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正しくなれない遊歩道で

「有期雇用だったんですね」
「いえ、そんなはずはありません。正社員です」
「…有期雇用だったみたいですよ」
「………そうなんですね」

 

確かだと思っていたものが、確かではなくなる瞬間が、生活には散りばめられている。それは自分が気がつくか気がつかないかの差というだけで、日常はいつも危うくて脆いものなのだろう。

正しいことと正しくないことが曖昧になる世界と、正しく生きることが評価される街を遠ざけ、今日も部屋に私が見当たらない。平たく積まれた本からひとつを選んで脇に抱え、階段を慎重に降りる。ひやりとしたリビングのソファにゆっくり身体を沈める。言葉にするまでもない細かな感情が、ぬるい水に徐々に溶けていく。そのようにして夏は訪れ、また去ろうとしている。

のっぺりとした生活が続いても、誰にも咎められない。唯一、私を近くで見ている私自身が、私に鋭い目線を向けている。必死で目を逸らすと指からするりと栞が落ちた。どこまで読み進めたのかわからない、それとも読み進めてなんていないかったのだろうな。そんな日が繰り返されていく。

流行病は私の弱点を上手に隠し、怠惰を刺激した。ふとした拍子にほころべば、泥のようなものが溢れ出し、鼻につんとくる。しぶしぶ窓を少し開けて空気を通すが、肌に触れる風が心地よいかどうかを決めるのは私だ。

◇ ◇ ◇

テレビを見ていたら、出身大学が同じである芸能人が「高学歴」だと紹介されていた。そう思ってはいないし、本当にそれほどでもないから、勝手に少し恥ずかしくなる。

「私って、高学歴らしいよ」
「だって高学歴でしょ?」
「そっか」

それなりにもてはやされても、ある人にとっては良いイメージで、ある人にとっては悪いイメージだろうから、「ぽいよね」という言葉は褒められているのか悩ましい。

頭が良い子だねと言われ、そう思われるように要領よく過ごしてきた。何より勉強が好きだった。予備校にも塾にも行かないのにそこそこ名前のある大学を目指す私は、少しだけ異質だった。テストでクラス10番以内になれても1番になれることはほぼなく、誇れるものもなかった。それでも、頭が良い子だねと言われて過ごした。大丈夫だと言いながら明らかに不安がる親に不信感を持ちながら、気力だけで日刻みで沢山の大学を受験した。高校卒業後の母校に、私の合格した大学の一覧が勝手に貼り出されていたそうだ。試しに受けた、志望校より高い偏差値の大学合格を私は蹴って、志望校に入学した。

いつからだったかは覚えていないが、漠然と、私の人生設計は30年になっていた。あまり長く生きることに希望を見出せていなかったし、長く生きたいとも思っていなかった。死にたいというわけでもなかったが、心のどこかで、30年きっかりで人生を終われるものだと信じていた。それとなくぼんやりと、そこで終わりたいと思っていた。どうやらそう簡単にはいかないらしいと気づいたのは結構最近になってからだ。

大学のめまぐるしい楽しさから急に方向転換し、就職活動で周りの人が同じ色に染まろうと、正しくなろうと、必死になる姿は、私の心も目も曇らせた。おしゃれで活発なあの子は、銀行に勤めたいと言った。剽軽でいつもけたけた笑っている化粧濃い目のあの子は、大手商社を狙っていたんだっけ。私は、私は、私は。

◇ ◇ ◇

自分の抱いている強い気持ちを相手に正確に伝えたいとき、どうしても涙が溢れてきてしまう。この気持ちをちゃんと相手に届けられるだろうか、受け入れてもらえるだろうか。ただし、そこには不安だけではなく、話せる喜びも含んでいるからややこしい。気持ちが強ければ強いほど、だから今だって、泣かずにはいられない。私の所有する言葉と感情は、相性がとても良く、とても悪い。

卒業すると私はすぐ教員になった。理由はたくさんあるけれど、何よりも就職活動ではなく、勉強すればよかったので性に合っていた。スーツを着て、頓珍漢な手紙を出して、素性のわからない人達と、取り繕った会話をするのが心の底から嫌だった。だが試験には落ちてしまい、結局私はその日限りのスーツを着て、頓珍漢な手紙を出して、非常勤講師になった。

