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【実録ホラー短編】『いつ、誰が、どこから』

個人経営の小さなホルモン焼き屋をやろうと考えていたAさんが見つけたのは、郊外の都市の寂れた繁華街にあった、小さな居抜き物件でした。
その居抜き物件は2階が和室の住居になっていて住むことができ、1階の店舗部分も小綺麗なうえ、価格も手頃で設備も問題なく稼働したので、Aさんはすぐに購入を決断しました。
 
契約を結んだ翌日、Aさんは早速、店の改装作業に取り掛かりました。
開業の費用をなるべく安く抑えたかったAさんは、自分で出来る作業は自分でやろうと考えていたので、改装業者を雇う前に、自分で室内の掃除などを始めました。
 
客室の掃除を終え、次に調理場の掃除を進めていた時でした。Aさんが調理台の下にある備え付けの棚を開くと、その中の奥に、何か小さな塊を見つけました。
 
その場所は調理場なので、物件購入前の事前チェックの際に一度見ている場所でした。その時は何もなかったと記憶していたのですが、見落としがあったのかな? とAさんは思い、とりあえず、その小さな塊を取り出しました。
 
それはタオルに包まれていました。
タオルは何の変哲もない普通のタオルです。
タオルの上から触ってみると、その中には、明らかに固い物体の感触がありました。
 
Aさんは包んでいるタオルを剥ぐと、今度は新聞紙にくるまれた何かが出て来ました。
その新聞紙も剥ぎ取ると、出て来た物は、一本の出刃包丁でした。
 
――前に住んでいた人の忘れ物かな?
 
Aさんはそう思いながら、その出刃包丁をしげしげと観察しました。
 
――錆が結構有るな。砥ぎなおすのも面倒だし、捨てるか。
 
Aさんはあらかじめ用意しておいた燃えないゴミ用の鉄屑カゴに、その出刃包丁を捨てました。そしてまた掃除を再開しようとしたのですが、ふと気になって、もう一度捨てた出刃包丁を拾い上げました。
 
――・・・・・・これは錆じゃないな。
 
Aさんはもう一度、じっくりと出刃包丁を調べました。
 
よく見ると、錆だと思っていたものは、粘着性の赤黒い何かでした。それでようやく気付いたのです。
 
「これ、血だな」
 
その出刃包丁には、乾いた血と思われるものが包丁全体にこびりついていました。
 
Aさんは、その包丁が何かの犯罪に使われた凶器かもしれないと考え、即座に不動産屋と警察に連絡しました。駆けつけて来た不動産屋の人――この人をBさんとします――に事情を説明し、出刃包丁を見つけた場所を見せると、Bさんは、
 
「この調理場の棚は事前に全てチェックしています。Aさんとこの物件の契約を結んだ時も、一緒にこの調理場をチェックしましたけど、その時にこんな物は無かったですよね?」
 
と言って、納得できない様子でした。
 
実は全く同じことをAさんも思っていました。
契約を結ぶ前に、Aさんもしっかりと調理場のチェックをしているのです。その時は、確かにそこには何も無かったのです。
 
ならば考えられるのは、契約を結んでからAさんが入居するまでの、そのほんの短い期間に誰かがこの物件に忍び込み、出刃包丁を隠した、という事になります。
そしてその出刃包丁を隠した人物は、明らかにこの出刃包丁を使って犯罪を働き、その凶器となった出刃包丁をこの居抜き物件に隠した犯罪者、ということになります。
 
警察官が言うには、ここ数日の間にこの街で傷害事件などは起きていない――警察に届けられていない――という話でした。
 
まだ発覚していない事件の犯人が、この物件の周辺をうろついているかもしれない――そう不安に思ったAさんは、警察官に見回りの強化をお願いしました。警察官は、
 
「犯人はここに一時的に凶器を隠しただけで、また取りにやって来るかもしれませんので、不審人物を見かけた時は深追いせず、ひとまずその場から逃げて警察に通報するようにして下さい」
 
と忠告して去って行きました。
 
物件を購入早々、不穏な事態に巻き込まれてしまったAさんは、その日はもうやる気を失くし、掃除をやめて部屋でくつろぐことにしました。
 
異変は、早くもその夜に起こりました。
 
寝るために部屋の電気を消して、Aさんが布団の中でまどろんでいた時です。1階の店舗部分の方から、かすかな物音が聞こえてきました。
 
はじめは気のせいかと思ったAさんでしたが、耳を澄ますと、やはり何かが動きまわる物音が確かに聞こえます。
よく聞くと、それは人が忍び足で歩き回るような足音に聞こえました。
 
