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未熟者

楽しむとふざけるの違い。
大学生にもなれば誰だってわかる。

何が違うのか。
サッカーで言えば、「ぬるい」と表現されることもある。
自分がプレーする身として感じる違いと言えば、「空気感」だろうか。この空気感(雰囲気)は、自然と構築されるものでもあり、作り出すこともできる。そして、作り出すことができるということは、変えることだって可能である。

自分はまだ未熟だった。
「ぬるい」と感じていながらも、変えることができなかった。

このままではだめだと思っていながらも、変えられないというのは、何とも恥ずべきことで情けないことである。
感じてなかったも同然。みっともない。申し訳ない。

言われてからじゃ遅いし、終わってからじゃ遅い。

後からなら、何だって言える。
言われてからなら、誰だってわかる。

自分に本気度が足りないのか、嫌われる勇気がないのか。

自分には、その場を止めてでも、変えようとすること、それを臆することなく発言する力がない。

変える方法も一つではないだろう。

発言として、言葉で伝える方法もあれば、行動で示す方法もある。
どうしても1人で変えることができないのなら、仲間を作ることだってできる。

自分のこれまでの経験から言えば、今すぐ変えなければならない状況で、即効性があるのは前者の方法だ。


勿論、変えなければならない状況にならないのが一番なのは重々承知している。
そもそも、一人ひとりが常に今が全力かどうか、そしてチームとしても、目指すべき、在るべき姿なのかを問い続けることができていれば、「ぬるい」なんてことにはならない。
そういった、モチベーションどうこうではなく、どんな外的要因があろうともセットしなければならないマインドの部分を理解しておかなければならない。

自分達は、まだまだ未熟すぎる。
これじゃただの気分屋の集団に過ぎない。

と感じた日だった。

最近、サッカーの内容ばかりですが、組織として、個人として、何かに取り組むときに参考にできる考え方や、そのヒントがあるかと思います。

今後、全てをサッカー関連の記事にするつもりはありませんが、僕自身が日常生活で感じたこと、考えたこと含め、サッカーから得たもの、考えることについても、日常レベルの行動に照らし合わせたりしながら、記事にしていきたいと思います。

改めて、宜しくお願い致します⚽



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