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noteという大きな本棚の中で

婚活のマッチングアプリについて考えていた。

想像するに、それぞれの人が自分の情報と相手に求める条件をいれると、マッチした人達が出てきて、そこから始めるんだろう。

近未来、条件をいれるとすぐにAIが「この人との組み合わせだと86%の確率でお互いに一番幸せになれます」と、その二人に紹介して、それであっさり結婚する日が来るんだろうか。

そういうサービスが始まって結婚が成立して、5年くらいはみんな幸せで、「やっぱAIすげぇ」みたいに続々とAIカップルが誕生したら面白い。20年後はどうなっているかわからないが。

そんな時代が来たら味気ないと思う人もいるだろう。

ふと本屋のことを思い出した。

スマホのない私の高校・大学時代は、暇になると神保町の三省堂に行って、一番上の階から下までずっと回りながら何か面白い本がないか探していた。

いま自分がどんな本を読みたいのかも分からないまま、とにかく巡って、ふと手にした本で「あっ、こんな本を読みたかったんだ!」とホクホクしながらレジに向かう時もあれば、何も見つからずに帰ることもあった。

探している自体が楽しいので、見つからなくても見つかっても、時間としては充実していた。

アマゾンが世界を制覇して、本屋が少なくなり、本を読むよりもスマホで情報を得るようになり、あてもなく本を探すことはなくなった。

最近の話。

ChatGPTが世界を席巻して、自分も以前やってみた。

何か質問をすると一瞬で答えてくれる。

閲覧中、一切宣伝もないので楽だが、味気ない。

Googleで調べると、うさんくさい情報や、宣伝ばっかりのもの、難しすぎるものやバイアスがかかりすぎているものもあるが、その中から知りたい情報が出てくると、嬉しくなる。

本屋の中から読みたい一冊を見つける行為に似ている。見つからないとしても、いろんな情報にあふれていて社会を知れて面白い。

そんなことを考えながら、昨日の午前中は天ぷらを揚げていた。

仕事の昼休憩、部屋で休んでいたら嫁さんが「noteを見て来てくれたって人が」と…

(いつか行きたい、とコメントをくれた人は二人いるけど、本当にこんなことがあるのか?)と半信半疑で階段を降り、店に出る。

「あっ!」

その方は、東京からは新幹線に乗ってだいぶしないと着かない都市のかた。いつか行きたいと言ってくださるだけでありがたいけど、実際は無理だろうなぁと思っていた。

今年の三月にnoteを私が再開。

継続するためには自分がnoteにアクセスしたくなるような方面の話を書いている人を探さなければ、と思っていた時に、演劇の事を書かれていてフォローしたところ、今ではその方もフォロー及びリアクションをしてくださっている。

アカウント名が、普通にお名前だったので、どんな活動をされているのかGoogle検索したところ、一つだけ写真があり、まさにその方が目の前にいて、さすがに驚いた。

風のない、陽のあたる店の前の長椅子で彼女はうちの持ち帰りの天丼を食べてくださっていた。

想像していたそのままの感じ。
東京に来た用事に合せて寄られた。

詳しい事は、個人的なことなので書かないが、初めて会ったと思えない穏やかな感じで話をさせて貰い、そして見送った。

noteで良かった。
TwitterやFacebook、Instagramだとこういう感じにはならない気がする。

会ったことのない人が、私のnoteを読んでくださって「尾久って町に行ってみたいなぁ」と思ってくれたら嬉しいし、ちょっと調べれば私の店も分かるし、私の顔もアイコンで出しているので、逃げも隠れもできない状態になっているのも、最低限信頼される一つの要素になっていると思う。

話は最初に戻る。

いま世の中はGoogleとかアマゾンとかアプリとか、AIとかによって様変わりしてきた。

スマホひとつで出来ることも沢山ある。

そのうちスマホ自体が要らなくなる可能性もある。

そんな時代に、なにが贅沢なことだろうか。

人に出会う、ということではないだろうか。

このnoteは、まるで大きな本屋さんみたいだ。

沢山の本が並んでいるかのように、様々な投稿がある。

その莫大な本の中から、私の投稿を見つけて下さり、手にとって読んで、次のページを開いてくれる。

私も、その本棚から、沢山の人々の本を手にして、皆さんの人生に思いを馳せる。

そうして、またいつか、御縁が重なり、何処かでどなたかと出会うことがあれば、幸せなことだ。

それでは皆さん、noteという大きな本屋さんの中で、またお会いしましょう。

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