目が見えなくて…ヨカッタ!!!
これは実話です
あるひとりの男性が言いました
全く目の見えない男性が言いました
ものすごい笑顔で正々堂々と胸を張り
何十人もの目の前で言いました
「ボクは生まれた時から
目が見えません!」
「僕は
ずっと目が見えなくて
本当によかった!!!」
さて…あなたは何を思いますか?
この男性は強がりで
このようなことを言っているのでしょうか
これは電子書籍
人を満たす解釈論
もっと自分を好きになる人間関係へ…
から引用した内容になります
毎日の生活の中で
様々な人間関係が絡み合います
いがみ合ったり微笑みあったり
助け合ったり貶し合ったり
あなたは障害を持った方を
どこか下に見ていたりしませんか?
不自由だとかわいそうだと
何か決めつけて解釈をしていませんか?
わたしたちが当たり前に感じていること
そのこと自体が
実は差別・区別を生み出していることがあります
気づいているでしょうか???
これは
だから「気を付けて下さい!」
ということでは決してありません
どれほど気を付けたとしても
知らない間に差別や区別は起こります
本人さえ気付いていないところで
人は人をザックザックと傷付けていきます
これは仕方のないことです
知らない間に誰かを傷付けてしまうことは
誰にでもあることです
だからと言って
傷付けてもOKということではありません
傷付けないように傷付けないように
慎重に慎重に生きていこうということでもありません
あなたが誰かや何かを
「かわいそう」と思うのはどうしてなのか…
「大変だなぁ」と思うのはどうしてなのか…
考えてみたことはあるでしょうか?
そう思うあなた自身の中に
何が眠っているのか…
考えたことはあるでしょうか?
「かわいそう」と思った相手は
あなたが「かわいそう」と思っただけで
その人自身が自分を「かわいそう」と思っているかは
全く別のお話です
勝手にその人の世界を
自分色に染め過ぎないで下さい
あなたが感じた世界は
まだまだ広がることを忘れないで下さい
外側にではなく
奥側に広がっていくことを思い出して下さい
あなたが「かわいそう」と見下した相手は
そのこと自体をものすごい「誇り」として
生きている可能性があります
あなたはその人の「誇り」を
「かわいそう」と狭い世界に閉じ込め
決めつけという暴力で押さえ付けていること
感じ取って下さい
話し方を学んだからと言って
相手を本気で思いやれるとは限りません
聞き方を学んだからと言って
相手を本気で理解できるとは限りません
「方法」ではない部分に
しっかりと意識を向けてみて下さい
男性はこのようなことを話しながら
目が見えているかのように
・ホワイトボードに文字を書いたり
・書きながら話したり
・音をいち早く察知して驚かせたり
・生きることを思い切り楽しんでいたり
様々な豊かさを見せてくれました
毎日の人間関係の中で
多くの人たちが悩みを抱えています
けれどその悩みは…
もしかしたらその人自身が
狭い世界に閉じこもっているからなのかもしれません
悩みはあってOKです
生きづらさはあってOKです
けれど
それに苦しむ必要がない世界を知って下さい
悩みもある…生きづらさもある…
けれどそれに飲み込まれない世界…
あなたはもう味わっていますか?
最後までお読みいただきありがとうございます
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