見出し画像

技術の進化が生んだ副作用


僕は今、人事採用を兼務しながら、人事コンサルとしていろんな企業様とご縁を頂き、プロジェクトに参画させて頂いてる。

日々様々な課題に触れるが、採用に困っていない企業はない。


その悩みに対しては、立場上人事でもあるので、共感できる点が多い。

元々人材紹介会社出身だった僕が、今、人事だからこそ感じた新しい感覚もあった。


人材紹介会社という仕事の価値を強く感じているし、プライドと誇り、大義名分を持って向き合ってたつもりでいる。


でも、立場が変わって紹介を依頼する人事となって、人材紹介業という仕事に対し、違和感を覚える自分がいる。
大学を卒業して、かなりの時間を費やし、大義名分を持って取り組んでいたものに対する、異なる感情がある。


その感情を抱くようになったのが、AIを活用した推薦である。


近年、人材紹介会社は、求職者と求人のマッチングにAIを導入し、効率化と最適化を図っている。
また、企業側でも同様、推薦者の合否判定においてもAIを導入し、そのデータを蓄積することで、マッチング率を高める為の改革を進めている。


人の感覚的なもの、俗人的なものをテクノロジーによって均一化することや、更にクオリティ―を高めていくことは良いと思う。
それによって同時に効率化を進めるのも良い。

ただ、「デジタル化することによって、最適化・効率化を生んだ先に、どういう存在価値を見出すか」を、忘れてはならない。



人材紹介会社側はAI頼みのアクションに走り、AIの学習に注力し始めている。だから、とりあえず推薦をしまくる。

「NG処理をしてもらうことによってAIが学習し、マッチング率が高まります!」

・・・

これは、人材紹介会社側がスクリーニングを放棄し、その作業を代わりに採用企業側が担うことで、AIが学習し、書類選考というアクションが効率化されているに過ぎない。


しかも、これによって採用したい人からの応募意思獲得に繋がる訳ではない。


このデジタル化によって、一体、誰が、何を得ることが出来るのか。


人材紹介業はオペレーション化が進んだ。
採用の難易度が増すことにより採用企業側も知識をつけ、インプットを増やし、採用企業側の採用リテラシーは上がった。

ある程度情報が盛り込まれた求人票が送られてくる。
或いは、システムにアップされて、自動的に人材紹介会社に情報が入ってくる。


この効率化により、人材紹介会社と採用企業間でのコミュニケーションはかなり減った。


挙句の果てには、AIの導入によって更にオペレーション化が進み、重要なことを欠いた。

それは、「対話」と「思考」。


採用できない企業が本当に解決したい問題は、応募が来ないこと。
どうやったら応募意思が取れるのか、その問題点を指摘し、改善することが本来あるべき姿。
効率化によって作り出した時間を、そこにあてて採用を支援してくことが、人材紹介会社の使命であるはず。
つまり、対話を重ね、問題を特定し、その問題の解決策を考え、改善に導くこと。


転職者側も同じ。


何がしたいか分からない、という人が増えた。
面接に来ても、そこまで応募意思を語れない。

勿論、今の時代においては面接というコミュニケーションの中で知ってもらい、態度変容させていくことが求められる訳だけど、
僕はもっと、思考が必要だと思う。

Amazonのレコメンドのように自分に合った求人が届く。

「へー、これが俺に合ってるんだ。応募しよっと。応募して、決めたらいいわ。」


もしかしたら、合っているのかもしれないけど、
僕は、転職活動って、自分との対話の時間であり、思考して自分の道を自分で決めるからこそ、責任が伴うのだと思っている。
つまり、キャリアオーナーシップ。

自分のキャリアを、自分で描くからこそ、「この道を選んでよかった、正解だった」と呼べるように、壁に立ち向かい、努力するんだと思う。


技術の進歩によって、色々なところで最適化と効率化が進んでいる。

でも、アナログの中にある魅力、価値、本質を、見誤ってはいけないと思う。


Why now? 
 ・・・ なぜ今転職する必要があるのか?選択肢は他にないのか?それがベストなのか?
Why  me? 
 ・・・ なぜこの求人に、自分は興味を持つのか?その意味は?その先にあるものは?

この問い、対話、思考を、テクノロジーによって効率化してはならない。


全ての人が、価値ある、ハッピーな明日を、迎えられるように。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?