小説 雲丹にキャベツ

朝、目が覚めてもベットからすぐはでない。カーテンも閉め切ったままで、とりあえずもう一度目を閉じる。そのまま二度寝に入ることも多々ある。仮に目が覚めても、ベットの中でうねうねしているか、充電器につないである携帯を引っこ抜き、SNSで情報をあさる。昨晩も寝付くまで見ているので、そんなに更新はされていない事を確認して、携帯を閉じる。
 朝の尿意は一番ベットから出させる力を持っている。怠いなぁと感じながら体を起こす。近くに転がっているリモコンを手に取り、テレビをつけて、トイレに行く。トイレの中から薄く聞こえるテレビの音を聞きながら少しづつ覚醒をしていく。トイレから出て、手を洗う。寝ている時にどこを触っているかわからないから、トイレに行かなくても手を洗う。昔はそんなこと気にはしていなかったのだけれど、数少ない友人と他愛のない話をしていた時にこんなことを言われた。
「朝起きたら手がなんか醤油みたいな匂いがするんだよ。」
それに気づいてから友人は毎朝手を洗っているようだ。初めはどんな匂いだと笑っていたが、ある日何となく手からそんな匂いがした。その時から、自分自身も毎朝手を洗うようになった。確かに、睡眠中の無意識の中ではどこを触っているかわからない。自分の癖として、リラックスした場所でお酒を飲み、酔っぱらって横になり出すと、ケツ毛を抜く癖がある。仲の良い友人宅でそれをしてしまい、そっと出禁になっている。あと、足の裏をよく触る。靴など履いていれば触りはしないが、お座敷などの飲み屋などで酔っぱらうと無意識に触りだす。途中で気づくのだが、その時は辞めても、気づいたらまた触っている。そんな自分だからこそ、手は常に汚れているような気がしてならない。人を殺した後の様にガシガシと洗うわけではなく、水で濡らした手に石鹸を軽くつけ、満遍なく手にのばし指の股や付け根などを気にしつつ洗いゆすぐ。最近気づいたのだが、右の手の甲の洗浄がお粗末になっていることに気づき、意識的に石鹸を擦り付ける。そうして、歯を磨き、顔に申し訳程度の水をつけ、タオルで拭く。
 そのまま朝食の準備をすることもあるが、もう一度ベットに戻ることもある。こんな生活を続けているのが、一人暮らし間もない学生ではなく40を手前にした既婚のおっさんであることがたまに胸に加重をかける。当然お金持ちな訳ではなく、妻が毎日と外に働きに行く。それを見送るようにベットから手を振り、今の動きをしている。まったくもって働かないわけではないが、40手前にして、ちょこちょこと単発のバイトをしてはこの生活を繰り返している。妻も妻で良く離婚を切り出さないものだと不思議に思う。同級生の知り合い、もしくは今までの人生で知り合った人たちは、職を持ち、家を構え、子供を育て、苦しいながらに人生の役割を果たしている。自分もそうだった。いや、そうなろうと思っていた。そう思いながらも、妻が加入したネットテレビの入ったタブレットで映画を検索してみたかった映画、そうでもない映画をただ、流し見ている。腹が減っては、タブレット事台所に移動。若いころから家事は一通りできるので、冷蔵庫、冷凍庫から食材を抜き取り調理する。盛り付けも健康も気にしない何となく食いたそうなものを作り、丼に白米を盛り、その上におかずを乗せる。汁物が欲しくなり、湯で溶いただけの味噌汁に、妻が食品を長持ちさせるために切り分けている小分けの冷凍ネギを冷凍庫から抜き取りみそ汁の丼ぶりに散らす。そうして、箸を片手に流しっぱなしの映画を見る。二時間近くが過ぎると、晴れていれば洗濯か部屋の片づけをする。布団やラグマットを外に干し、ごみを捨て、掃除機をかける。それか、溜まった洗濯物を洗濯機で二回分くらいかける。晴れた日に外で干される洗濯物を見るのは気持ちがいい。妻が帰ってくるまで、もう一本映画かドラマをみるか、ベットでゴロゴロと過ごす。子のいない生活は自由といえば自由だ。だけど、こんな生活がいつまでも続くとは思ってはいない。
