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「早稲田祭」探訪記

何でもかんでも「〇〇記」にしないと気が済まないキショい性格なのですが、先日、早稲田祭というイベントに探訪いたしました故、こちらにて「記」させていただきます。

早稲田祭とはその名の通り、早稲田大学を舞台に繰り広げられる学園祭です。(念のため)学生が頑張って運営してるアレです。日本最大級、最高級クオリティの学園祭と呼び声が高い。

早稲田大学と自分との関係性について話しておくと、完全なる第三者です。ステークホルダーですらない外部の人間。(よく言う「社員の家族もステークホルダー理論」に基づくとするなら友達は何人かいるのでステークホルダーではあるかも。)

昨年はコロナの影響もあって、入場規制があり完全復活とはいかなかったらしいが、今年はワケが違います(ワケチガ)。完全開放宣言が出ました。「陽キャ学生解放戦線」が起きました。早稲田の街に人が溢れかえっていました。そんな張鎰隆々な早稲田祭の感想を最速でお届けいたします。(終わって1週間経ちますが)

〈感じたこと一覧〉
・お金がとてもかかっているな
・カオス(ケイオス、混沌)に満ちているな
・安心するな

「お金がとてもかかっているな」
について、ですが、これは他の学園祭と比べるとわかりやすいと思います。私の通う学校(あえて伏せてみる)の学園祭には親と一緒に回ったのですが、親からは「高校の文化祭みたいだね。」と言う感想しか出てきませんでした。

一方で早稲田祭、メインステージは、普段ステージとして存在していない場所に、ステージがわざわざ組まれ、北関東とか(あくまでもイメージ)の「地域のお祭り」で使われるモニターよりもデカいモニターが設置されていました。アリーナでは、「早稲田ブランド」だけでは呼べないだろ〜、と感じるようなアーティストがライブをしていました。(indigo la End、カネコアヤノなど)

アリーナでは、(株)スペースシャワーのCMも流れていました。「LINEMO」のCMも流れていましたから、営業をすごく頑張ったんだな、と学生の努力も伝わってきました。

聞いた話によると、早稲田祭は他の学校と違って、学校側の金銭面の支援がほとんどないらしいです。学校法人としての「早稲田大学」は、場所なら貸してあげますよ〜、という感じの立ち位置らしい。(真偽は不明。)だからあのお金のかかり方にいっそう凄みを感じた。というのが、一つ。慶應の学園祭は、割と学校法人としての慶應大学からお金が出てるらしい。

カオス(ケイオス、混沌)に満ちているな
について。これは、想像が容易な気がしますが、なんて言うんでしょう。思ったよりも、変数が無限にある感じのカオスでした。文化系のサークルも頑張っているので、比較的穏やかな学生達も主役として活躍しているし、大学生になってもお揃いのTシャツを作るような活発な学生達も頑張ってお料理を作っていましたし、客引きをしていました。客層に目を移すと、「日本に存在する全てのカテゴリの人達」がいました。学生、親、老人、赤子、外国人、観光客、地域の人たち、インフルエンサーなどなど。

人の属性だけじゃない。雰囲気もカオスです。でもなんとなく傾向として感じたことは、「アウトプットに対する熱量の低さ」と「内輪ノリのエグさ」は比例するということです。

どういうことか、(こういうことです→)普段サッカーをやっている子達は、早稲田祭ではサッカーを出し物にできないため、自然とお料理作りに回ることになります。ただ、本業はお料理じゃないためそこまで熱が入らないメンバーもいる。その熱がどうしようもなく、内輪ノリに伝播してしまうということです。結果、「集客をしているのか、仲間内で戯れているのかよくわからない存在」が生まれてしまう。実はこれも「カオス」の構成要素である。一方、文化系のサークルは、この日のために拵えた作品やパフォーマンスに真剣になれるため、内輪ノリに勤しむ暇がありません。こういう理論。内輪ノリは内輪ノリで楽しいと思うのだが、第三者の目線からすれば、文化系のサークルに対する評価は爆上がりするイベントだと思いました。これらの、構図や役割が異なるサークル2大巨頭が一つの場所で交錯するイベント、まさにカオス性がありました、飲み会でことあるごとに「カオスやな〜!」と言っている人にとっては、言葉を失うくらいのカオスが見られるので、行ってみた方が良いと思います。

「安心するな」
ですが、これは私が学生バンドのライブに行って感じたことです。足を運んだのは「ロッククライミング」というサークルのライブでしたが、正直焦りました。「学生がやってるバンドなんて、、、w」と思ってる人は、語彙を失って明日から喋れなくなるんじゃないか、というくらいのクオリティで、かなりくらった。

(最近「くらう」が頻出してしまうので、そのレアリティが失われつつあるのが、重要課題になっている)

Slowdiveのコピーバンドが、フジロックで観たSlowdive(本物)だった。で、なにに安心したか、ということですけれども、Slowdiveをはじめとする、メインストリームとは言い難いようなアーティストの、それもコピーバンドのライブに、「次、Slowdiveかよ、やばいな」と心を弾ませている同世代のオーディエンスがめちゃくちゃいたことです。普段、学校で1人で爆音が流れるイヤホン(AirPods)をぶっ刺しながら授業を受けて、「俺って孤独だからしょうがない」と呟く毎日を送っている私にとって、その光景が夢みたいで救われたんすよね。もちろん弊学の学園祭では見れなかった光景。なんとなく、この先、彼らと交錯する世界線も思い描けた気がして素晴らしい日になった。

他の分野、例えばアートやフリーペーパー、その他の界隈でもこうした現象が起きていると思った。でもこれって、バックグラウンドが死ぬほど多様化しており、伝統もある早稲田じゃなきゃ実現しないんだろうな、とも思って改めて早稲田祭、すげ〜最高ってなりました。まさにカオスの産物。

以上が、早稲田祭に行って感じたことです。4年ぶりの通常開催、素晴らしかったです、ありがとう。

(P.S. 早稲田祭に参加している学生一人一人に何らかのドラマ、例えばそれは恋だったり、夢の実現だったりがあるって考えると、より胸熱になれますよね、青春バンザイ。)

(P.S. なんだそれ)

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