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「教える」 「伝える」ことの難しさと大切さ


皆さん!ボンジュール!
ようやく口頭試問が終わり修士論文のプロジェクトが全体を通して終了ました。今年が大学院最後の年で、3学期目のこの3ヶ月は本当に怒涛の期間でした。

前回の記事で論文のことについては少し触れたので、今日は僕が普段携わらせていただいているまた別のことについて記事を書いていきたいと思います。

僕は、普段はFood Politics を大学で学んでいる研究生ですが、週末は日本人学校で中学生クラスの教師として働かせてもらっています。毎週末の授業では新しい発見ばかりでクラスの生徒からたくさんのことを学んでいます。
 フランス人に日本語を教えることと、ほぼフランス語のネイティブの日本人の子供たちに国語や社会などを教えることはまた違った難しさがあり、自分自身の知識や教養を高める必要がさらにあるなと日々感じされられます。

大学院の生活は2年目ということもあり慣れてきたので「学ぶ、研究する」という点に関しては少しは成長したかと思います。(まだまだですが)そして現在は「教える」ことの難しさに直面しています。大学の授業を聴講したり、プレゼンを聞いたり、インプットをすることは「整理をする」「理解をする」などの自分の中にきちんと落とし込む作業が必要です。

しかし、実際に教える側になってみると、途中で詰まってしまったり、どのように教えたらいいかが分からなくなってくることがあり、話しながら不安になることがあります。このことから「教える」「相手に伝える」「アウトプットをする」ということがいかに難しいことかを実感しました。
 また、自分が理解していることを、それを知らない理解していない相手に伝える事はさらに難しいです。一人一人が持っている知識量は違いますし、見ているもの、育つ環境も異なります。

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得手不得手でみても数学が得意な子もいれば、国語が得意な子もいます。さらに、国語のなかでも「漢字」が得意な子もいれば、「小説の読解」が得意な子もいます。そのバラエティ豊かな個々人の違いがある中でどれだけ個性を殺さずに伸ばしながら、それぞれの弱い部分を引き上げることができるかはとても大切なことです。しかし、まだまだそのようなことを考える余裕は自分にはありません。毎回の授業でトライアンドエラーを繰り返しています。

教える立場になり、僕が高校生だったときのある数学の先生がおっしゃっていた言葉を思い出しました。それは『教えることは学ぶことであり、相手に伝えることができてはじめて「本当の理解」ができている。』そのときはボケーっと聞いていましたが、なぜかその状況とセリフは覚えていて、今になって確かにそうだなとすごく納得しています。

普段から日常的にしていることを細分化して説明していくことでメタ認知力を高め、「教える」「相手に伝える」ことをより深い理解へとつなげる。「理解したつもり」ではなく相手にきちんと伝える。そして、そのために自分の中にきちんと落とし込み、それをアウトプットとして繰り返し発信する。その過程のなかで新たな発見があるのではないかと思っています。

研究生と教師という立場を同時に経験させてもらっていることは非常にありがたいことですし、このチャンスをこれからの成長につなげていきたいと思います。1日、1時間、1分、1秒が学びのチャンスであり、これからもそれを無駄にしないように生きていきます。

それでは今日は「教える」「伝える」の話でした。最後までお読みいただきありがとうございました。
A bientôt


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