 皆、他の人達は老後に備え、今、必死に生きているのだと思う。体力がまだ残っているこの時期に資金をできるだけためて、少しでも老後に楽ができるように。自分一人なら、このままこの暮らしを続けて、野垂れ死んでもいいとも思う。この堕落した生活の中に身を落としている自分に微かに残る罪悪感。いつも笑顔で頑張っている妻の顔がちらつくどころの騒ぎではない。ずっと目の前に映っている。考える。考えてはいるが、この年になると考えるより動かなくてはならない事にたどり着く。動く内容もビジョンも見えてはいない。若い頃、20代前半の様にがむしゃらに何かが動ける気がしない。一通り頭を巡らせ、アイコスにタバコを差し込み、電源を入れる。紙タバコを辞めて二年。まったく火をつけるタバコを吸わないわけではないが、いつしかこの電子タバコと言われるモノの方が体に合ってきた。妻は言う。
「タバコ辞めたらいいのに。」
その話題が始まれば居心地が悪くなり、全力でふざけ、話題を変える。経済的な事は勿論、妻は自分の体を心配している。それも感じる。年々体重は増え、アレルギーが増え、体はガタガタしている。それでも、タバコだけは辞める選択肢がない。お酒はたしなむ程度、まぁ、これも加齢により、弱くなったのが原因ではあるが、昔から毎日晩酌をしないと眠れないというほど酒好きではなかった。たまに飲むくらいがちょうどいい。
 時間は昼過ぎ、一通りの家事を終わらせ小さなちゃぶ台の前に座る。普段、一人ではあまり見ないテレビをつける。この時間帯はほとんどがワイドショーだ。芸能人の不倫やら病気、事故、お得な情報など、毎日毎日ネタを拾い形にしている人々に感謝と敬意を払いながら、お茶をコップに注ぎ一息・・・いや、ずっと一息ついているなと気づくが、どうしようもないので、とりあえず切ない思いごとお茶を喉に流し込む。
テレビでは、海栗の養殖の特集をしていた。昨今、異常気象や環境の変化により、海栗が育たなくなっているという話題。そこに目を付けた人が、養殖で増やそう!餌代かかるな。どうしようか。そうだ、キャベツ上げてみよう。出荷できずに捨てられるキャベツいっぱい余ってるじゃん。腐らせて、肥料にしかならないならこれでうまくいったらWINWINじゃねぇか?的な発想。そして、うまくいった。天然の海栗とキャベツ養殖の海栗、割ってみると身のつまりが全然違う。キャベツを与えた方はぎっしりと身がつまり、味も甘いそうだ。おいしそうに食べるリポーター。
自分は、比較のために割られた海栗の方に目が行ってしまう。彼?彼女?の海栗生(人生の海栗版)はどうだったのだろうか。身が詰まっていようと詰まってなかろうと、彼?彼女?の生き方に問題はあったのだろうか。ただただ、海の底で貧しいながらに生きてきた海栗。多分身が詰まって無いと言う事は、食うには困っていたのだろう。しかしその中でも、数多なる捕食者から逃れ続け、二年か三年、もしくはもっと生き続けていた。たった一回、網か手づかみかわからんが人の手に捕まってしまった。これは人間のエゴだが、もし、捕まってしまったとしてもリポーターが
「天然の海栗です」
と、
「うわぁ、身が少なくても旨味がギュッと詰まってますぅ。」
なんて言われれば、まだ救いもあるでしょうに。彼か彼女は割られ、養殖の、何不自由なく飯を食べて居た奴との【比較】のためだけに割られたのだ
「見てください。こちらが天然の海栗です。身は少ししかありません。こちらは養殖の海栗です。廃棄キャベツを食べて育ちました。見てください!身がぎっしり。」
おいしそうにぎっしり詰まった方の海栗を食べ、リポーターは言う。
「キャベツの甘味でしょうか。ほのかに甘く、口いっぱいに雲丹の香りが広がります。」
絶賛である。
 そのままでよかったのに。海栗にしてみれば、空腹かもしれないが、静かに波に揺られ、海底に漂っているだけで幸せだったかもしれないのに・・・・。少し胸が痛くなる。
しかし、安価でおいしい海栗が食べられる世の中が近づいてくれるのは消費者としては願ったりかなったりだ。画面越し、考えてくれた業者さんにそっと感謝を述べる。
「ありがとう」
そんなことを考えながら、テレビを消し夕食の支度を考える。勿論、雲丹なんて高級なものは何の記念日でもない今日、食卓に並ぶことはない。今日は何にしようか。テレビを消し、ベットに横たわる。あと数時間もすれば妻が仕事から帰ってくる。それまでに温かい食事を作らなければ。
窓を開けた部屋に秋の心地いい風が入ってくる。すっかりと涼しくなり、むしろ少し肌寒いくらいだ。起きた時に雑に端の方にまとめられた掛け布団を被る。丁度良い温度だ。
