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【怪奇小説】『サナトリウムに』-第三回-

 深い森に囲まれた誰もいない湖。
 近くには舗装された車道が延びているが、往来する車の数が極端に少ないため、排気音や雑音が全くと言っていいほど聞こえてこない。

 ただ静かな自然の環境音だけが木霊こだましている湖のほとりを歩きながら、宇野はこの静かな環境を壊してしまってはいけないのでは? といった感傷的な気分に次第になっていった。

 湖畔を歩く宇野の目の前には広大な森が広がっている。
 あの森の木々を切り倒してリゾート施設を建設する。

 ・・・・・・それよりもこの大自然を活かすべきでは?

 宇野は目の前に広がる雨里の森の中に、どれほどの豊かな自然があるのか、好奇心から見たくなった。

 湖の畔から離れて、宇野は鬱蒼うっそうと生い茂る木々の中へと、恐る恐る進んで行った。

 道標も何もない森の中を、迷わないように注意深く進んで行く。宇野は歩きながら、次第に足元に違和感を持つようになっていた。

 道がある・・・・・・?

 当初は手つかずの自然のままにある獣道を進んでいた気がした宇野であったが、自分が歩いている場所は、かつて道路として舗装された道であるような、そんな歩きやすさを感じるようになっていた。

 宇野は自分が進んでいる地面を注意深く観察した。すると、伸びた雑草の下に、土で硬く固められた一本道らしきものが通っているのが見えた。その一本道は、まだ先の森の奥深くまで続いている。

 宇野は、足元の一本道を辿ってみることにした。

 森の中をしばらく進むと、人間の背丈ほどの大きさの草木が生い茂る場所に着いた。その草木が壁のように宇野の前に立ちはだかる。足元を見ると、一本道は、その草木の壁の先まで続いているようだった。

 宇野は服が汚れることを覚悟し、草木の中へと分け入った。

 足元の一本道だけを頼りに前に進む。
 進んで行くと、だんだんと行く手を阻む草木の量が減っていき、次第に目の前の視界が開けて来た。

 ようやく草木の壁を抜けて辿り着いた場所――その目の前の光景に、宇野は言葉を失った。

 そこには広々とした芝生の広がる空間があった。そしてその芝生のすみに、一棟の大きな木造の建築物が建っていた。

 あまりに予想外の光景だった。

 宇野は戸惑いながらも、その芝生の空間を調べる事にした。

 芝はしっかり整えられ、明らかに誰かが管理している土地に見える。

 次に木造の建物に近づき調べると、三階建てで窓が等間隔に並んでいる。

 その外観から、一見すると古い学校か病院のように宇野には思えた。

 さらに建物の入口とおぼしき場所を調べると、門にかつて看板が掛けられてあったと思われる白い痕が残っていただけで、看板自体は外されていた。

 建物の中は無人のようだった。

 入ってみようか?

 宇野は一瞬そう思った。だが、手入れがされている芝の状態を見て、この地は誰かの私有地ではないか? と考え、やめた。

 その建物について気にはなるものの、これ以上出来る事は何も無いと判断した宇野は、奇妙なわだかまりを胸に残しつつホテルに戻る事にした。

 雨里の都市部に戻って来た宇野は、たった今見たばかりの建物とあの場所について、町の人々に聞いて良いものかどうか、なぜか悩んでいた。なぜだか分からないが、あの場所について聞いてはいけないような気が、漠然と自分の心の奥底から湧き上がって来るのを感じていた。得体の知れない不安感だった。

 結局その日は、誰にもあの場所と建物について聞かぬまま、宇野はホテルの自室で今までの情報の整理などをして過ごした。

 雨里に滞在して三日目の朝。
 もう特に見て回る所のない宇野は、帰京する準備を始めていた。そんな時、宇野の宿泊する『ビジネス旅館 あまさと』に、竹泉市の市役所職員である浜村がやって来た。

