いや、この状態ならばここからもう一歩も動けないので無理だ。頭が割れそうに痛い。目も開けられず話すこともできない。頭から指先まで神経がビリビリ痺れ、身体という私の入れ物が限界を迎えているのを感じ意識が朦朧としてきて、幻覚を見た。
うがい薬みたいな名前の西洋の城の壁にあるような悪魔が城壁の門のような場所と現れて不適な笑いを見せている。
思い出したガーゴイルだ。ガーゴイルの先には洞窟があり中は広そうで水があるようだ。水はピタリと静止していて深い不思議な青さだ。洞窟の入り口に私はひとりぼっちで立っていた。
この先は異世界なのだなと思った。
頭痛は続き遠い外国の地で自分の身がどうなるのかわからず、夜の海に溺れていくような絶望感に襲われた。私はいったいどうなるんだろう。辛すぎてしんどすぎて、状況が不安すぎてすべてが怖くて涙が出てきた。
突然孔雀が現れた。
とても大きな孔雀がドーンと現れて私の名前を呼んだ。「お前はすべて持っている。人間が一生を生きていけるための必要なこと。耳も聞こえ目も見え身体が自由に動き食べ物に困らず、住む家があり家族がいる」と。
そして本当にそうだその通りだと思い、
はじめて心から「家に帰りたい」と思った。
私の還る場所はイギリスの家だった。
お父さん助けて!お爺ちゃん助けてください。
私を明日無事に飛行機に乗せて、イギリスの家に帰らせてください。テディと会わせてください。
祈り、ひたすら「ありがとう」と唱えた。
人間最期は祈りの言葉、それも「ありがとう」でしかないのだなと直感的にわかった。
その後嘘みたいな本当の話で、目も開かず頭も持ち上げれない死ぬほど辛かった症状がピタリとやみ立ち上がれるようになった。そして泥のように朝まで眠った。
この時に、あのガーゴイルの先の青の洞窟は人間のカルマの地底世界の入口で、私はそこまで行ったのだということが理解できたのだ。
翌朝記憶が鮮明なうちにこうメモしていた。
孔雀の戦士
アメリカ人で初めてチベット仏教の最高学位である「ゲシェ」を取得したゲシェ・マイケル・ローチという方が創設したメンタルシードというプログラムにて、20,000ページ以上にも及ぶアジア古典文学の翻訳、チベット密教の経典からなる人間哲学を私は4月から学んでいる。奇しくも7月8月は「孔雀の戦士」という怒りがテーマのライフツールを学んでいた。
孔雀は毒を食べて、あのような美しい羽根になると言う。毒とは、人間の煩悩。古代のチベット仏教の経典からの教えにはこう書かれている。
今回アメリカでダウンタウンの治安の悪化や凄まじい街の荒廃具合から人間の経済的問題や社会的問題を目の当たりにした。
世界では戦争が絶えずに起こっている。人間は争いがない日を1日たりとも過ごしたことがない。
職場や家庭やコミュニティでも、自分が正しい相手が悪いと決めつけたり、人と人が自分と他人を比べ優劣をつけたり、競ったり、自己否定したり、ずっと同じ土壌でぐるぐる回り続けている。
山の家に現れた孔雀。孔雀は何を啓示しているのか?それは人間のエゴという毒を喰らうということを考えろと教えてくれたのではないかと思ったのだ。
身体が限界の淵を彷徨ったら、欲望とかエゴが全部外れ、とても小さな自分を認めた。私は地位も名誉も失うものを何ひとつ持っていないのだから、まわりの全ての人を応援しよう。心からそう思った。
アメリカに来たことによりイギリスが本当の意味で帰る家になった。アメリカに来なければこの先何年も気づけなかったのかもしれない。
長い間、イギリスに暮らしながらどこかまだ足掛けのような地に足がついてないような、私は一体何人なんだろう?というどこにも属せない感覚を引きずって生きてきた。
だけど今回の限界の淵を見たことでわかったのだ。私の居場所はイギリスの家だということが。自分の居場所を探していたけれど、還る場所はもうすでに創りあげていた。私の居場所。私の人生を織りなす場所。
あれやこれが欲しい、何かまだ足りない、もっと頑張らなきゃ、もっと手にしたい、と思うのでなく。欲望や執着をできる限り手放してここから先の人生を生きて行こう。
朝から飛行機搭乗まではスッキリ回復し元気に歩き出国搭乗もこなせたのだが、実は飛行機に搭乗してからもまた大変で、離陸前からまたもや頭痛が始まり、極限の頭痛と吐き気と闘う人生限界の10時間のフライトとなった。
機内でもマントラのごとく、父とお爺ちゃんとご先祖様にどうかイギリスまで帰らせてください。助けてください。「ありがとう」をひたすらに唱えていた。飛行残り時間を見たら精神崩壊しそうだったので一切時計は見ず、目を閉じうずくまり耐えた。まさに人生1の大ピンチ極限の10時間だった。
ヒースロー空港では飛行機から降りてすぐに車椅子に乗せられ入国審査も異例の窓口から入国するという事態に。
機内で優しく適切な看護をしてくださったブリティッシュエアウェイズのキャビンアテンダントの方々(機体後部のCAが座る席に座らせてくださり、頭痛薬や水、脱水症状に効くというジンジャエール、湯たんぽまで持ってきててくださった)、そして夫と息子に感謝してもしきれないほどだ。
そしてやっぱりこの旅は最初から冒険好きだった船乗りのお爺ちゃんや父がずっと私を見守ってくれていたのではないかと思うのだ。
だからあのリメンバーミーの町にも行くようになっていた。外国で暮らしていくという私の人生に何か軸のようなものを授けてくれたのではないかと思うのだ。
ご先祖さまありがとう。私は私以上の者になろうとせず、私の人生を満足して全うして生きます。
九死に一生を得てイギリスに帰って来れたのだ。夜、犬と一緒に庭に出てみると、しとしと雨が降っていた。地球には雨というものがあるのをすっかり忘れていた。
久しぶりの雨の匂いは、大地や森の優しい命の匂いで心を潤わせた。ふわふわの小さな生き物は変わらず無条件の愛そのもので、その黒い瞳でじっと私の顔を見つめていた。
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