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謙虚な態度や感謝の気持ちは”持つ”のではなく”自然に発生する” | 自分を褒めましょう

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は自分を褒めることの大切さについて書いてみます。

日本で育つと小さな頃から「常に謙虚でいなさい」、「周りの人に感謝しなさい」とは言われるものの、「常に自分にプライドを持ちなさい」、「自分に感謝しなさい」と言われることはほとんどありません。

謙虚でいること、周りの人や周辺に感謝することはもちろん大切ですが、そこにあまり自分自身が登場しません。

ある分野で人よりも抜きん出たものを作ったり、善いことを行ったとして親から褒められることはあるでしょう。一方で他人を前にして手放しで褒められたことがある人はあまりいないのではないでしょうか

他人との関わりで使われる”愚息”や”愚妻”、”至らないもの”という言葉は日本特有なのではないでしょうか(少なくとも欧米圏や中華圏で同様の意味を耳にしたことはありません)。

僕は自分が書いたものを見て感動します。自分の行動について身体の内側から熱くなるような感覚、感情を持ちます。(特定の能力に限った話ですが)僕のような力を発揮できる人は世の中にいない、と断定することができます。

何かを行ったり行動した後で「自分って本当にすごい、奇跡のような存在だ」と心の中で毎日繰り返していますし、他人を前にして口に出すことすらあります

裏に目的などなく、素直にそう思っているからです。

具体的な能力の中身について話はしませんが、僕が固有の能力を発揮できていることは、生来のものに依るところもありますし、他者を含めた外部環境に依るところもあります。行動遺伝学で実証されています。

ですから僕が能力発揮できていることについて、そのような外部環境に巡り会えた奇跡について感謝をすることは当然です。

僕も出会ってきた他者や外部環境に感謝しています。そして僕という存在を形成してきた遺伝子の奇跡についても感謝を越えて、畏れのような気持ちすら持っています。

一方で僕自身、僕が発揮する能力、その結果としての変化については誇りを持って良いのです。褒めてあげて良いのです。客観視して感動したり泣いたり、崇めたりして良いのです。

自分に誇りを持つことができれば自然に他者に対して謙虚になります。外部環境が与えてくれた奇跡に対して感謝する気持ちを持つようになります。謙虚さや感謝の気持ちは行動の結果として自然に発生するものであり、意思を持って手段として表すものではないのです

僕は中国で仕事や生活をして様々な人たちと接してきましたが、経済格差が日本と比べ物にならないくらい大きな社会の中で、当時出会った人すべてが自分に自信を持っていました。

奥さんや子どもを紹介する時にもへりくだるような態度、言動を見せる人は皆無でした。それで嫌な気持ちになることはなく、むしろ暖かい気持ちになったことを覚えています。

繰り返しますが、謙虚であること、感謝を示すこと、は結果として自然に発生するものであり目的に沿った手段ではないのです。日本では伝統的に自分自身を相対的に下に置くことが”正しい”態度や行動とされてきただけです。

他者や外部環境に対して謙虚であり、感謝を示すことを否定していません。その態度を自分自身に向けることは両立するのです。僕は今素晴らしいことを行ったけどそれは皆さんのおかげです、ということです。これをセットで表現することで、自分は育っていきます。

自分が素晴らしいことは当たり前です。

自分が存在することが奇跡なのです。
それは他者や外部環境に対しての福音でもあるのです。

他者にも自分にもフェアでいてください。

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