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テレワークゆり物語 (65)田澤由利が偉そうに「働き方」を語る理由

私、田澤由利は、経営や労働の専門家ではない。地方の小さな会社のいち経営者に過ぎない。

なぜ、そんなに「働き方」について、偉そうに語るのか?

そう思われているかもしれないので、自己分析してみた。

答えは(チコちゃん風に)
立場、地域、家族、いろんな事を「経験」したから~~

「働く人生」を、22歳から60歳と想定したら、38年。ひとりの人間が経験できることは、限られている。特に、私の時代における日本人の「人生勝ち組モデル」は
有名大学を出て大手企業に新卒で入社。定年まで勤め、老後は悠々自適』だった。

この人生を「働く曲線」で表現すると、こんな感じだ。
 →働く曲線は、仕事のやりがいや給与等、本人が感じる「働く充実度」みたいな感じ

「人生勝ち組みモデル」の働く曲線

つまんないよね。でも正直言うと、新卒でシャープに入社した私は、自分もそのモデルに乗れたと喜んでいた。
苦労はしつつも、何とか大学を卒業。誰もが知っている名前の会社に「Uターン就職」。これで、ひとり娘としての責任も果たせる。さらに「男女雇用機会均等法」まで施行され、女性だからというハンデキャップもなく、やりたい仕事にまい進できる。
配属された「奈良工場」は、技術系のため転勤はほとんどない。しかも、男性社員3000人に対し、女性社員はわずか100人程度。

ここで結婚相手を見つければ、安泰人生が保障されたようなものだ。

しかし、人生は甘くはない。
男女構成比率など参考に過ぎない。自分と結婚してもいいと思う殊勝な人がいなければ「0」は「0」なのだ。

かくして、大学時代のクラスメイト(転勤族)との結婚を機に、私の「働く曲線」は、想定外のギザキザに入っていく。

田澤由利の「働く曲線」

ギザギザの後、後半人生の「仕事の充実度」(苦労はあったけど)が、右肩あがりになったのは、
テレワーク」という働き方を、自ら実践してきたからに他ならない。

■社会的立場

社会的立場

会社員・個人事業主・経営者。経営者としてが長いが、その間、多くの社員(被雇用者)の生き方・働き方と向き合い、深く関わることができた。

■家族の状況

家族の状況

独身・夫婦・子育て・親の介護。特に、子ども3人が3学年違いのため、長女の出産から三女が社会人になるまで、28年という長い子育て期だった。

■住む場所

住んだ場所

人生60年の間、東京に住んだのは「大学4年」のみだった。奈良(生駒市)・宮城(仙台市)・岡山(津山市)・愛知(稲沢市)・北海道(北見市)。さまざまな規模、さまざまな地域で「暮らす」ことができた。今は、夫が転勤族だったことに感謝している。

「働く」ことと「人生」は、常に関わり合っている。

私は、たまたま、いろんなことを経験することができたおかげで、今の日本の「働き方」に、体験をもって語ることができる。
昔の「勝ち組みモデル」を歩んできた、大企業の社長さん、行政の職員さん、大学の先生には語れない、「経験に基づく、多方面からの視点」である。

これまでの人生の「経験」すべてが私であり、私にしかできない、私だけの財産だと思っている。だから偉そうに語っている。

さらに、「要素」を加えるとしたら、その人生の時期が「IT革命」の前後と重り、大きな変化の中にいたということも大きいだろう。

携帯電話もインターネットも無い時代から、わずか50年で、メタバースの時代へ。とてつもない時代に生きていることに心から感謝しつつ、もっと新しいことに「挑戦」し、もっと「経験」を積み重ね、もっと「偉そうに」語っていきたい。

田澤由利の「働く曲線」の総合絵巻

※「充実」はしていたものの、経営者として苦労したあたりも、ちょいと入れ込んでみた。笑


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