ぬくぬくと丸まっていると先ほどの海栗の一件が頭に呼び戻ってくる。
「では、養殖用に囚われた方の気持ちを考えてみよう。」
良く分からない博士の様な格好をした頭頂部がはげ、両サイドの白髪がもしゃもしゃとなり、鼻が異様にでかい男が白衣を着て人差し指を挙げている。昔見た漫画の博士だ。ロボットを作る人だ。博士は続ける。
「先ほど、あなたは天然の海栗の方を悲惨だといった。しかし、養殖の海栗も昔は天然だった事を忘れてはいないかい?」
その通りだ。彼ら?彼女らもまた、広い海原の海底で海栗ライフを送っていたに違いない。
「お父ちゃん・・・・お腹すいたよう・・・・。」
産まれたばかりの子海栗が隣で転がっている父海栗にか細い声で語りかける。
「子海栗よ。この海にはもう、我々の食べるものはないのかもしれないなぁ・・・」
父海栗は悲しそうに自らのトゲトゲをそっと子海栗に充てる。
「痛い・・・・」
「ごめん。」
人間ならば、幼い子供の肩でも抱きたい所だが、海栗同士だからしょうがない。
「このままお腹減ったら死んじゃうよ・・・」
「そうだな・・・・」
なすすべのない父海栗、ひもじそうに波に揺られる子海栗。そんな時、海の底に潜ってきた海女と言う人間に子海栗はさらわれてしまう。
「お父さぁぁぁぁん」
「子海栗ぃぃぃぃ」
父の叫びもむなしく、あっという間に子海栗は攫われてしまった。何もできなかった。わが子が目の前で攫われたのに、父海栗は何もできなかった。この時ほど、自らが海栗である事を恨んだことはない。父は思う。数年前、母もあの海女と言うものに攫われてしまった。多分食べられるのであろう。我々の固く鋭い棘もモノともしない、白いぶわぶわとした手。奴らは我々をつかむと一気に浮上する。陸から来たものであることは明確である。しかし、攫われた仲間がどうなるかは分からない。自然の営みとして、食べられるのであろうと想像をめぐらすのがやっとである。
「妻も子も奪われてしまった。」
父海栗は嘆く。嘆くが何をどうする事もできない。だって海栗だから・・・・。
失意の中、いや、失意と空腹の中、海底でも皆と同じように時間は過ぎる。二年、三年が過ぎた時、父もまた、海女によって攫われたのである。
「ああ、私はこの時を待っていたのかもしれない。」
父海栗は妙にすがすがしい気持ちで海女の手の中で最期の時を覚悟する。父海栗にはすでに恨みや嘆きなどなかった。あの時、代わりに私が捕食されればよかった。そう思う気持ちは今も父海栗の心の奥底にはある。しかし、どれほど願ってもそれは詮無き事。静かに最期の時を待とう。父海栗は思う。
「これで、母海栗にも子海栗にも会える。」
どこかで聞いた【天国】と言う存在を夢見て、静かに目?を閉じる。
「天然の海栗です」
この海女と言うものの仲間だろうか。甲高く、とても不快な声が聞こえる。きっと、飯にありつけて喜んでいるのであろう。父海栗は最後の時を待つ。
「お・・お父さん・・」
どこか懐かしい、そして愛くるしい声が聞こえる。
「!!」
まさかとは思いながら、ゆっくりと目?を開ける父海栗。その隣には、三年前に連れ去られた子海栗の姿があった。
「お前・・・生きていたのか・・・」
父海栗とさして変わらない大きさに成長した子海栗が涙を流しながらそこにいた。
「大きくなっグギャ・・・・」
父海栗の喜びもつかの間、心無い包丁が父海栗を両断する。
「お父さぁぁぁぁんグエッ」
成長した子海栗も叫ぶと同時に両断される。
「見てください。こちらが天然の海栗です。身は少ししかありません。こちらは養殖の海栗です。廃棄キャベツを食べて育ちました。見てください!身がぎっしり。」
リポーターは、海栗をおいしそうに口に運んだ。

 切なくなってしまった。
まさかの再会。養殖海栗と天然海栗が親子だったとは。布団を剥ぎ、体を起こした。
しかも、またしても、天然の海栗よりの想像をしていたことに気づく。博士ごめん。心の中で博士に詫びる。
「さて、今日の晩御飯は何にしよう。」
考えがまとまらず、変な妄想をした事で時間はつぶせたが、なにかこう、モヤモヤが残る。そもそも、ピックアップするのはそう言う所ではなく、狭い水槽に入れられ、キャベツを食べさせられていた時間ではないのか?
