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BON JOVI 個人的10選Ⅱ

80年代の全盛期に比べてややセールス的に落ちていったボン・ジョヴィですが、1994年に出したベスト盤「クロスロード」が全世界で1400万枚以上売り上げるなど、よりワールドワイドなハードロックのカテゴリーに当てはまらないロックバンドになっていきました。この時代のボン・ジョヴィの音楽はもうハードロックではなくて、普遍性を帯びた音楽になっていったのではないかと思ったりします。相変わらずいい曲も多いですし。僕がボンジョヴィを知ったのもこの年代で。まあ熱心に聴いていたのは1年ちょっとですが、その時は本当にボンジョヴィ中心に生活が回っていたので懐かしいです。前回にもこんなこと書いたかと思いますが。そんな感じで後半は90年代からの楽曲ですが、どうぞ。


Keep The Faith (1992年)
1992年のアルバムのタイトルトラックで1994年のベスト盤「クロスロード」と同じく2番目の曲順に配置された渋いロックナンバーです。僕は「クロスロード」からボンジョヴィに入って1曲目の「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が良すぎてこの曲はそれに比べて地味だということで最初は飛ばして聞いたりしていましたが、だんだん耳が肥えてくるとこの曲の良さが分かって飛ばさずに「クロスロード」聴いたりしていました。あのベスト盤はあの流れで本当に完璧だったなあ、だから1400万枚も売れるんやなあと思ったりします。この曲の入った「キープ・ザ・フェイス」が出た頃はボンジョヴィは80年代の過酷なワールドツアーから来るストレスと疲労で解散寸前まで追い込まれて実際そんな話も出ていたそうですが、1年から2年バカンスを取ってもう一回「再結束」して音楽シーンに戻ってきました(この「キープ・ザ・フェイス」のアルバムジャケットにそれが如実に表れています」)。時代はニルヴァーナとかのグランジ旋風が巻き起こっている最中で、1980年代を共に戦って駆け抜けた他のハードロック・ヘヴィメタル勢が淘汰されていく中、このアルバムはそれでも900万枚ほど売れて「90年代でも何とかやっていける」ことを証明しました。だからこの曲はそんな時代背景も含めて渋く響いているのだと思います。


I'll Sleep When I'm Dead (1992年)
この曲は「キープ・ザ・フェイス」のアルバムの3曲目に入った前曲とは打って変わった前向きなポップロックナンバーで個人的に大好きな曲でもあります。「クロスロード」には入っていなかったので「キープ・ザ・フェイス」で初めて知った曲でした。でもベスト盤以外にもいい曲が多いから、結局ボンジョヴィのアルバムは「ジーズデイズ」までは全部買い揃えるくらいあの当時は夢中になっていましたね。たぶん全アルバム買い揃えたのはボンジョヴィが初めてだったのではないかと思ったりします。B'zやミスチル、ビートルズとかそれまでにハマったバンドとかでもなかったのですが、よっぽど良かったのでしょうね。今でも四半世紀以上経っていますが家にあったりします。結構CDとか思い出深いから一番残ったりしてますね。いろいろと、90年代とかに買い集めたものが。


In These Arms (1992年)
「キープ・ザ・フェイス」のこの流れは神だと思います。特にこの2曲目から4曲目まで。まあ6曲目以降の曲がイマイチだったりするから、このアルバムがそこまで評価されていなかったりするのかも、ですが。でも最初の5曲目までは名盤の雰囲気を醸し出していましたね。でファンにも一番人気があるのがこの曲だったりするそうです。僕も大好きな一曲です。彼ららしいポジティブさに溢れていて、あの当時の暗く重いサウンド響かせていたグランジ旋風とは真逆の「普遍性」を示せるボンジョヴィの誠実さ、勇気に感銘を受けたりします。だから長くロックをやっていけるんだろうな、とか思ったりします。


