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”正しさ”を説く人に「さようなら」すると楽になります
こんにちは@tateshina_lifeです。
この世の中、”正しさ”の中で生きるように周囲から強制されていると感じることが少なからずあるのではないかと思います。
特に若い頃、社会人になりたて、なる前には実感された方も多いのではないでしょうか。また、親となった今、自分の子どもに対して無意識に”正しさ”を強いていることにふと気づくこともあるのではないでしょうか。
社会全体で”正しい”とされていること(世間体や社会規範に基づく常識の中央値)に従う、妥協する性質を”協調性”と言いますが、今日はその"協調性”に苦しんできた昔の自分に向けて書いてみようと思います。
協調性についての僕のつらかった経験
僕は協調性については圧倒的に欠落していると自覚しています。
大企業からドロップアウトし、都会での利便性に満ち溢れた生活を捨て、何となく集まって頻度高く世間話をするような友達はほとんどいません。結婚相手は外国人です。テレビのバラエティ番組は全く見ませんし、ニュースもNHKの19時を5, 6分トピックをなめるだけです。
子どもの頃、協調性については本当に苦しい思いをしました。感情に従ってやりたいことをやって心から楽しんでいることを否定されることが少なからずありました。
中学校のマラソン大会を走るのが嫌で学校には行ったもののレース直前で逃げて学校から離れた場所をブラブラと遊んでだいたいの帰宅時間に合わせて家に帰ったことがあります。
もちろんその後学校から呼び出され、待っていた担任の先生は泣きながら「何でそんなことするの?」と繰り返し言われました。僕はなぜ先生が泣いているのかの理由も分からず、ただ単にマラソン大会に出るのが嫌だったということを伝えました。彼女からは最後までマラソン大会に出なければならない理由について、彼女の個人的な話を聞かされることはありませんでした。
小学生時代、僕はドラえもんのサイドストーリーを漫画で描いてました。キャラクターはドラえもんのみ。それぞれに個性があるので描き分けるのですが、テーマは戦争です。当時ハマった機動戦士ガンダムの影響があったのかもしれませんが、互いの理想・正義のために血を流し、身体の一部を失い、むき出しの心でぶつかりあった結果として生まれる何かを描いていたことは覚えています。それは長編で厚さにして5cmくらいはあったと思うのですが、「内容が残酷だから描くのをやめろ」と言われ、いつの間にか捨てられていました。
その時の喪失感は今でも思い出せるくらいに強く痛みを伴うものでした。残酷な描写をしたのは事実ですが、その奥にある登場人物(ドラえもんですが)たちが置かれた環境や、背負わされているもの、絶対的な正義などない中で抱く心理や感情について自分なりに深く考えた内容については一切触れられませんでした。
正しさを語ることの何が危ういのか
複数の人の相互作用によって継続的に成立するのが近代以降の社会ですから、その中央値や平均値から逸脱した行為や考えというものについてはある程度制限がかかることについては否定しません。
一方で全ての人が中央値や平均値に集まれば、のっぺりとした集合体としての動物のようなものがいる世界になり全く面白くないどころか、個性そのものの否定、すなわち個人そのものを否定することになります。
良識のある人は言います。「ほどほどにしなさい」とか「適度なバランスが大事だよ」と。一方でその人が抱いてきた集合としての中央値と、個性としての自分の偏りとの間で起こる葛藤についての個人的な物語について話してくれることはほとんどありません。僕が聞きたかったのは、社会の中で生きる個人としての偏った物語なのです。
社会的な正しさは人が語るまでもないのです。
情報としてそこら中にあふれています。
それが社会だから、です。
僕を正しさバイアスから救ってくれたこと
僕を救ってくれたのは、大学院生になってから東京に出て下北沢や渋谷、吉祥寺のクラブで開催される音楽イベントで出会った職業もバラバラな5〜8歳くらい歳上の”大人”たちでした。
タバコの煙とアルコールの香りが漂う暗い空間で、彼・彼女たちは社会を主語とした”正しい、間違っている”ではなく自分が主人公である”好き、嫌い”についての物語を語ってくれました。当初、驚いたと同時にものすごく安心したことを覚えています。
結果として僕は個人の物語の中で生きることができました。
昔の僕へ…
安心して大丈夫だよ。
僕は今とてもハッピーな人生を生きているよ。
社会を主語にして正義を語る人とは離れていいんだよ。
個人が主人公の物語を楽しそうに空気に乗せる人を大切にしてごらん。
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