キャベツ・・・・海栗達にしてみれば未知の食べ物である。海中では決して出会うことのない食材である。言わずもがな、キャベツは陸地、畑で育つ。普通に生きていれば出会うことのない食材である事は明白である。しかし、人の手によって二人は出会ってしまった。まさに禁断の果実、いや、禁断の野菜である。
人の手により、大事に大事に育てられえたキャベツ。何の競争もなく、のどかに育つと思いきや、度々、引き抜かれる。そう、間引きである。夏の暑い日も雨の降らない日も、逆に雨が降りすぎた日も共に育ってきたお隣さんだ。もしかすると兄弟のような関係だったかもしれない。少し、背が低くか弱い部分もあるが、こいつはこいつで生きている。キャベツなので、言葉を交わすことはできないが、通じていたであろう。隣の存在を肌で、いや、葉で感じながらお互い懸命に生きてきた。ある日、ザクっと言う乾いた音と共に、隣から気配が消える。最初は、なにか物悲しく、心の整理ができないであろう。しかし、月日がながれれば、かつての兄弟のような友人のいた場所に自分の葉が伸びている。
「ああ友よ、私は大きくなってしまった。おまえの分までしっかりと生きよう。私の体は私一人のものではないのだから。」
とかなんとか石川啄木か、太宰治か、名のある文豪のようなセリフを吐きながら、キャベツはしっかりと根を張り、成長をする。収穫の時、まさかの選別。精一杯成長をしたキャベツを見て、人は言う。
「ああ、開きすぎちゃったね。」
根から切り離され、刈られたのにだ。また畑に投げ捨てられる。似たような仲間が集まり、山になる。時間が経ち、その身は腐れていく。キャベツは思う。
「友の居場所までうばい、この様はなんだ。私は何のために生まれてきたのか・・・・生まれてきてごめんなさい。」
太宰治だ。詳しくは知らないがきっと太宰治の心境に近いのかもしれない。幾度となく心中を繰り返し、自分だけが生き残ってしまう悲劇にも似た感情。
 何の話をしているのか。そうだ。キャベツの話だった。いや、そろそろ夕食の準備に入らなくては‥‥最近は一気に冷え込んできた。ロールキャベツにでもしよう。雲丹は無理でも、キャベツなら食卓に並べることはできる。
 一日の仕事を終え、疲れ果てた妻は笑顔でその日に起きたことを話す。温かい料理を二、三品並べ、バラエティ番組を見ながら笑いあう。とても幸せな日常だ。この日常が居心地の良い場所なら守らなければならない。妻の口からさらりとこんな言葉が出る。
「仕事見つかった?」
見つかってはいない。探してないわけではないが本腰を入れて探しているかと問われれば、何もしていないのに等しいであろう。恰好をつけて、「あろう」とか思っている自分に少し腹が立った。
「う~ん。中々ねぇ‥‥」
さも、探している雰囲気を醸し出す。妻の顔が少しだけ曇る。分かる。そりゃ曇るよね。そう思いながら、ここぞとばかりに携帯で仕事を探すふりをする。一応、良く分からずに登録した求人情報サイトから毎日のように届くメールを開く。

何がしたいのかわからない。

自分になにが出来るかも分からない。【他に】何が出来るかを知らない。結構なピンチだ。
何とかなくバイトを続け、中身が壊れだしたのは数年前。激しい苛めにあったわけでもなく、とてつもないプレッシャーに押しつぶされたのでもない。昔、まだ幼いころに聞いた母親の一言が徐々にこの年になりボディブローの様に効いてきたのだ。
「あんたにはどうせできないんだから。」
幼少の頃、体が小さく、末っ子だったこともあり、割と甘やかされて育ってきた方だと思う。母親は、自分を大事に育ててくれた。暴力があったわけでも、ネグレクトを受けたわけでもない。先の言葉も、何気ない日常で使われた「代わるよ」の意味くらいだった。
