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【毒親日記】両親の紹介

はじめに

開いてくださってありがとうございます。ただ、今回の話は両親から暴力を受けた話が生々しく出てきますので、苦手な方はページを戻ってくださいね

※この記事はシリーズ形式にしていましたが、文章が長くなってしまったので大幅に更新しました。マガジンにて更新していますので、ご覧くださると励みになります。



若さが自慢だった母親

私は幼い頃、年の若い両親が自慢でした。
父親はおそらく仕事だったので、学校の授業参観には母親が毎回出席してくれました。
ひと際若い私の母親を見て、クラスメイトからは「りさちゃんのお母さんって若いね」と、しょっちゅう言われたものです。

若くてきれいで、クラスメイトからの話題にもされる母親を持つ私はなぜか得意げでした。
母親が褒められたら私が褒められてるようで嬉しかったんですよね。
「クラスメイトの〇〇ちゃんが、お母さんのこときれいだねって言ってたよ」と母親に話すと「まあね」と言って得意げに笑うのでした。


酒を飲み暴力を振るう典型的なDV父親

父親は母親よりも年上で、定職に就いていませんでした。
長距離トラックの運転手をしていたり、引っ越し業で力仕事をしていたり、アルバイトをふらふらと続けていました。

母親とは高校生の頃に付き合って卒業とともに私を産んだということを母親から聞かされました。
物心付いた頃から父親は常に家に居たので、何の仕事をしていたのかは分かりません。

授業参観に来ないのも仕事が理由ではなくて、娘のために学校にわざわざ来るのが億劫だったのでしょう。
酒癖も悪く、毎日のように母親に暴力を振るっていました。


本当のことを書いたら怒られた

毎週、学校のある金曜日に「土日のうちに作文を書いてくるように」といった内容で宿題が出されました。

クラスメイトの皆は家族と旅行に行ったり、少し遠くにある大きなショッピングモールへ出かけたりといった家族サービスを書いていました。
私の家は貧乏で、毎週の休みは特に何もせず家で過ごしていました。


だからその通り書いたら、たまたま部屋に入ってきた父親に作文帳を覗かれて「なんだぁこれ。まるで俺が家族サービスしてねぇみてぇな書き方しやがってよぉ!」と激昂されました。

父親はきっとそれがきっかけだったのか、何か他に嫌なことがあったのか分かりませんが、超キレられました。怖かったぁ。


作文帳が引き裂かれて蹴られた

その後、作文帳は開いた状態で真ん中から引き裂かれ、さらにビリビリにページを破かれました。
作文帳の表紙のムーミンは、見るも無残に引き千切られました。

父は、泣きじゃくる私のわき腹を蹴とばすと、押入れの襖まで吹っ飛びました。当時小学生ですからね。それはもう簡単にぽーんと飛んだなあ。

襖に穴が開いて、大きな音がしたので母親はびっくりして台所からすっ飛んできました。


芋虫になる母親と恐怖で震える弟

でも激高した父を止められず、母も背中やわき腹を蹴られ続けられるので、芋虫のように丸まって耐えてました。
父が母親を殴ったり蹴ったりするたびに、「ゴスッ」とか「ドカッ」とか「ドゴッ」って音が、茶の間に響きました。

弟はまだ小さかったので、すみっこで震えて泣いていました。
その日はどうやって夜を乗り切ったか覚えてないです。
きっと父親の機嫌が治まるまですみっこに隠れて、そのうち泣き疲れて寝たんだろうなあ。


ゲーム機を踏まれて破壊された

他にも、父親が珍しくアルバイトに行って、帰宅時間が遅い時がありました。
父親の帰る時間に、ご飯が出来上がっていなかったのです。
たぶんそれに怒った父親は、据え置きのゲーム機を上から踏んづけて、真っ二つに割りました。なんかの部品がたくさん飛び散りました。

あまりにも怖くて他に気をそらそうと、「機械の中身ってこうなっているんだー」とか考えてました。


大きな音が怖くなっちゃった

毎夜轟く父親の怒鳴り声と、母親の空しく響き渡る金切り声。
布団を被って恐怖に震えながら夜を過ごしてきました。
今でも、大きな音や怒鳴り声、女の金切り声は耳障りで吐き気がします。

怒るのって、非常にエネルギー使いますよね。
ばかみたい。
翌日、母親の太ももやわき腹にできていた痣ができてました。
紫色がさらに青黒くなっていて痛そうでした。


今回はここまで。
長くなりましたが、見てくれてありがとうございます。


つづく

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