――・・・・・・! あの出刃包丁を取りに来たんだ。
 
Aさんは、目覚まし時計代わりに置いてある枕元のスマートフォンをそっと取ると、1階に聞こえないように、静かに110番通報をしました。
 
「不審人物が家の店舗部分に侵入してうろついています。大至急来て下さい!」
 
それだけ告げて電話を切ると、Aさんはまた1階に耳を澄ませました。しかし、物音は何も聞こえてきませんでした。それでもなお、緊張しながら耳を澄ましていると、自分が寝ている部屋のふすま一枚へだてた向こう側から、不意に「ヒタッ」、という足音のような音が聞こえました。
 
Aさんは思わず声が出そうになるほど驚きました。
 
・・・・・・。
・・・・・・ヒタッ。
 
もう一度、しっかりと聞こえました。
 
――この部屋の横にいる!
 
Aさんはその事実を認識し、恐怖に震えました。
Aさんの寝ている部屋の横は1階に続く階段です。その足音は、静かに、ゆっくりと、その階段を昇って来ているのです。
 
・・・・・・ヒタッ。
 
足音が迫ります。
Aさんは目をつむり、必死に心を落ち着かせて寝たフリをしようとしました。しかしかえって目が冴えてしまい、意識が研ぎ澄まされていきます。自分の犯罪の証拠である凶器を取りに来た犯人が、2階にいるAさんの気配を感じ、今、足音を忍ばせながらゆっくりと様子をうかがいに来ているのです。しかも、Aさんが寝ている部屋には逃げ場がありません。そんな状況で落ち着けるわけがないのです。
 
・・・・・・ヒタッ。
・・・・・・ヒタッ。
 
聞こえて来る足音が、Aさんの耳元に次第に近づいて来ます。
震えと冷や汗が止まらないAさんは、祈るような気持ちで警察の到着を待ちました。
 
・・・・・・ヒタッ。
 
足音が襖の前で止まりました。
その向こう側に、人のいる気配がはっきり感じられます。
Aさんの脳裏に、血の跡の付いた出刃包丁の映像がよぎりました。
 
――あの包丁の持ち主は、アレで人を刺すような人間なんだ。
 
Aさんの恐怖が絶頂に達しようとした瞬間、ピンポーンと呼び鈴のチャイムが鳴り響きました。そしてすぐさま、
 
「警察です! 不審者の通報があったんですけど、こちらは大丈夫でしたかー!?」
 
と、Aさんからの通報を受けた警察が、状況を察してくれたのか、威嚇するように大声でアピールしてくれました。
 
Aさんはすぐに布団から出て部屋の電気を点けました。が、襖を開ける勇気は出ません。もしかしたら、そこに不審者が待ち構えているかもしれないからです。
 
Aさんがどうしようか迷っていると、もう一度チャイムと警察官の呼びかけが聞こえて来ました。そして、いつの間にか、襖の向こう側に感じていた人の気配も消えていました。
 
Aさんは意を決して襖を開けると、急いで階段を駆け下り、玄関を開けました。そこには二人組の警察官が立っていました。
 
Aさんは警察官に事情を説明すると、一人は外、もう一人は室内の捜索を始めました。Aさんも一緒になって室内を調べましたが、特に異常は見つかりませんでした。調理場や外についても同様です。それどころか、不審者はどこから入って、どこから出て行ったのかすら分かりませんでした。
 
とりあえず、不審者はこの建物付近からはいなくなったようなので、警察官たちは帰って行きました。Aさんはそのまま眠れぬ夜を過ごし、朝になりました。
 
体にだるさを感じながら、その日も店舗部分の掃除と改装作業を進めていると、Aさんの視界の片隅を何かを横切る感覚がありました。反射的にそちらを見ると、特に何もありません。
 
――夜にあんな目にあったし、寝てないから、変な錯覚を見ちゃうんだな。
 
Aさんはそう考えて納得し、作業を再開しました。しかし、それは錯覚ではありませんでした。
 
作業をしていると、またも視界の片隅に影のようなものが見えました。またそっちを向くと、今度もまた何もありません。なのに、作業を再開すると、またも視界の片隅に影が見えるのです。
 