それがいつしか、頭の中で繰り返されるようになっていった。何もない日常、ちょっとしたミス。何がきっかけでこの言葉が頭に聞こえるかは分からない。20代を過ぎ、半ばに差し掛かった頃、この声は大きくなっていった。気にしないようにだましだまし、普通の生活を送ってきたのだが、だんだんとこの言葉に身をそがれ、30を超えたあたりですっかりとその言葉に飲み込まれてしまった。
「なんか良い仕事あった?」
食後のお茶をすすりながら、テレビを見ている。
「今日はないねぇ。」
携帯を閉じ、自分もお茶を飲む。妻もそれ以上は何も言わず、だんらんを過ごし、眠りについた。
 朝になり、また同じような一日が始まる。一人になれば、また、キャベツと海栗の妄想が沸々と頭の中で声を上げる。何がそんなに引っかかったのか自分もわかってはいない。今日はその分からない部分を妄想し続ける気もする。
部屋の掃除機をかけて、一息をつく、今日は体が起きているおかげで、朝から掃除機をかけることができた。自分に120点を挙げたい。
二日連続の晴れ間に、昨日は洗濯、今日は布団を干し、部屋を片付ける。掃除機をかけ、散らばったいくらかのゴミを捨てる。メインのゴミ箱は一階の台所にある。毎朝、仕事に行く妻がごみを出す。たまに量が多かったり、雨が降っていたならば、寝起きの自分が寝巻のまま、近所の集積所に出しに行く。
ふと気づく。
 自分はここ数週間、前の仕事ともいえるか分からないバイトを辞めてから、この近所から出ていない事に。
ああ、気が付けば自分は小さな水槽に移された海栗とあまり変わらないのかもしれない。海栗はいつから雲丹に代わるのだろうか。昨夜、寝る前に海栗に取りつかれた自分は読み物として軽く携帯で検索をかける。体を覆う成分や属性、主食など色々と書かれた情報が画面に並ぶ。そんなものを軽く見ながしていたが、漢字の違いに目が留まったことを思い出す。
自然界に生き、生物としての表記は【海栗】や【海胆】であるらしい。しかし、これが食材になると【雲丹】になる。多分中身を割られた姿の事だと思う。雲のような丹・・・丹ってなんだ。生きてる内は【胆】の字が使われ、死ねば【丹】になる。調べれば多分色々出てくるのだろうが、自分にそこまでの興味はない。調べたところで、一瞬は満足するだろうが、その理由を覚えるわけでもなく見ながして終わる。そんな人間である。そんなことを考えながら自分と海栗との共通点を探す。
 広くもない、むしろ小さな家の中に引きこもり、たまに買い物に出る生活。限られた範囲を右往左往としている様は、なんとも情けなくも感じる。その点、海栗は広い海原の底に存在している。
・・・待てよ。広い海底に存在していても、活動範囲はほぼ変わらない。狭い領域なのではないか?自分も広い地球の陸地に存在はしている。ただ、活動領域が半径五百メートルくらいなだけではないか。
ああ、近づいて来た。自らを固い殻で覆い、他人を近づけぬよう、文字通り尖った奴らだ。どことなく自分の内面に似たものを感じる。しかし、自分の棘はすっかり折れきっており、何なら鑢でもかけたように綺麗な球体にでもなっているような気もしている。
「ツルツルとしたわが身をなでるように波が通り過ぎている。ただただ、暗い海底に沈んでいる自らに誰が話かけようか‥‥」
 また、どこかの文豪のふりをした何者かが、頭の中で詩とも言えない詩を語る。
「あんたにはどうせできないんだから。」
呪いの様に聞こえるこの母の言葉が若かれし頃に生えていた棘を一本一本へし折っていく。いや、折ったのは数ある失敗や経験である。この言葉は折れた後に鑢をかけていく作業なのかもしれない。
