【実録ホラー短編】『帰り道こそ、気をつけて』
人身事故が多発する路線――その沿線に、Aさんの住むマンションはありました。中でも、そのマンションの最寄り駅付近での飛び込み自殺の数は異常に多く、その日も、最寄り駅手前の踏切で飛び込みがあり、帰宅中のAさんが乗る電車は、最寄り駅の一駅手前で途中停車をすることになったのです。
とある製造業の試作品開発の仕事をしているAさんの帰宅はいつも遅く、その日も最終電車での帰宅でした。
Aさんを乗せて停車している電車は、いくら待っても動き始める気配はなく、一秒でも早く家に帰りたいと思っているAさんを苛立たせました。
「たった一駅だし、こうなりゃ歩いて帰るか」
Aさんはそう決意すると、電車から降りて駅の改札に向かいました。
この途中下車した駅は、自分の最寄り駅の一駅手前ですが、Aさんはいつも電車で通り過ぎるだけで、実際にこの駅に降り立ったのはその時が初めてでした。いつも電車の中から景色として眺めていただけの場所に降り立つと、Aさんの中で好奇心がムクムクと湧いてきました。
「せっかくだから、ちょっと散策してみよう」
Aさんはとりあえず、駅前にある商店街をぶらぶらと歩いてみることにしました。が、最終電車が走っている時間帯の夜の商店街です。店は全て閉まっていて、人気も全くありません。
Aさんは誰ともすれ違うことなく、一人で静まり返った商店街を歩いていました。
見る所も特にないので、そろそろ駅前に戻り、線路沿いを歩いて自分の最寄り駅に向かおうと踵を返したその時です。
誰かが、後ろに立ったような気配がしました。
Aさんが咄嗟に振り返ると、誰もいません。
「気のせいか?」と思い、Aさんは人気のない商店街を引き返しました。すると、やはり後ろを尾けて来る気配が感じられます。歩きながら耳を澄ますと、サッ、サッ、サッと微かな足音が聞こえました。Aさんが歩調をゆるめると、その足音も同じように遅くなります。Aさんの周囲には誰も人がいません。
深夜の無人の商店街で、誰かが自分を尾けている――。
Aさんはひったくりか何かだと考え、足早に人がいる場所――駅を目指しました。後ろからはサッ、サッ、サッと足音が聞こえ続けています。
Aさんはようやく商店街のアーチが見える所まで来ました。そこを抜ければ駅です。なのに、その手前にある電柱の裏に、何か動く影が見えました。
Aさんが目は凝らすと、何やら人影のようなものが電柱の裏に隠れているのが分かりました。その間も、後ろからは忍ぶような足音が聞こえています。
「ヤバい! 挟まれてる。仲間がいたんだ」
よく見ると、その電柱の向かい側にある電柱の裏にも、人影が蠢いていました。
「三人もいる・・・・・・。まだどこかに仲間が隠れているかも!」
前にも後ろにも進めなくなったAさんは、苦し紛れに商店街の脇にあった小道に入りました。
小道に入ると、走りながら明かりがある場所を探しました。すると、数件のスナックや居酒屋が並ぶ小さな繁華街に抜けました。しかし、どの店もすでに閉店していました。
「なんだよ! 夜なのに飲み屋がやってないのかよ!」
苛立ちながら繁華街をさまよっていると、一軒だけ、小さな焼き鳥屋の店内から明かりが漏れているのが見えました。Aさんは思わず駆け寄り、勢いよく入口の戸を開けました。
「まだやってますか!?」
店内には客はおらず、カウンターの中に店主と思われる中年夫婦の姿だけがありました。
「はい。大丈夫ですよー」
女将の方がにこやかにそう言うと、Aさんはカウンターに座って、ようやく安堵の表情を浮かべました。
とりあえず焼き鳥を何本か注文し、それが焼きあがるのを待っていると、女将が話しかけてきました。
Aさんは、隣の駅が最寄り駅だけど、人身事故のせいでこの駅で降りたこと、これから自分の最寄り駅まで歩いて帰ることなどを話しました。
「ここら辺は人身事故が多いですからねー」
女将さんは気さくに話を合わせながら、
「それはそうとお客さん、なんか慌ててたようですけど、何かあったんですか?」
と、Aさんの様子がおかしいことに気付いて聞いて来ました。
「・・・・・・実は、さっき商店街を歩いてたら、変な連中に尾けられたんですよ。待ち伏せされてて、挟みうちにされたんで、走ってここまで逃げて来たんです。なんかここら辺って、そういう物盗りの事件とかあるんですか?」
「顔は見たんですか?」
「見てません。電柱の後ろに隠れてて、顔が見えなかったんですよ。だけど、明らかに人影がごそごそ動いてたんで、間違いなく誰か隠れてました。後ろの奴もずっと足音させてたし、あれは絶対俺を狙ってましたよ。この店が開いてなかったら危なかったですね」
「それ、お化けかもしれないですよ」
女将さんは真面目な顔で言いました。
「ここら辺は人身事故が多いでしょう? それで成仏しきれない霊がうろついてたり・・・・・・、そういう噂は多いんですよ」
何を言うのかと思えば・・・・・・と、Aさんはつい鼻で笑ってしまいながら、
「お化けですか?」
と尋ね返しましたが、そんなAさんの態度も意に介さず、女将さんはずっと真面目な調子で、Aさんと同じように深夜に来た客が帰り際に交通事故にあったとか、電車に飛び込んだとか、そういった話を続けました。
真面目な女将さんとは裏腹に、Aさんはその幽霊話を聞いているうちにだんだん緊張がほぐれ、注文した焼き鳥を平らげた頃には落ち着きを取り戻していました。
