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【怪奇小説】『サナトリウムに』-第二回-

 ホテルの部屋で一息ついたあと、宇野は再び雨里の都市部へ繰り出した。目的は役場だった。パンフレットに記載されている人魚の版画を直に見たいと、宇野は思っていた。

 役場に着くなり、宇野は名刺を差し出して、自分の身分と目的を告げた。

「へえー、リゾート会社の方ですか。それはどうも御苦労さまです。それでその版画ですがね、市役所の資料課の方で保管しておるようでして、この役場には無いのですよ」

 役場の職員は宇野に対して警戒する様子もなく、鷹揚おうようほがらかな調子で対応した。役場には宇野以外の客がいない。これなら情報収集しても大丈夫そうだろうと考え、宇野はさっそく質問攻めを開始した。

「その版画には文字が何も記載されてませんけど、どういった状況を描写したものなのか、詳細は分かりませんか?」
「詳細ですか? そうですねえ。村人が人魚を見つけたっていう内容なんじゃないのですかね?」
「市役所にある版画の現物には、文章は記載されてないんですか? なんかそれ、瓦版の挿絵っぽい気がするんですけど」
「ああー! 確かにそう見えますね。でも文章とかは何も無いはずですよ。そのパンフレットにある絵が全てです」
「じゃあ、この人魚の由来とかなんかは、まるっきり不明ってことですか?」
「そうですね。まあ、誰も気にしてませんからね。そもそも人魚関係の昔話は中部地方に多いですから、これもその亜流かなんかでしょう」
「中部地方は人魚の話が多いんですか?」
「はい。八百やお比丘尼びくにの昔話とか聞いたことありませんか? 人魚の肉を食べて八百歳まで生きたっていう尼さんの話ですよ。これの発祥は福井県ですからね。あそこでは『はっぴゃくびくに』って言うんですよ。それ以外の土地では『やおびくに』。その比丘尼さんがこの雨里にも来たんじゃないのですか?」

 と言って職員が笑った。そして宇野も、

「その昔話なら知ってますよ。有名ですよね。それ、中部地方の話だったんですか」

 と、思わぬ収穫を得てつられて笑った。

 人魚の話でひとしきり満足した宇野は、今度は雨里にレンタカー屋が無いか尋ねた。いくら山間部の小さな町とはいえ、徒歩で回るとなれば三日では回り切れないぐらいの広さはある。町の隅々すみずみを見て回るには、やはり車が必要不可欠だった。

「竹泉市の方にはあるんですけど、雨里にはレンタカー屋は無いですね。でもまあ、宇野さんは町おこしで雇われた方なんで、この役場の車をお貸ししますよ」

 職員は気さくにそう言うと、宇野を駐車場に案内して鍵を手渡した。

「じゃあ鍵は預けときますんで、車を使う時はコレを――」と一台の軽自動車を指差し、「――使って下さい。使い終わったら、同じ場所に停めといてくれればいいです。鍵は、宇野さんが雨里から帰る時に返してくれればいいです」

 役場での目的を全て果たした宇野は、感謝の言葉を述べると『ビジネス旅館 あまさと』の自室に戻ることにした。

 部屋で、持って来ていた自前のパソコンを立ち上げ、インターネットにつなぐ。

 宇野は検索サイトを開き、中部地方の人魚伝説について調べ始めた。

 調べてみると、中部地方一帯の人魚伝説の中に、一つだけ興味深いものがあった。役場の職員も話していた全国的に有名な八百比丘尼の物語は、うら若き娘がある日人魚の肉を食べてしまったことで歳を取らない体となり、出家して尼となったあと、全国を巡って最後は福井県の若狭に辿り着いて終焉を迎える、という話で、その人魚の肉を食べた娘は八百歳まで生きたことから八百比丘尼と呼ばれるようになったわけだが、長野市の戸隠とがくし神社には比丘尼ではなく比丘――つまり男が主人公の人魚伝説が伝わっていた。