昨晩から不安定な内面に、より一層と拍車をかけ、自らの内面は荒れ狂う海原状態である。その海中には海底に流されぬように地面に針を突き立て、もしくは岩場で踏ん張る海栗がいる。地上ではバタバタと風にあおられているキャベツ畑があり、その近くには日がな一日ポンプにより、空気を送られないと息すらままならない水槽の中の海栗。轟轟と吹き荒れる風に、すべての者が揺らされ、何かないかと手探りで掴むモノを探している。海底ならば岩場や地面であり、畑ならば、自らが伸ばした根っこなのかもしれない。一番不安定に揺れ動いているのは外に出された水槽である。少しの隙間があるくらいに入れられた海栗達はこの荒れ狂う世界にどう踏ん張ればいいのか。一層の事、はじき出され、この風に乗り海に戻ることはできないのか。そんな淡い妄想を抱きながら透明な壁面へとその身を充てる。カシャリとくぐもった音を少しだけ水槽内に響かせながら、打つ手もなくその体は揺れ動き、仲間の上へ下へとその体を転がせていく。

 時間はもうすぐ夕方を迎える。自分の精神状態の嵐とは裏腹に外ではさわやかに涼を含んだ風が部屋の中へと流れ込んでくる。短い秋を終え、もうすぐ冬が来る。冬が来る前に何とか新たな一歩を踏み出したいと願うが、何の見通しもつかない。人と関わる仕事か、黙々とPCに向かう仕事か、はたまた何か手に職をつけるような仕事か‥‥。今日も妻に聞かれるであろう。
「仕事見つかった?」
そして、自分はこう答える。
「いやぁ・・・ないねぇ・・・」
と。自分はいったい何者なのか、この年で見失うのもなかなかつらいものだ。仮に妄想の中だとしても、天然の海栗なのか、養殖の海栗なのか、もうすでに雲丹なのか。はたまた畑になっているキャベツなのか、もっといえば、間引きされたキャベツなのか。ただ一つ言えることは間違っても出荷されるようなキャベツではない。と言う事は【雲丹】でもない。一般の生活。食卓に並べる身分ではないと言う事だけは、はっきりしている。
窓の前に立ち夕暮れ時の風を受けながら今日の晩御飯を考える。晩御飯のレシピと一緒に、このままの生き方への不安はどんどんと大きくなっていく。頭の中には常に、
「何がしたい?」
と言う疑問だけが浮かんでは消えていく。
「あんたにはどうせできないんだから。」
そう、どうせ自分にはまともな生活はできないのだ。なのに、結婚した。私の隣には妻がいる。それは唯一の希望であり、プレッシャーでもある。もしかしたら【普通】になれるかもしれない。普通という言葉にあこがれ、夢を見ている自分に気づく。もしかすると他の人間もこういった考えを持った上で、【普通】に暮らしているのかもしれない。
それはそれで、また、自らの劣等感を掻き立てていく。海栗となり海底に沈みたい。そうも思うが、恐らくは海栗になった所で同じ感情を抱くのだろうなとも思う。周りの海栗はちゃんとしているのだ。キャベツになった所でそれも同じ。ほとほと自分のマイナス思考に嫌気がさし、窓を閉める。米を洗い、炊飯器にセットする。しばらくは水につけ、冷蔵庫をあさり、適当な食材を切り刻む。準備が出来たらまず、汁物を作る。30分ほど寝かせた炊飯器のスイッチを入れる。後は、炊き上がる時期を見計らって、先ほど刻んだ野菜をいためて今日のご飯の準備はお終いだ。手抜きかなとも思うけど、たまにはそんな日もあっていいだろうとも思う。ああ、冷凍庫に魚があったな。それくらい焼くか。
しばらくすると、妻が帰ってくる。それに合わせて、野菜をいためだし、妻が風呂から上がるころにはご飯も炊きあがっている。焼き魚と野菜炒めとみそ汁とご飯。栄養バランスはすこぶるいい。妻はテレビを見ながらそれを口に頬張る。妻の箸の速度も順調だ。まずくはないみたい。自分もそれを見ながら米をかきこむ。
「ゆっくり食べなさい。」