Aさんは、今度は振り向かずに、その影に意識を集中してみました。その影は、じっとAさんを観察しているような気配を発していました。そしてその影は、Aさんの視界の片隅に張り付き、Aさんが動くたびに、その影も常に一緒について来ました。
 
Aさんは、何とかしてその影の存在を気のせいだと思おうとしましたが、無理でした。その影は、作業中ずっとAさんの視界の片隅に留まり続けました。
 
――この家、おかしいな。
 
身も心も憔悴しきったAさんのもとに、また夜がやって来ました。厳重に家の戸締りを確認したものの、昨夜の出来事が忘れられません。
 
Aさんは自室だけでなく、家中の電気を点けっぱなしにして寝る事にしました。店舗部分も調理場も点けっぱなしです。それでも拭い切れない恐怖感を抱きながら布団に入ると、疲れと昨夜の睡眠不足もあったせいか、Aさんはすぐに眠ってしまいました。
 
眠りに落ちてからしばらく経ったころ、ふとAさんは目を覚ましました。何か物音が聞こえたような気がしたからでした。
 
家中の電気が点いて明るいなか、Aさんは布団に入ったまま、なるべく音を立てないようにしながら耳を澄ましました。
 
物音は、1階から聞こえていました。
 
さらに耳を澄ますと、それは、誰かがブツブツと呟く声でした。
 
・・・・・・どこいった?
 
はっきりと、そう聞こえました。
 
・・・・・・見つかったらやばい。
 
――誰かが1階にいる!
 
Aさんの耳に、何度も、「どこいった? みつかったらやばい」という男の声がブツブツと聞こえて来ました。あの出刃包丁を取りに来た男が、今、自分の寝ている部屋の真下をうろついているのです。
Aさんの体を恐怖が貫きました。
 
Aさんは枕元のスマートフォンを音を立てないようにそっと取ると、110番をして、囁くような声で助けを求めました。
 
警察の到着を震えながら待っていると、予想よりも早くチャイムが鳴り、
 
「警察です! 不審者の通報があったんですけど!」
 
と、昨夜と同様に警察官の声が響きました。
 
Aさんは、1階を徘徊していた人の気配が消えるのを待って、玄関に駆け下りました。警察官はAさんの顔を見るなり、
 
「またですか?」
 
と心配そうに言ってきました。警察官が言うには、昨夜の件を踏まえて、深夜の時間帯にAさんの自宅周辺のパトロールをしていたので早く駆けつけることができた、という事でした。
 
「パトロール中に、この家の周りで不審な人物は見ませんでしたか?」
 
Aさんの問いに、警察官は「誰も見ていません」と答えました。
 
「それにしても、家中の電気を点けっぱなしにしているのに侵入するなんて、大胆不敵な犯人ですね」
 
警察官は、なんか納得できない様子でそう言うと、室内とAさんの自宅周辺を、これまた昨夜と同様に調べ始めました。が、結局、また何も見つからずに、警察官は引き返して行きました。
 
警察官が帰ったあと、一人残されたAさんは、1階の店舗内の椅子に腰かけて、しばらくその場に残っていました。
 
犯人はどこから侵入したのか、またやって来るんじゃないのか、Aさんは不安な気持ちにさいなまされ、落ち着かない様子で店舗内のあちらこちらをキョロキョロと見回しました。そして、調理場の方を見た途端、Aさんは思わず悲鳴をあげました。そこに、Aさんを真正面から凝視する中年の男が立っていたのです。
 
「あんた誰だ!? 人の家で何やってんだ!?」
 
Aさんは立ち上がって、座っていた椅子を武器代わりに構え、精一杯の勇気を振り絞って叫びました。
 
男は何も答えず、Aさんを凝視したまま調理場の中に突っ立っています。
すると、
 
「・・・・・・すいません」
 
男が言いました。
 
「早く出て行け! あ、いや、あんた昨日もうちに忍び込んだだろ!」
「すいません」
「そこを動くな!」
「すいません」
「今から警察呼ぶから!」
「・・・・・・」
 
しばらく沈黙したあと、
 
「すいません」
 
男はまた同じ言葉を繰り返しました。
その時、Aさんは気づきました。
「すいません」と言っている時、口元が動いていないのです。
 
男は、口を閉じたまま声を発していました。そして、動いていないのは口元だけではありませんでした。まばたきもしていませんでした。
男は目を見開いたまま、じっとAさんを凝視しているのです。
 