 その概要はというと、ある漁師の男が人魚を捕え、その男の三人の子供がこっそり人魚の肉を食べてしまい、子供たちは人魚に変化へんげしてしまう。なぜなら、古くから「人魚の肉を食べた者は人魚になってしまう」と言い伝えられていたから。

 禁を犯してしまった子供たちは、人魚に変化した結果全員死んでしまい、人魚を捕えたことを悔いた男は仏門に入って八百やお比丘びくと名乗った――という話だった。

 人魚を食べた者は人魚になってしまう。

 その言い伝えを踏まえて、宇野はパンフレットにある版画を眺めた。

 髷を結った人々が人魚を囲んでいる絵――、これは、もしかしたら、人魚を食べた人物が雨里を訪れ、町民の目の前で人魚に変化した様子を伝えたものではないのか? 
 そう仮定して、人魚に変化したのは八百比丘尼ってことにすれば、八百比丘尼は若狭ではなく、実はこの雨里で人魚になった――という雨里独自の民話を作れる! 

 宇野は、人魚伝説を町おこしに有効活用できる道筋が次第にはっきりしてきたことで晴れやかな気分になっていた。その日はもう都市部に繰り出すのはやめて、ホテルでゆっくり過ごすことにした。

 翌日の朝。
 宇野はもう一度、今度は一人で湖を見ようと思いホテルの階段を降りていると、エントランスに着いたところで昨日と同じ受付員から話しかけられた。相変わらず、にこやかな笑顔を浮かべていた。

「昨日、誰か有名人はいなかったか聞いてましたけど、思い出しましたよ。雨里の人ではないんですけど、戦争中に小説家の絹田きぬた成城せいじょうがここに疎開そかいに来てたんです。終戦までいたらしいのですよ」
「成城がいたんですか⁉」

 絹田成城とは、戦前は探偵小説家として、戦後は時代小説家として、戦前戦後を通してずっと流行作家として生き、そして流行作家のまま生涯を終えた稀有な作家で、二十代の宇野でもその名前と作品名を知っているくらい、日本中の国民に認知されている超有名作家だった。

「で、その成城がですね、成城は戦前は探偵小説家でミステリーを書くのが専門ですから、ほら、昨日話した迷宮入り事件、あれに興味を持ちましてね、事件の詳細を調べて、戦争が終わったあと、自分のエッセイだかなんだかに載せて発表したらしいのですよ。あの成城も魅了した迷宮入り事件の舞台――雨里。キミたちはこの謎を解き明かすことが出来るか⁉ ていううたい文句とかどうです?」

 よほど雨里のリゾート化が嬉しいのか、初老の受付員は心底楽しそうに宇野に語りかけて来る。その気持ちを壊さないように、宇野も笑いながら、冗談をかえすように答えた。

「まあ参考にはさせていただきます。それで、これからまたあの湖を見て来ますので――あ、そういえば、あの湖って名前はあるんですか?」
「ありません。みんな、湖って呼んでます」
「そうですか。名前は有ったほうがいいですね。名前を付けるように市役所に提案しておきましょう」
「湖と言えばですよ」

 係員が再び身を乗り出す。

「例の迷宮入り事件の死体の一つは、あの湖に浮かんでいたらしいのですよ」
「・・・・・・それは・・・・・・さすがに」

 宇野はせっかく作った笑顔を引きつらせて、

「さすがに、死体が浮かんでた湖っていうのは・・・・・・気味の悪いイメージしか湧かないので・・・・・・。その迷宮入り事件の話を使うと、あの湖のマイナスイメージにしかなりませんね」
「ああ・・・・・・確かに」

 宇野の否定を受けて、受付員は分かりやすく意気消沈した。

「では、湖に行ってきます」

 宇野は受付員から逃げるように足早にホテルを出ると、まっすぐ役場の駐車場に行き、昨日借り受けた車を発進させた。

 森を抜けて湖に到着すると、宇野は湖畔に車を停めて周囲の散策を始めた。


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