uni

そういう気持ちの時もあった、というはなし。間に受けないでください。

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最近の記事

日記 白い春

いきなりしずかになった夕刻、わたしは新鮮な寒さを感じて、いそいで部屋に入る。手をひらいたら、さっきまでのあたたかい笑い声がすりぬけていってしまうようでこわくなる。着替えながら泣く。機嫌取りに紅茶を淹れてみる。茶葉から溶け出る香りと呼応するようにエアコンがいきおいを増す。バランス感覚のずれた温風が部屋に満ちていく。 香木を焚く。福袋に入っていた神様の木。名前は仰々しいけれど、やさしい香り。わたしに会うべきしてきみは来たのでしょう。やっぱりそんな気がする。かぐわしいけむりがまと

    • ある日のこと

      ある日 スパイスカレーが食べたいのに、歯医者さんからカレーを食べると矯正用ゴムに色がつきますよと言われているのでがまんしている。歯医者さんやお医者さん、人なのに場所を指すときにも使えるのでおもしろい。歯医者さんに行く、お医者さんに行く。美容師さんに行くとは言わないな。次に歯医者さんに行く前日にはスパイスカレーを食べよう。 ある日 平気な顔をして、うそをついたり、いい顔をして、悪口を言ったり。大人の幼稚さは、こどもの無知の幼稚さとはちがう。知っているのに幼稚なのだから、タチが

      • うるさい雨の日

        しずかな雨の日と、うるさい雨の日がある。 2年前の6月3日は、うるさい雨の日だった。 湿気を含んだパステルピンクの服の袖からは新品のにおいがして、不快とまではいかないけれど、やっぱりすこしだけ気になった。病院に着いたころには、にぶいピンクの斑点が浮かんだところからからだにまとわりつくことを、しぶしぶ受け入れていた。でも今度は雨より冷たいベンチに座って、そこにわたしの体温や湿気が移るほどに時間が経っていくことが気がかりになっていた。 わからないなら、わからないままでよかっ

        • いつかは包んで届ける

          三服文学賞に送ったものです。 テーマは『書くこと』

        日記 白い春

          やさしい折り紙

          部屋にあったはずのものが、音を立てるひまもないまま、なくなった日のこと。普段はそこには見えなくとも、すぐそばにあったのに、最初から存在していなかったかのように、振る舞われた日のこと。 ウールコートの上でふわりと溶けていく雪と一緒に消えていってほしい気持ちもあれば、マフラーにいつか振りかけた花の香りを別の朝に感じるみたいに、いつまでも残っていてほしい思い出もある。 確かめてきたはずの靴なのに今日はなぜだか心許無くて、その理由ははっきりしているのだけれど、声に出すことは決して

          やさしい折り紙

          ぼやけても光っても夜は夜

          私は目が悪い。視力0.07の世界は、鏡に自分の息がぶつかって返ってくるほどまで近づかないと、自分の顔すらはっきり見ることができない。床も壁もすべてが平坦になってしまい、目を落とした先にある足は、私のものかどうかも怪しい。 視力低下とは無縁だと思っていたのに、中学2年生くらいのときに突然目が悪くなった。眼科では、冗談めかしながら勉強しすぎたのではと言われたので、そういうことにした。最初のほうはめがねを買って着けていたが、なかなか都合が悪いとすぐに気づき、コンタクトレンズに切り

          ぼやけても光っても夜は夜

          まだそこにいたのね

          朝のファミレスで、切れ味の悪いナイフに仕事をさせている。うっかり出没したメープルシロップの湖と、氾濫したたまごの黄身を交互に見比べながら、ひたすらに時間をつぶしている。近くも遠くもない背後から、誰かがどこかの店の安い野菜の話題に水を遣っている。 この週末は私にしてはめずらしく、やることを両手に垂れ下げていて、どうやったって軽やかなステップで踊ることは難しく、こうして食後の飲み物を悩んでいる時間があるのかといえば、そんな暇はまるでない。それでも私は、熟考の末、やっとコーヒーを

          まだそこにいたのね

          何も起きなくて愛でたし

          時刻は正午をわずかに過ぎていた。ぼんやりとした頭を揺らしながら、ベッドの横に位置する窓のシャッターを勢い任せであけた。心地よくもないのにリズミカルな音と、暑さと寒さを同時に味わう。一方で今日は勝手に音もなくやってきた。 適当に選んだシャツを羽織る。しばらく着ていないせいで生まれたしわが、勢いづく川のように腕の上を流れている。それに隠れて血液が流れるのを想像し、行き当たりばったりのあつらえもののような私ができあがる。手持ち無沙汰なまま、仕方なく視線をあげた。 ◇ ◇ ◇

          何も起きなくて愛でたし

          正しくなれない遊歩道で

          「有期雇用だったんですね」 「いえ、そんなはずはありません。正社員です」 「…有期雇用だったみたいですよ」 「………そうなんですね」   確かだと思っていたものが、確かではなくなる瞬間が、生活には散りばめられている。それは自分が気がつくか気がつかないかの差というだけで、日常はいつも危うくて脆いものなのだろう。 正しいことと正しくないことが曖昧になる世界と、正しく生きることが評価される街を遠ざけ、今日も部屋に私が見当たらない。平たく積まれた本からひとつを選んで脇に抱え、階