母親の様に毎度毎度注意される。自分でもそうしたいのだが、ご飯を食べる時、いつも忘れてしまう。
今日は、仕事の事は聞かれなかった。他愛のない会話をして、久しぶりにお酒を少し飲む。妻は日ごろの疲れもあるのだろうか。二杯のお酒を飲み、眠ってしまった。明日も仕事だ。ベッドに入って眠る妻の布団を直し、食器を片付け、自分も布団に入る。目をつぶるが、中途半端に飲んでしまったがため、眠りが浅い。酔いがさめると同時に目が覚めてしまった。布団に入りながら、枕元の携帯を暗闇の中手探りで探す。コツンと固い感触を引き、携帯を開く。隣で寝ている妻を起こさないように光の向きを気にする。時間は4時55分、少し前なら、あと30分もすれば起きて働きに出ていた。昔の生活が正解かどうかは分からないが、
今の生活が間違っていると考えている以上、一つの正解の形だったのだろう。自分はそこからもおりてしまった。陽も登らない早朝にまた、モヤモヤが胸の内を荒らしだす。これが始まると眠れないのだ。携帯を閉じ、目も閉じる。嵐が激しくなる前に眠りにつこう。
二時間後、妻の出社時間だ。中途半端に眠ったせいで、いつもより怠い。布団の中で手を振り、妻を見送る。それから少しばかり眠りにつく。一時間位二度寝をする。
さて、今日は何をしようか。洗濯物もこの前したし、まだ溜まってはいない。部屋も昨日片付けた。映画を見る気分でもない。飯でも食うか。昨日の残りをレンジで温めて、朝食とする。キャベツが歯に挟まる。ああ、このキャベツはエリートなのだなと思う。こうして、普通に食べられる所に居ると言うのは実にすごいことである。
 ふと考える。
食べられる事がエリートなら、海栗に食べられるキャベツもエリートではないか。彼らもまた、一人の業者の考えによって運命を変えられた者ではないか。発想と言うものはすごいものだ。捨てられるゴミから仕事を得たのだ。役割を得たのだ。出会うはずもない、お互い未知の生物だった二人をマッチングしたのだ。その効果により、ゴミだったものは食料に、貧困だったものが、裕福になった。そして、みんなに喜ばれた。これは人間側の意見ではあるが、一つの歯車を変えたのだ。自分にとってキャベツにあたるものは何だろうか。まだ出会っていないものは何だろうか。きっとたくさんあると思う。
「働く」
 と言う言葉にとらわれすぎて、色々なものを見失っている気がした。歯に挟まったキャベツを爪楊枝で取りながら、携帯のお仕事募集を開く。自分が知らないモノ。もしくは少しでも面白いなと思った事のあるもの。大量の情報の中からそれを探す。
久しぶりに、ほんの少しだけ、胸がドキドキした。ずっと来ていた求人情報に胸をドキドキさせている。気づきは面白い。何も変わらないかもしれない。
「あんたにはどうせできないんだから。」
また言われるかもしれない。いいじゃないか。とりあえずやってみよう。出来なかったらその時考えよう。もしかしたらいいマッチングがあるかもしれない。とりあえず、気になったものに電話をかける。
 今日は聞かれるかもしれない。
「いい仕事見つかった?」
自分はこう応えよう。
「まだ見つかってはないねぇ。今度話は聞きに行くけど」
と。少しだけ進めた事を少しだけ言おう。腐って無ければ誰かが食べてくれる。自分は腐っていたけれど、人間だからその腐りはなかった事にできる。実に都合のいい話だ。食うモノがなかったら、天から食い物が降ってきた。実に都合のいい話だ。でもそれでいい。どうせまた悩むのだから、少しだけ、ワクワクドキドキ出来たならそれを楽しもう。
要するに海栗にキャベツだ!

             完


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