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人生の終電を考える

私はよく
“自分がこの世界から消えたら“という想像をする。


落ち込んだ時もそうだけど、
物思いにふける時もよく考える。


近頃、有名人も一般人も沢山亡くなっている。



それが相まって昔よりも『死』という存在が
身近に感じるようになった。


死生観というものは、人それぞれ。


だけども、
あまり善しとして見られてないのが現実。


人生100年時代なんて、
私からしたら酷だ、酷すぎるな。


お葬式にこだわりは特にないけど
家族葬がいいな。 


よく、
作中に亡くなった後の1コマが描かれている。


友達がお線香をあげに
家に来るシーン。



あれは友達だけ家に通すっていうのがいい。  


容姿が嫌いだから遺影を見られたくない、
プライベート空間には踏み入れて欲しくない。


学生のうちに亡くなるのなら
卒業アルバムには自分の写真は載せないで欲しい。


卒業したかったろうにって
載せようとする先生達はいるかもしれない。


でも、アルバムを開く度に『死んだ奴だ』って
酒のツマミにされるのは正味悪い。


骨になって埋葬された後も
自分の存在を思い出して欲しくない。



遺影に飾って頂けるような顔でもないから
そういう変な気遣いは要らない。  


下手したらメディアに報道されたりするけど、
そういうのも御免だ。


別に命を脅かしてまで、
有名になりたった訳じゃないから。


淡々と想像を綴ってるけど
本当は死ぬ事は怖い。


事故死はきっと痛いし、いざとなったら怖い。



皮膚が裂けて
大量の血液が流れて、痛みの渦とともに意識が朦朧とする。



考えただけで身も毛もよだつ、
グロテスクな事は好きじゃない。
 


 本当は安楽死で亡くなりたい。  


死にたくなる事が常日頃の私からしたら
人間、ここって時に亡くなれる安楽死は崇拝物だ。


でも、自ら死を選択したら
根拠の無い憶測を不特定多数の人間がするのだろう。


自分でも本当の意味で、
この衝動に駆られる原因が分かってないと思う。


レッテルを貼られる事が一番嫌いけど
私の死について語る人がいたら聞いてみたい。



勿論、表面上の薄っぺらい戯言じゃなくて
しっかりした考察。


なんか、本当に決行しようとしてるみたいだけど
現実ではしないよ。  



きっとね?

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