長くも短くもない期間を過ごし、いろいろな理由をつけて学校を辞めた私は、再び勉強していた。勉強しているとき、手のふちがまっくろになっていくのが心地よい。使い勝手の良い筆記用具を並べて、転がるペンを消しゴムで押さえておく際の自然な手つきが懐かしい。パソコンの画面じゃ得られない幸福が、かつてはそこにあった。

◇ ◇ ◇

次の職場で私は入社当時、契約社員だった。ここでも試験があり、面接はほとんどおまけのようなものだった(と思う)。好きな場所で好きなことをやるための努力が認められたと思っていた。ボーナスが出ない、給料が低い、毎日残業、祝日出勤。仕方がないと思っていた。好きなことができている。それだけで良かったはずだった。こうして働くことに、嬉しさも誇りもあった。

できることが増えるほど、余裕が出ると思っていたので、仕事のスピードも自然と上がっていった。ところが頑張れば頑張るほど、その隙間にさらに頑張らないといけないことが重なって、引き出しはぎゅうぎゅうになっていた。そして、考える時間を得ることが、好きなものと向き合うことが、どんどん難しくなっていった。 

私と言葉との間に存在しているはずの回路が、ぷつぷつと途切れるようになった。使わなければならない道をすっ飛ばしているから、理解しようとしてももつれてしまう。誰かと会話しても、前のようにはできなかった。何もないところで転んでしまうような危なっかしさがあった。好きなことをやっているから楽しいと笑って、誤魔化していた。涙を出すほど誰かに伝えたいことは、もう持っていなかった。好きなことを、好きでなくなってしまうかもしれない。そんな疑念のうちに朝を迎え、身体をまったく動かせず、そのまま床と並行な状態で仕事を3日間休んだ。

思えば私は昔から、誤魔化し続けていた。誰かに評価されようとか、よく思われようとか、仲良くなりたいとか。やらないといけないとか、上手くできるとか。考えてみればちっぽけすぎることに、私は毎回必死に一人で、だましだまし、追いつこうとしていたのかもしれない。

◇ ◇ ◇

「物事を考えるときに正しい回路を通らなくなってしまった」と、どうか伝われと泣いて私は訴えた(あるいは心の中で言っただけかもしれない。ひどい話し合いだったので忘れてしまった)。そして私はまた無職になった。それと同時に、私が努力の末に正社員になれたと思っていた会社とは期限付きの契約状態のままで、いつでも気軽に別れられる関係であったことを知って愕然とした。

無職、無食、無色。何も吸収せず、何色でもない私が、季節の過ぎ去るのを嘆くでもなくじっと見つめている。私は、何色でもない。まだ。また。

非常勤。契約社員。ずっと、正しい社員ではないと、言われている気がする。私は正しい社会の一員ではない。そんな妙な考えが頭の中でぐるぐるした。だからと言って、正しくない世界を生きている自覚もない。

知人の口から飛び出す正しい社会の一員たる出来事に私はすっかり飲み込まれ、コーヒーカップについた赤を見て時間をつぶした日もある。独特の香りと苦味が、コーヒーのせいなのか自分のせいなのか、判別できなかった。回路がぷつぷつと音を立てる。これは何の合図だろう。正しい社会で生きるために必要な生活費の話題を、おとぎばなしのようだと思いながら噛んでいる。甘くも美味しくもなくて、まるで味がしない。

◇ ◇ ◇

30年もすれば、自然と消えてくれるのだと思っていた。私も、私の生活も、こんな感情もいっしょくたにして、どこでもない場所へ、運んでくれるのだと。30年も人生を歩んだら、何もかもに飽きて、何もかもに期待せず、何もかもを諦められるのだと思っていた。でも「死に際」に、そうではないことに気づいてしまって、そこからは途方にくれたまま、持たない時計の針が進むのを想像して過ごしている。「終わりだと思っていたけれど、どうやらあと10年は延期するしかないらしい」と口にしたら、「そう思えるようになってよかったね」と言われた。心の底から、嫌な気持ちになった。




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