見出し画像

テレワークゆり物語 (36)地方で暮らす幸せ

「北見のどこが気に入って住んでいるのですか?」

北見の人からよく聞かれる。
夫の転勤でやってきた北見。自分で選んだわけでもない北見。知り合いは全くいなかった北見。冬はマイナス20度まで下がる北見。
ここで暮らし始めて、この秋で24年めに入る。

「北見の公園が気に入ったから」

と、答えると冗談だと思われる。もちろん、自然や食、人の暖かさなど、他にも理由はたくさんあるが、これが「ここで子育てをしたい」「ここで暮らしたい」と思った、大切なきっかけであることは間違いない。

1998年の春。北見に来て半年。長女が小学校に入学する。送られてきた学校案内に、学区内の「公園リスト」があった。普通、学区とは、小学1年生が歩いて通えるぐらいの範囲だ。

そのリストには、13個の公園の名前が並んでいた。

驚いた。私が小学校の頃、自分の足で歩いて行ける公園は、1つしかなかった。そして、その公園は「無人踏切」を渡る必要があり、実質「子どもだけで行ってはいけない公園」だった。

そのリストを見た瞬間、私の妄想は広がった。3人の娘たちが、

「おねえちゃん、今日は、ひまわり公園に連れてって」
「う~ん。今日は、てんとうむし公園にしよう」
「わたしは、おぼっちゃま公園がいい!!」

ここで子育てがしたい。強く思うようになった。
そして、その思いは、珍しく夫と一致した。(笑)

会社の転勤で北見に赴任した夫は、わずか1年半で、東京への転勤命令がでた。普通なら、家族みんなで、喜んで東京に行くのだが、私たち家族の選択は違った。

私と子どもたちは北見に残り、夫がひとりで、東京へ単身赴任。
念のため付け加えるが、私も夫も関西出身で、北見とは何も縁がなかった。また「ひとりで行って」と、私が言ったわけでもない。笑

そして、なんと8か月後、夫は、北見に戻ってきた。
安定した大企業を38歳で退職し、「家族みんなで、北見に暮らす」ことを選んだのだ。

その決意には、ひとことでは語り切れない葛藤があっただろう。妻である私も「安定」を捨てる覚悟が必要だった。正直、その後の苦労を考えると、安易に人にはおすすめできない。
しかし、三人の子どもたちを北見で育てることができたこと、今、普通の生活ができていること、私たちの結果論でしかないが、

北見で暮らす選択をして、良かった。と心から言える。

今、コロナ禍で世の中の「働き方」が変わろうとしている。奇しくも自分がライフワークとして取り組んできた「テレワーク」という働き方が、「地方で暮らす幸せ」をより多くの人に届けることができるかもしれない。

※冒頭の写真は、家の一番近くの公園。子どもたちが一番、遊んだ公園。20年住んでも飽きない風景を楽しませてくれる公園。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?