「すいません」
 
また声が聞こえました。
目の前にいる男が発しているはずの声です。
 
Aさんは、明らかに異常なことに気付きましたが、もうどうしようもありません。とりあえず、テーブルに置いておいたスマートフォンを持ち、
 
「今から警察呼ぶから!」
 
ともう一度叫びました。
 
「すいません」
 
男がスッと近づきました。
しかし足音はしません。
歩いているわけでも、走ってるわけでもなく、いきなり距離が縮まったのです。
男はまるでパネルか静止画像のような立ち姿のまま、音も立てず、「すいません」と言いながら、スッ、スッとこちらに近づいて来ました。
 
「すいません」
 
Aさんの至近距離に男が現れました。
 
「うわあー!」
 
Aさんは悲鳴を上げながら家の外に飛び出ました。寝静まった繁華街の道路に出て、振り返ったら、男の姿はありませんでした。
 
Aさんはそのまま朝まで外をうろつき、午前10時ぐらいになってから、ようやく恐る恐る家に戻りました。
 
――あの男は生きている人間じゃない。
 
Aさんはそう確信すると、この居抜き物件には幽霊に取り憑かれる曰く因縁があるはずだと考え、契約を結んだ不動産屋に向かいました。不動産屋には、ちょうどBさんがいました。
 
「あそこの元の持ち主は、なんであの物件を手放したんですか? あの居抜き物件で何か事件が起きていませんか?」
 
Aさんは昨夜起きた出来事を話し、Bさんに質問をぶつけました。
Bさんは少し困惑したあと、あの居抜き物件の元の持ち主について教えてくれました。その話によれば、あの物件の元の持ち主はギャンブル狂いの男――C――で、家族には逃げられ、借金に借金を重ねて首が回らなくなり、ついに店を畳んで売りに出した、という事でした。

その後、Cは借金取りに追いかけられ、追い詰められたCは借金取りを刺し殺し、その死体をバラバラにして隠蔽しようとした所を警察に捕まってしまったという事でした。
 
「じゃあ、あの幽霊は刺し殺された借金取りの・・・・・・」
 
そこまで言って、Aさんはおかしさに気付きました。
 
――なぜ殺された借金取りが「すみません」を連呼するんだ?

「Cさんは警察に捕まって、今はもう釈放されているんですか?」
「いえ。・・・・・・実は、その人は刑務所の中で首を吊ってしまったんですよ。警察が、Cさんの遺族の連絡先を知らないかって、うちに聞きに来ましたけど、さすがにそんな事まで知るほど、Cさんと付き合いはありませんでしたからねえ」
 
Bさんからあの居抜き物件の因縁話を聞いて、Aさんはますます混乱してしまいました。
 
――獄中で自殺したCが、なんであの家に化けて出るんだ?
 
何をどうすれば問題が解決するのか全く分からないAさんは、Bさんに居抜き物件の契約解除を申し出ました。
 
それからしばらくして、別の街でアパートを借りて生活していたAさんのもとに、警察から連絡がありました。あの居抜き物件で見つかった出刃包丁からCの指紋が検出され、付着していた血痕はCに殺された借金取りのものだった、という話でした。
つまり、Cはあの出刃包丁を使って借金取りを殺し、バラバラにしていたのです。
 
事件当時に発見できなかった凶器が今更見つかって、警察は困惑している様子でしたが、その話を聞いて、Aさんも同様に困惑していました。
 
警察は、Aさんが感じている不安を解消するために、
 
「凶器が見つかったのは今更ですけど、この事件自体はもう解決していますので安心して下さい」
 
と励ますように言ってから電話を切りました。
 
しかし、Aさんが感じていた不安や戸惑いは解消されませんでした。

Aさんが考えていたのはCの起こした事件のことではなく、あの出刃包丁がいつ、誰が、どこからあの居抜き物件の調理場に持ち込んだのか? という事だったからです。
 
その犯人は、未だに分かっていません。


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