Bed Of Roses (1992年)
この曲を初めて聞いた時「こんな素晴らしいバラード聞いたことがない」とか友人の前で言ったら、洋楽とか僕よりも先にたくさん聞いて知っていた彼が「洋楽にはもっとたくさんこれよりいい曲あるで」とたしなめられたりしたことを覚えています笑。まあでもほとんど邦楽とかしか知らなかったから、洋楽の本格的なバラード聞くとミーハーというか、素直というかそんな感じだったので、そう思ったりしたんでしょうね。確かに今聴いても結構いい曲だなとか思ったりします。いろいろあれからたくさん曲聴いたりしてきましたが。まあでもこれだけを聞くとかはもうないですけど。でもボーカルで中心メンバーのジョンボンジョヴィが一番色気のある時の曲なので、PVとかはカッコいいですね。


Someday I'll Be Saturday Night (1994年)
1400万枚も売れたベスト盤「クロスロード」に入っていた2曲の新曲の内のもう一方の方です。世間的には「オールウェイズ」の方が圧倒的に有名だったりしますが、僕はこのポップなカントリーテイストのロックナンバーが昔から大好きでした。あれだけこのベスト盤が売れたのもこの二つの新曲の出来がめちゃくちゃ良かったからだとも言われていましたね。90年代に入ってもボンジョヴィのパワーが衰えていなかったことをこの二つの新曲で示せたのだと思います。歌詞も彼ららしい前向きなもので当時受験生で英語とか勉強していたボンジョヴィの歌詞も英語で読んだりしていました。PVは静止画で失礼します。


Always (1994年)
ボンジョヴィ90年代最大のヒットシングルです。ビルボードで最高4位まで上がり長くチャートに居続けて1995年の年間チャート17位にも食い込んだりしました。僕も「クロスロード」買った時はかなりお気に入りでよく聞いていましたね。飽きるくらいに。確かにこの曲の持つパワーは凄いものがあったと思います。90年代に入ってもこのレベルの全盛期とはまた違ったヒット曲名曲をかける底力がボンジョヴィにはあるんか、と。当たり前のように当時作っていたカセットテープやMDに入れていて、最後はやや食傷気味になったりしていましたが笑。それくらい避けては通れなかったですね、編集版とかには。


Hey God (1995年)
1995年の彼らの6枚目のスタジオアルバム「ジーズデイズ」の冒頭を飾った曲です。このアルバムは結構好きでよく聞いたりしていました。それまでのボンジョヴィのイメージを覆すほど彼らにしては「ダークな」雰囲気の渋いアルバムになっていますが、90年代の空気感をパッケージしたアルバムとして僕は個人的には80年代の全盛期のアルバムと同じくらい好きです。さすがのボンジョヴィも90年代の混沌とした空気感とは無縁ではいられず、そしてその偉大な才能を「時代を表現することに」使った結果この渋い個人的には名盤だと思うアルバムに結実したのかな、とか思ったりします。この曲はそんなアルバムの方向性を決めた分かりやすい一曲ですね。


Something For The Pain (1995年)
この曲も当時好きでよく聞いていました。それまでのボンジョヴィの雰囲気はもうないですね。90年代の別のバンドかと思うくらいに。グランジの影響もさすがに無視できない感じですかね。この90年代の空気が懐かしくて今聴くと好きだったりします。結構この誰でもない時期のボンジョヴィの不安定さが心に刺さると言うか、迷っている等身大の姿が今振り返ると結構貴重だなとか思ったりします。やっぱりずっと同じでは人間いられないんだなあ、人は勇気をもって変わっていく必要もあるのだなあと、彼らの姿を見て思ったりします。生き抜いていくのはどの世界に身を置いても大変ですよね、まして競争の激しい音楽業界なら特に。