          正しくなれない遊歩道で

          やわらかな日常のステップを踊る

          すごいことを成し遂げない、つらいことを乗り越えない、えらいひとにならない、何も残さない、格言もない、かなしいことを忘れない、失敗ばかりする、おもしろおかしいことがさほどない、でも好きなものはたくさんある、たいして起伏のない、誰かのためじゃない、得にもならない、自叙伝を書いてみたい。 書きたいことを書いておき、読みたい人に読んでもらい、目の前の空気をかすかに揺らしたい。大きな目標は持たず、ちいさな希望をねらいうちして、はらはらと舞うきらめきを、そっと手の中におさめ、それを見つ

          やわらかな日常のステップを踊る

          気持ちが眠りにつくのを見守ろう

          「これからもずっと好き」だと、ほろりと言えるくらいには好きなものが過去にもあったし、今もある。でも、その「これからもずっと」がこぼれ落ちたことが幾度かあったせいで、少しだけ口が戸惑うひともあるかもしれない。でも、今の気持ちがまっすぐであることは確かなのだから、たとえ仮にいつか好きじゃなくなったとしても、その言葉は嘘にはならないと私は思う。 季節が移ろうのと同じように、私たちは時を追い、年齢を重ねるうちに、感情を変化させていく。変わらないことは、とても、とてもむずかしい。

          気持ちが眠りにつくのを見守ろう

          季節を溶かして食べていけ

          安心安全なはずの自室のなかで、無言で体育座りしているのには理由がある。乱雑に散らばった過去たちにじっと見張られ、身動きが取れないのだ。手を伸ばせばあの日の手紙にぶつかり、足を崩せば昔の栄光に申し訳なくなり、ちらりと目を向けた先では新旧の服たちが顔合わせて場所を取り合っている。 学生時代を丸々過ごしたこの部屋に、私が戻るのはこれで二度目だ。人生の転機には引っ越しが付き物だが、私の場合は早々に新しい場所を見つけることを諦めて、毎度ここに戻ってきている。二度目の「ふりだしにもどる

          季節を溶かして食べていけ

          ホワイトソースと白い原典

          少しだけ、ほんの少しだけの、薄っぺらいメモみたい、記事にもならず、生地でくるんだクレープのよう、パイとは違い、甘いも辛いも自分次第で、いちごの赤、あからさまな位置、酸っぱいな、失敗だ、詰め込めば滲み出て、雨上がりの窓の外、虹交わりて暮れなずむ、深いコーヒーの色、そっとミルクが溶かし、ノートを書き込めば旋律へ、かすかに奏でて笑顔、序章しかない映画かな、かろやかに折り畳む綿のシャツ、ラタタタム、ふくよかなとき、まどろむ部屋の中、なかなか伸びたヘアと意思疎通、パトロール、ときすでに

          ホワイトソースと白い原典

          文字がにじんで溶けゆく夕方

          よく晴れているのに、まだやや信用できない調子の気温だ。特に急いでやらないといけない用事もなく、テレビを見たい気分でもない。こんな日は信頼できる友人と久しぶりに会った日のことを思い出してみる。 私には友人が少ない。いや、数えてしまえばそう呼べるだろう人はやたらに多い。でも誰もを友人と言ってしまうのにはためらってしまう。いちいちそんなことを考えてしまう自分の性格がたまにいやになる。それでもその子は紛れもなく信頼できる友人だ。少なくとも、私にとっては。 彼女は私が持っていないも

          文字がにじんで溶けゆく夕方

          窓の外は外にしかわからない

          ちょっとだけ心持ち穏やかになりそうな日常を50個並べました。よければ紅茶と一緒にどうぞ。 --- ごきげんそうな鳥に起こされる 二度寝を見越したアラーム カーテンが揺れて少し涼しい 赤いワンピースがクローゼットで生きている なめらかな触り心地の紙 カプチーノのシナモンが香る午後 本の中でも夕飯時 たまたま見つけた小径 カレーのにおいがあちらこちらで 肌の調子がなぜかいい 床の気持ちがわかるくらい時間経つ 終わりのないゲームの締めどき考える 名前が思い出せないけどかわいい

          窓の外は外にしかわからない

          分刻みでふくらます風船と休日

          なんとなく嫌な感じがする。こういうときは思い切って走り抜けるか、コンビニで貰った箸を手に握って渾身の変顔を披露しながらやり過ごして、急いで飛び込んだ見慣れた部屋でココアと安心を手に入れるのがハッピーエンドなのだけれど、今回は目的地のない道の上で、ただただ嫌な感じだなあ、なんて思いながら時間が過ぎるのを待っている。 用意周到な性格でもないが、いきなりいろいろと状況が変わると、さすがに滅入る。やたらと気分の良い日なんてそもそもなかったからいいし、とはいかず、まったくよくなくて、

          分刻みでふくらます風船と休日