そろそろ帰ろうと、女将さんから、商店街を通らずに線路沿いに出る道順を聞いて会計を済まし、店を出て行こうとしたその時、今まで一言もしゃべらなかった大将が呼びかけました。
「帰り道こそ、気をつけて下さい」
なんのことやら分らぬまま、Aさんはその店を出ると、女将さんに教えられた通りの道順で線路沿いに出ました。
ここを二十分ぐらい歩けばいつもの最寄り駅に着く――。
Aさんは軽い足取りで線路沿いの道を歩き進めました。
しばらく行くと、視界の片隅に何かが動く気配を感じました。そちらに顔を向けると、電柱の後ろにサッと隠れる人影が見えました。
「・・・・・・奴らだ」
気がつくと同時に振り返ると、後ろにも、遠くの方からこちらに向かって来る人影がありました。
「追って来たのか!?」
薄れていた恐怖がよみがえったAさんは、足早に線路沿いを進みました。人影は、Aさんの歩調に合わせてついて来ます。周囲には自分たち以外、誰もいません。
焦りながら先を急ぐAさんの前方に、壁――というより塀が見えました。Aさんの背丈よりも頭二つ分くらい高い塀でした。
「行き止まりかよ!」
遠くから、サッ、サッ、サッという足音が聞こえます。
振り返ると、人影は着実にこちらに迫って来ていました。
もう逃げ場がない――。
Aさんは、こうなったら線路を渡って向こう側に逃げようと考え、道と線路を隔てている金網をくぐろうとしました。すると、線路の真上に黒い塊が見えました。それは、仰向けになって線路で寝ている人間の――上半身の影でした。
これは・・・・・・。
Aさんが唖然として立ち尽くしていると、その上半身の影の頭の部分が不意に動きました。
「うわあ!」
悲鳴をあげたAさんの顔を、その影の頭が凝視していました。それには確かに目があり、しっかりとAさんを見つめているのです。
影はぐるんとうつ伏せになると、ゆっくりと這いながら、一切物音を立てずにAさんに近づいて行きました。その目は、Aさんを見つめ続けています。
Aさんは後ずさりをし、すぐに金網から離れてその場から逃げ出そうとしました。しかし、逃げ場がありません。
線路の反対側とAさんの後ろには、例の別の人影がいました。
Aさんがそのことに気付くと、その人影たちは再びAさんに向かって近づき始めました。サッ、サッ、サッという足音が後ろから次第に大きくなって来ます。
左右と後ろから影が迫って来るせいで、Aさんはもう前に進むしかありませんでした。なのに、前には行き止まりの塀がそびえ立っています。
Aさんは意を決して塀に向かって走り、ジャンプして塀の頂点に手をかけると、塀を乗り越えるために、必死になってよじ登りはじめました。
よじ登りながら様子を見るために振り返ると、線路を這っていた黒い上半身が、いつの間にかAさんの真横にまで近づいていました。真っ暗な顔に、目だけが見開かれていました。
「ぎゃああ!」
捕まったら死ぬ!――恐怖に駆られたAさんは、服が汚れるのも気にせず、なりふり構わず力を振り絞って塀をよじ登りました。ようやく塀の上に辿り着き、飛び越えようとしたまさにその時です。
『何やってるんですかっ!』
Aさんの全身を眩しい光が包みました。
あまりの眩しさに目を細めながら、Aさんは塀の上から声のした方を向きました。そこには、自分に向けて懐中電灯を向けている二つの人影がありました。その人影の後ろには車があり、そのライトが眩しくAさんを照らしていました。
『何があったんですか? 自分たちでよければ相談に乗ります。とにかく、早まった真似はよしましょうよ』
自分に懐中電灯を向けるその人影の言っている言葉の意味が全く分からず、Aさんは目を細めたまま固まっていました。
『まず、そこは危険なので降りましょう。とにかく、話を聞かせてください。しかるべき相談窓口とかも紹介できます』
なんの話をしているんだ・・・・・・?
Aさんはその二つの人影をよく見ました。
その二人は警察官でした。
「え?」と思ったAさんは、あらためて自分の周囲を見回してみました。
Aさんは、川沿いに設置されてある落下防止用の柵の上に登っていました。その眼下には、乾季で水量が極端に減っている地べた剥き出しの川底が広がっていました。
「うわあ!」
Aさんは大慌てて柵から降りました。呼びかけられるのがあと一秒でも遅かったら、川底に飛び込んで死ぬか、大ケガをしているところでした。
「大丈夫ですか?」
Aさんの様子のおかしさに気付いた警察官が聞いて来ました。
Aさんは、自分は自殺しようとしていたのではないと説明し、今自分が体験したことを全部正直に話ました。警察官はそれを笑わずに聞き、自分たちは人身事故の現場整理から帰ってきたところだと説明しました。そして、今夜の人身事故の被害者の遺体は、上半身と下半身が真っ二つに引き裂かれていた――と教えてくれました。
「それじゃあ、俺は道連れにされるところだったってことですか?」
「かもしれないですね・・・・・・。何はともあれ、助けることができて良かったですよ」
警察官はそう言って、Aさんをパトカーで自宅まで送ってくれました。
この日以降、Aさんは隣の駅には一度も降りていません。
しかし、ずっと気になっていることはあります。
帰り道こそ、気をつけて――。
そう呼びかけたあの焼き鳥屋の大将です。
あの人は、いったい何を知っていたのでしょうか?
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