真田氏の歴史を巡る旅 松代編
長野駅善光寺口バス停からバスで30分。途中、川中島古戦場、長野ICを通過します。松代駅に到着。
松代まで直通すると、片道660円。松代以外に、善光寺、川中島古戦場など他のスポットも観光したい方のは、「善光寺・松代1dayパス」がオススメ。善光寺大門〜長野駅〜松代間が一日1500円で回れます。こどもは半額の750円。
旧松代駅
松代町のバスターミナルを担う松代駅。大正時代に建てられた100年以上もの歴史をもつ木造駅舎。2012年3月、長野電鉄屋代線の廃線によって鉄道の玄関口としての役割を終えました。現在は、情報センターとして活躍しています。松代駅の歴史を知る写真があります。
長野市松代町は、1622年、真田氏が上田から松代藩の藩主として松代城に引っ越してきました。松代城を中心に長野県最大の城下町として江戸末期にはすでに1万人もの人々が住んでいました。現在でも現存する武家屋敷、補足複雑な道など、街並みに強く名残が残っています。今回は、城下町松代の歴史を学ぶために訪れました。
松代城
越後の名将、上杉謙信と甲斐の名将、武田信玄の名勝負が、川中島合戦。12年にわたって5度の戦いが行われました。(2回のみだった説もあり。)川中島古戦場は松代町からバスで6分で行けます。
松代城は、当時、信玄の名参謀だった山本勘助が武田氏の拠点として築城したと伝えられています。築城時は「海津城」、「貝津城」、「茅津城」とも呼ばれていました。南北の千曲川の外堀に、西、東、南の三方を囲んだ山々を防御として利用。武田信玄は甲斐から信濃
1622年、真田昌幸の息子、信之が上田から松代へ引っ越しました。松代城に住み、松代藩初代藩主に就任。その後、10代、250年にわたって統治しました。天守閣は明治時代に壊され、現存していません。石垣しか残されていませんでしたが、2004年、櫓門、木橋、石垣、土塁、堀などが復元されました。
日本百名城の一つであり、旧松代駅から徒歩3分、真田宝物館のそばにある松代観光案内所では、松代城の御朱印が3種類、オリジナルのクリアファイルを購入できます。
真田宝物館
真田家から譲られた武具、書物などの道具を収蔵、展示する博物館。国の重要文化財「青江の大太刀」など貴重な品々が展示されています。5万点もある貴重な資料は年4回展示が変わるため、季節が変わるたびに行くと何度言っても新しいお宝に出会えます。250年にわたる松代藩、真田氏の歴史を知ることができます。
ちなみに、真田氏の家紋といえば、江戸時代の銭を横に3枚、縦に2列並べた六文銭。これは、仏教で迷いある者が生死を繰り返す6つの世界で修正を導く地蔵菩薩にささげる報賽銭に由来しています。死を恐れない武士の心意気を表しています。
長国寺
旧松代駅から徒歩。1622年、真田氏が松代に引っ越すときに、尊敬している伝為晃運禅を連れて菩提寺として建設。現在の本堂は1886年再建。松代城にあった鯱、天井瓦を利用しているのが特徴です。
長国寺は、12代目までの墓所、4代目までの豪華な霊屋が造られました。現在は、初代、4代目のみ霊屋が存在。初代は2022年年末まで修復中。ちなみに、13代目は青山霊園にあり、14代目は横浜に在住しています。4代目の霊屋はゾウの彫刻、鳳凰が天井に描かれてたり、鮮やかな彫刻や絵が描かれています、上田市東部の真田町に長谷寺があり、真田氏を知るうえで重要な場所です。真田家の墓所は300円を納めることにより、見学可能。
江戸時代の真田氏の拠点となった松代。現在も歴史を感じる街でした。戦国時代、徳川家康をあと一歩のところまで追いつめた戦国武将としての真田氏について、近日、上田での旅を振り返りながら更新します。上田市の真田氏の歴史は、上田城、真田歴史館、真田神社など見所豊富でした。
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