「今日が最終日ですね。何か収穫はありましたか?」

 にこやかな顔で聞いて来る浜村に、宇野は人魚伝説を町おこしに利用する案や、湖に名前を付ける案などを説明した。浜村はそれらの話を熱心に聞いている。その様子を見ながら、宇野は昨日見つけたあの木造の建物の正体について、浜村に聞いて良いものかどうか迷っていた。

「いやあ、この短期間で色々とよく思いつくものですねえ。さすがプロだ」

 宇野の話が一区切りついたあと、浜村はそう言って嬉しそうに笑った。

「で、本日のご予定は?」
「今日はもう特に――」

 そこまで言って、宇野は覚悟を決め、やはりあの建物について聞いてみる事にした。

「見て回る所はないんですけど、ただ一つ、気になるものがありまして、昨日、あの湖の周囲の森の中を散策して偶然見つけたんですけど、あの湖の近くの森の中に、三階建ての木造の建物がありますよね? あれって何なんですか?」

 探り探り、平静を装いながら訪ねる宇野に対し、浜村の表情には特に変化は見られなかった。

「あれは昔の療養所です。サナトリウムですよ」
「今はもう使われてないんですよね?」
「ええ、はい」
「それなのに何で残してあるんですか? 見たところ、あそこは芝もきちんと整えられてて、誰かが定期的に管理している場所のように見えるんですけど?」
「あそこは市役所で管理しています」
「あそこは市の持ち物なんですか? 誰かの私有地じゃなくて?」
「市が管理しています。あのサナトリウムには日本の近代史を彩る多くの著名人が利用したという歴史がありまして、ですので、貴重な文化財として残して市が管理しようと、こういう考えに至ったわけであります。ただ木造の古い建物なので、文化財に理解のない若い人や暴走族のようなやからが面白半分であの建物に入ってイタズラして傷つけたり、壊したりしないように、道路標識などは全部無くして、あそこにサナトリウムがある事を分からなくしているんです。それなのに、まさか宇野さんが見つけてしまうとは」

 と言って浜村が笑った。

「竹泉市としては、あのサナトリウムを観光資源にする気は無いのですか?」
「アレばっかりは、ありませんね。観光客の中にもたちの悪いのはいますから」
「多くの著名人が利用したって言いましたけど、そういえば、戦時中この雨里に絹田成城が疎開していたようですが?」
「あ! その通りです。よく調べましたね。成城は肺をわずらっていたので、あのサナトリウムで療養してたんですよ」
「それなら、なおさら観光資源になりますよ?」
「いやいや。アレに関しては我が市の貴重な歴史的文化遺産ですのでね、パンフレットにも記載しないし、観光地化もしないです。おまけに木造でもろいので、アレだけは土地の人間だけで管理し続けますよ。ですんで宇野さんも、あのサナトリウムに関してだけはリゾート化の計画から省いて考えて下さい」

 浜村の説明に何かに落ちないものを感じたまま、宇野の雨里の調査はひとまず終わった。借りていた車を役場に返したあと、宇野は雨里に来た時と同じように、浜村の車で竹泉市へと戻って行った。
 

 東京に帰って来て数日後。
 宇野は、自分が勤めるリゾート開発会社『リゾート青い鳥』のオフィスで、雨里のリゾート化計画の書類作成に追われる日々を送っていた。中部地方一帯に伝わる人魚伝説と雨里を結びつけて宣伝に活用する方法や、国民的作家である絹田成城の所縁ゆかりの地である事など――そういった事をまとめながら、なぜだか自分でも分からないが、宇野の中で雨里に対する関心が、単なる仕事でかかわっている土地ということ以上に、次第に大きく膨らんでいった。

 そういえば、成城は雨里のことをエッセイに書き記している――ホテルの受付員がそう言っていた。正確には、雨里で大正時代に起きた迷宮入り事件の詳細――それを成城はエッセイにして発表している。