This Ain't A Love Song (1995年)
渋いR&Bのソウルバラードで、初見ではあまり好きとかならなかったのですが、じわじわと響いてきて今ではお気に入りの曲になっています。これをシングルの第一弾とかに持ってくるのは結構勇気がいったかと思いますし、現にそこまでヒットしなかったみたいですが、まあ時代が大きく変わっていくタイミングだったので仕方ないか。やっぱり90年代は特別な雰囲気を持っていますね。そして洋楽の豊饒さの最後の時代でもあると思ったりします。だからイメージ的には「夕焼け」のイメージが当てはまるのではないかなと個人的には思ったりします。何か大切なものが失われていく、二度と戻らない、そんな感じが、後の洋楽やアメリカ、イギリスなどの世界史的な流れを見ていると感じたりするので。心とともに音楽も、って感じですかね。だからこそ90年代の洋楽は僕個人の見解かもしれませんが甘く切なく、ノスタルジックに響いて来たりします。ボンジョヴィに限らずに。2000年以降は良くも悪くも洋楽は別物になったと感じたりするので。PVとか見ても余計にこの曲は「夕焼け」や「黄昏」を思い起こさせていいですね。時代の豊饒な最後の空気感が見事にパッケージされていると感じたりします。


These Days (1995年)
これは本当に最後の詩みたいな感じですね。ここでボンジョヴィが解散したら完璧だったと思わせるくらいに。それくらい叙情性に満ちた歌詞と旋律で、昔から大好きな曲でありました。でも日本の多くのベテランロックバンドやお笑い芸人、タレントとかにも言えますが、本人たちのピークはもう過ぎているのに、周りのスタッフの生活とかもあるから、それに合わせざるを得ず続けているというのが結構多いのではないかと感じたりします。本人は辞めたいと感じていても、昔ほど納得いく作品が作れなくて「内発性」が枯れていたとしても、巨大な経済圏がそのアーティスト、お笑い芸人、タレントを中心として作られたりすると、もう本人の一存ではそこから降りれないようになっていたりするから、成功するのもそれはそれで大変な事なんやなあって思ったりします。先日亡くなられたドラゴンボールの作者の鳥山明氏もそんな感じでしたよね、ドラゴンボールの連載中、何回も辞めたかったらしいですがかなり引っ張られたみたいで。個人的な見解ですが、フリーザ編くらいでスパっとドラゴンボールの連載を辞めれていたら、もう一個くらい、「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」に匹敵する名作漫画を描くエネルギーは残っていたのではないかと思ったりします。まあここでは余談でしたね。だからボンジョヴィも僕はこの「ジーズデイズ」が最後の「内発性」が絞り出たアルバムだと思ったりするので、有名な「イッツ・マイ・ライフ」以降のシングルやアルバムにはそんなに心が惹かれることはなかったです。個人的な感想ですが、すいません。


「ジーズデイズ」の最後でも触れたように「クラッシュ」以降のアルバムに関しては入れてないです。まあ僕が熱心にボンジョヴィを追いかけていたのも1997年までなので、個人的な選曲ということですいません。カントリーテイストがあったり、一回り成熟した大人のロック聞かせたりと結構いい曲があるのも知っているのですが、個人的な思い入れはやっぱり90年代までかなと思ったりします。ボンジョヴィの「陽」の空気感がきつくなってきた90年代後半の「陰鬱な」空気感をこれ以上ないってくらい見事に表現したのがイギリスのロックバンド「レディオヘッド」で、僕は急速にそっちにハマっていきました。引きこもりにも本格的に突入していった時期とピッタリ重なるので、レディオヘッドこそ人生で一番ハマったロックバンドですね。またその15選とかやっていきたいと思います。でもこの斜陽になっていく感じの時代性の最初の傾きを80年代の「王者」ボンジョヴィが見事に表現している1990年から1995年までの音楽は今聴いても当時のリアルタイムなレポートみたいでいいですね。音楽は本当にその時代性を表現しているように感じるからいつまで経っても飽きることはないですね。ではまた何かの10選で。

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