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全国各地の唐揚げを食べ比べた

結論:精進料理から始まり、外食から広まり、各地で独自の唐揚げが誕生し、根づいた


1週間後はクリスマスイブ。クリスマスといえばチキン。日本で人気の鶏肉料理といえば、唐揚げ。給食など思い出のある方が多いのではないでしょうか?今回は、全国各地で食べた唐揚げについて書きます。

唐揚げの歴史

江戸時代初期、中国から伝わった精進料理の普茶料理が起源とされています。普茶料理は隠元が中国から長崎に来日し、長崎の寺院に持ち込みました。長崎は、室町時代から鎖国までスペインやポルトガルとの貿易も盛んだったため、南蛮文化が残り、日本の文化、食材が合わさって唐揚げが誕生しました。隠元は1661年、禅宗の宗派の一つ、黄檗宗を中国から持ち込み、宇治に萬福寺を建てました。インゲン豆、スイカ、レンコン、タケノコなども日本に伝えたと言われています。唐揚げなど普茶料理は元々、法要のお供え物として作られていました。昭和に入ってからおもてなし料理として、寺で提供されるようになりました。現在も、3日前までに予約すれば萬福寺で食べられます。

当時の唐揚げは、精進料理だったため、肉、魚を使わず、木綿豆腐を裏ごしして山芋などでつないだものが揚げられました。塩、砂糖で味付けし、黒ゴマを加えて生地を作ります。生地を包丁で三角形にかたどって斜めに切って成形します。油で揚げて完成です。がんもどきのような見た目で、汁物の具材としても使われていました。

鶏肉料理としての唐揚げが誕生したのは昭和に入ってからです。東京のレストラン三笠会館では、1925年、歌舞伎座前に氷水屋三笠を創業しました。しかし、相次ぐ不況の煽りを受け、閉店の危機を迎えました。当時のコックが打開策として中国の鶏料理を参考にして、骨付き鶏の唐揚げを考案しました。1932年、提供したところ、「銀座に来たら三笠会館で鶏の唐揚げ」と言われ評判になり、閉店の危機を脱しました。銀座三笠会館だけではなく、池袋パルコやパークシティ武蔵小杉でも三笠会館の唐揚げを食べることができます。

池袋パルコで、三笠会館の鶏の唐揚げを食べました。骨付きのまま、丸鶏をぶつ切りにしているためか、手羽、胸肉、モモ肉の3種類が食べられました。切り込みを入れているためか、骨から身が外れやすく、食べやすかったです。一口ほおばると、醤油とごま油の香りが広がり、サクッとした衣、肉がやわらかくジューシーで、あっさりしていました。

三笠会館の鶏の唐揚げ 5個1300円

同時期に、大阪にあるニューミュンヘンというレストランでは、鶏のもも焼きが名物メニューでした。余った胸肉を活用するため、三笠会館で評判になった骨付き鶏の唐揚げを参考にして、若鶏の唐揚げというメニューを考案しました。

他にも17世紀、河南省漢族の伝統料理だった八塊鶏がルーツという説もあります。八塊鶏とは、1羽の若鶏を8等分し、下味をつけて、そら豆のデンプンをまとわせてから揚げる料理です。河南省開封を訪れた清王朝6代乾隆帝が訪れたときに気に入り、宮廷料理に導入して広まりました。

いくつか説はありますが、原型は中国から日本へ唐揚げの元となる料理が伝わったことは間違いありません。

ザンギ

道東の中心、釧路が発祥とされています。釧路川の河口にかかる幣舞橋の北東側の栄町は釧路一の繁華街です。栄町にある「鳥松」がザンギ発祥のお店といわれています。1960年代、ブロイラー一羽まるごと部位ごとに分けてからぶつ切りにし、唐揚げとして出したことが始まりです。

ザンギは骨付きが基本で胸肉など、様々な部位が混ざっています。一方、唐揚げはももなど部位を分けたものと区別されています。

しょうゆ、生姜、ニンニク、砂糖、塩コショウなど濃いめの味付けが特徴です。片栗粉にまぶしてラードでさっと揚げます。釧路では、オイスターソースにつけて食べる方も多くいます。「ザンダレ」と呼ばれる甘辛いタレを掛けたりつけたりするスタイルもあります。ザンタレの種類は増え、味噌風味、ネギダレも登場しています。釧路市内の居酒屋、ラーメン店、中華料理店でもザンギは提供されていました。鶏だけではなくタコのザンギもありました。

中国語で鶏の唐揚げを意味するザーギーに縁起を担いで真ん中に幸運の運を入れて名付けられたと伝わっています。散切りという音の響きもかけていると言われています。

釧路で食べたザンギは、普段食べているからあげより、濃いめの味付けで、ご飯が欲しくなります。揚げたてはジューシーでアツアツです。

釧路市にあるラーメン店で食べたザンギ

山賊焼

鶏モモ肉をニンニク、醤油、みりんなどで下味を漬けてから豪快に揚げた料理です。長野県中西部の松本地域が発祥です。JR篠ノ井線、中央本線塩尻駅から徒歩5分のところにある居酒屋、「山賊」の看板メニューが発祥とされています。名物料理を考えているときに、店名の山賊から、「山賊はモノを取り上げる」→「鶏揚げる」という発想に至り、誕生しました。

ちなみに、山口県中央部の山口地域にも、山賊焼きがあります。山口県の山賊焼きは、骨付きもも肉を一本炭火、オーブンなどで照り焼きした料理焼です。

からあげセンター

松本駅、上田駅ビルにあります。長野駅でも、テイクアウト専門店があります。唐揚げも山賊焼きも両方食べたいときは、山賊焼と唐揚げのセット。待っている間や唐揚げ、山賊焼の箸休めには、ガリもやし。ガリともやしが合わさったからガリもやしと言います。酢強めで、箸休めにピッタリです。唐揚げはもも肉を使用し、しっかりした味付けでした。山賊焼は胸肉を一枚あげたもの。ぱさつかず、唐揚げよりあっさりしています。見た目は大きくてもあっさりしているため、平らげられます。

中津の唐揚げ

大分県北西部にある中津はからあげの聖地と呼ばれています。東隣の宇佐市にある庄助が唐揚げ専門店の発祥とされています。中津市や宇佐市では、惣菜店や精肉店で販売されており、からあげは家に持ち帰って食べることがほとんどです。量り売りが一般的で、100gあたりの値段が書かれています。余った唐揚げは翌日の弁当、翌朝の味噌汁に加えたり、炒飯の具材としても活用されるらしいです。

中津市、宇佐市で唐揚げが食べるようになったきっかけは、戦後の食糧難。民家の庭先で飼育されていたニワトリが貴重な栄養源になりました。捌きたては刺身、時間が経つにつれて焼き→唐揚げとして食べられていました。濃いめの味つけの理由は、当時、臭み消しのためにニンニク、ショウガを強めに利かせ、一晩タレに漬け込まれていたからと考えられます。鶏肉は鮮度が落ちやすいため、消費期限期限ぎりぎり辺りから臭いだします。

精肉店で唐揚げを買いました。ニンニク、ショウガが効いており、しっかりした味。もも肉もジューシーで100gは軽く食べてしまいます。

今回は、唐揚げについて、とりあげました。各地で独自の進化を遂げています。皆さんの住んでいる地域の唐揚げや唐揚げの思い出にについて、ありましたら、コメント歓迎です。

参考文献


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