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哲学のかけら

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哲学も少しはかじっています。なにもそんなこと考えなくてもいいんじゃない、と言われるところも、でもさ、と考えてみる、それが哲学。独断と懐疑に終わらずに常に自分の至らなさを認めるあた…
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#パラドックス

自由のパラドックスを意識しよう

自由のパラドックスを意識しよう

百年も遡るまでもなく、かつては親の仕事の「あとつぎ」という生き方が、当然のことのように考えられていた。もちろん例外もあるし、人それぞれでもあっただろうが、言いたいことは、子どもに向かって、「君のなりたいものになれ。君が仕事や人生を選ぶしかないのだ」というような「空気」が、今や常識のように思われていないか、ということだ。
 
つまり、ここには「自由」が前提されている。「自由なんだから」、自由を使わな

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もはや逆説ではない

もはや逆説ではない

「逆説」あるいは「パラドックス」にはタイプがある。
 
論理的に撞着してしまうものが有名だ。「私は嘘をついている」という言明は真か偽か。真ならばその言明自体が嘘だということになり、偽ならば嘘をついていることは真実となってしまい、いずれにしても辻褄が合わなくなる。「ここに張り紙をするな」という張り紙があった場合にどう考えるか、というのも面白い話題である。「二項対立で考えるのは間違っている」という発言

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言葉の罠とその克服

言葉の罠とその克服

言葉にしてしまうこと。「分節」という語の理解を、そこに重ねてみる。「分節」は元来、言語を考察する上で、発音や意味を区切ることを意味する。しかし、心理的には、ありとあらゆる事象の中から、一部を切り取った形で捉えることと見てもよいだろう。抽象化することにも比せられるが、何を以て抽象とするかどうかに必然性が伴うのではなく、恣意的なものがあるとすれば、むしろ捨象することだと見たほうが適切であるように思われ

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