 宇野は、不意にその迷宮入り事件について興味を持ち始めた。雨里で受付員から直接聞いた時には、リゾート化計画に全く役に立たない話だから興味を持てなかったが、今はなぜか、リゾート開発の仕事とは別に、完全に個人的な好奇心から、その迷宮入り事件に興味が湧いて来ていた。

 退社時間が過ぎると、宇野は神保町へと向かった。小説類を多く扱っている古書店をいくつかハシゴして、絹田成城のエッセイ本を探して歩いた。さすが戦前・戦後を通して流行作家なだけあって、成城の本は流通量が多く、どの古書店でも成城の作品は大量に揃えられていた。そのおかげで、目的のエッセイ本はすぐに見つかった。タイトルは『楽しかりし湖畔の日々』——だった。

 宇野は自宅に帰ると、購入したエッセイ本の該当部分――雨里の迷宮入り事件について書かれた箇所をさっそく読み始めた。

 大正時代、雨里には彫刻家の双子の兄弟が住んでいた。やがて弟の方が美術修行のために都会に出て行き、数年経って、再び雨里に帰って来た。その時、弟は一人の女を連れていた。

 女は彫刻のモデルだと兄に紹介した弟は、その女と共に、兄の住む家で共同生活を送り始めた。

 女一人男二人の共同生活は、次第に一人の女を巡る男二人の争いへと発展していった。瓜二つの顔を持つ二人の男は、女を自分のものにしようと何かにつけて敵対し、事あるごとに激しく争うようになっていった。

 兄弟間の骨肉の戦いは日ごとに激しさを増し、お互いが血を分けた兄弟である事を忘れさせ、ただの憎しみ合う男と男の関係へと変質していった。

 ある嵐の晩。ついに事件が起こった。兄弟のどちらかが女を連れて家を飛び出し、もう一方も女を追いかけるために外に出た。

 翌朝。嵐の過ぎた雨里の森の中で、兄弟のどちらかが死体となって発見された。もう一人と、女の方は行方知れずとなった。

 その日から数日後。雨里にある寺の墓所に、何者かの手により、行方知らずとなった女の死体が投げ込まれていた。女は首を絞められて殺されていた。人々は、あのもう一人の男が殺したのだと噂した。

 さらに数日後。今度は湖に、同じく行方知らずの兄弟のもう一方の死体が浮かんでいた。死体の頸動脈けいどうみゃく付近が鋭利な刃物のような物でえぐり取られていたため、男は自殺ではなく他殺であると断定された。

 この三人を殺した者は一体何者なのか?

 その犯人は未だ見つからないまま、この謎めいた殺人事件は迷宮入りとなった。――これが、成城の本に記載されている事件の概要だった。成城はこの話を、肺の療養中に同室の患者たちから聞いたと記していた。

 あのサナトリウムに、成城が確かにいた。
 そしてそこで、雨里で起きた忌まわしい殺人事件の昔話を聞いた。

 その事実が、宇野の心をなぜか激しくき立てた。

 雨里に――いや、あのサナトリウムに、もう一度行こう。

 自分の心情を激しく掻き立てる理由が何なのか分からないまま、宇野は会社が休日となる週末を待って、再度、仕事とは関係なしに雨里へと向かった。今度は竹泉市の市役所にも、雨里の役場にも寄らず、完全にそれらの人々には秘密にして、例の湖の森の奥深くにあるサナトリウムに分け入った。

 宇野が生い茂る背丈ほどの雑草をかき分け、整えられた芝生の上に降り立つと、そこには、前回とはまた違った意外な光景が目に飛び込んで来た。

 サナトリウムの前に若い女がいた。スラッとした痩せ型のバランスの取れたスタイルの良い体つきで、首からぶら下げた一眼レフのカメラを構え、しきりにサナトリウムに向けてシャッターを切っていた。

 その後ろ姿を、宇野は茫然と眺めていた。

 女が不意にシャッターを切るのをやめた。そしてすぐさま、何かに気付いたように振り返った。

 切れ長の眼をした、ハッとするほど美しい顔立ちをしていた。


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