情景らしきものを書いたり歌ったりして綴っています。

情景らしきものを書いたり歌ったりして綴っています。

マガジン

  • 胸中の手記

    感覚に集中しようとして生きると人はどうなるのかという実験をしている人の生活を描いている日記風小説。

  • おとぎ

    考えたおとぎ話。人生の冒険を楽しみたい人向けです。

  • 覚えておきたい。腑に落ちた。勉強中のこと

  • 11,729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす

    毎日1通の手紙を書いて更新しています。 完成すると一点ものの手紙の綴りが出来ます。 手紙は一通一通封筒に入っています。 大事な気持ちの手紙が届いたり、自分で出さずに保管する手紙でも、日記とは違う感性で書かれた誰かを思ってのものが形に残るように工夫してあります。

最近の記事

大きな言い訳(未来を言うの続き)

 でもわたしの考えでは、勘も人間が生きていれば働かせずにはいられない。  何か、今わたしは何かを恐れているんだけれど、こういうことは子どものときには思わなかった。  わたしがこうして考えていることは確かに肝心で、この意味が素直に伝わるなら空気だって読み過ぎないでよくなるし、集中してやったことの結果が自分だけではない、誰かの役にも立つ。  もはや勘というものではなくてもいい。  とんでもないことをしようとしなくても、よく集中して感じ取ったり、何を感じたのかに気付いてほしい。

    • 大人の巧妙より上の巧妙(未来を言うの続き)

       わたしが勘を働かせようとしたときに見るものは何なのか。  それは記憶から統計を取って最も可能性がある場面を示しているのか。  だとしたら、子どもの頃のわたしには、統計を取れる程の膨大な記憶はないのだからおかしい。  大人の勘への信用度が、子どもの勘への信用度より低くなるのは、これは大人が巧妙だからではないかとわたしは思う。  それで、実際に大人のわたしは意思が働き過ぎているとよく見えないし、子どもの頃よりも自分を疑うようになっているし、色々と邪魔な考えが多かったからわかる

      • 多分それを言うためです。(未来を言うの続き)

         いい忘れたけど、ところで志と忘れるって字が似過ぎていて、志は、そのときは士たちが心の中にいて(士たちってなんだろうね)、忘は心の中の士たちが死んだんだろうか?なんて、考えてしまった。  今はその話ではないけど、そう、言い忘れたけど、犬は工場の敷地の隅にこしらえられていた小さな造植林に隠れていた。  というのを(後で)聞いて、わたしの胸が希望に躍った。わかるかしら。  わたし、わたしに限らず、人って、もしかして本当に、望遠鏡みたいに、わからないことをわかるようにすることがで

        • 犬についてはこう見えたよ(未来を言うの続き)

           ある犬のときは、わたしが見たのは砂利だった。青味のある、ひんやりしていそうな砂利が見えた。枯れたすすきや川も見えた。  随分あちこちをうろうろしたけれど、彼には道がわからなくて、家の方角だけがわかるようだった。と思ったのは、彼がいろんな場所の匂いを嗅いで、顔を上げているのが時々景色の見える合間に感じられたからです。  彼は来た道を戻るということは考えずに、直線的に、山を越えて、行き止まりも通り抜けて、帰ろうとしていました。  それでわたしは「帰ろうとしているようだから、近

        大きな言い訳(未来を言うの続き)

        • 大人の巧妙より上の巧妙(未来を言うの続き)

        • 多分それを言うためです。(未来を言うの続き)

        • 犬についてはこう見えたよ(未来を言うの続き)

        マガジン

        • 胸中の手記
          20本
        • おとぎ
          525本
        • 覚えておきたい。腑に落ちた。勉強中のこと
          1本
        • 11,729光年彼方へ枯渇しても愛を湧かす
          119本

        記事

          望遠鏡が意思を持ったら見えない(未来を言うの続き)

            未来のことを言うときに、こんな風によくわからないものを見るのでも、そのときには微かに、何か情報が無ければ無くても、脳裡に浮かぶものをこうして捉えられる運動が自分の中に起こることは、安心感を生みます。  わたしは自分の脳には常々、何か刺激が与えられないと、独自で快い運動が起こせないのではないかと、心細くなっている。  心細さを解消できるような刺激には、全く自然なものという性質があるとわかっているにもかかわらず、全く自然な刺激を探し出すのに、自然ではない刺激をたくさん受けて

          望遠鏡が意思を持ったら見えない(未来を言うの続き)

          望遠鏡になる(未来を言うの続き)

           では、犬は見つかるかという質問に答えようとして、五感を閉じて、犬、会ったこともない犬がどうしていて、どうなると答えるとき、頭には何が浮かんでいるのかを、記録しておこうと思います。  それは、時間軸のわからない、断片的な映像です。視点もよくわからない。  人が記憶を思い起こすときとよく似ている気がするけれど、新しい映像を見ているから自分が何かを思い出しているわけではないことは確実です。  そうすると、愛する人や恋しい人が今どうしているだろう?と思ったときは。  こういうと

          望遠鏡になる(未来を言うの続き)

          五感を閉じる(未来を言うの続き)

           まず、時間、間をくれと申します。  それでも何時間ももらえるわけではない。尤もなことです。  全部の状態や状況が、これはわたし自身も変化して行っているのだから犬の状態も質問を受けたときと全く同じ状態でないことは簡単に想定できるでしょう。  ここからが自分でもよく確認しないとおかしな行動ですが「勘がすごい!」と褒めてもらって喜んでいる場合ではない。  目を閉じるでしょう。そして意識的に五感を、今の自分の周りのものを感じないように閉じてしまう。  なんでか。これは教えてもら

          五感を閉じる(未来を言うの続き)

          見つかると言った犬は見つかるが、不思議はそのことではないのです。(未来を言うの続き)

           本日、それで犬が見つかるとか見つからないとかは事前に言えるのかを書こうとすると、いつも持ち歩いている筆記用具を忘れて来てしまったらしく、ポシェットの中にも鞄の中にも無い。  万年筆トリオが傍にいないだけでこんなに心細いのだから、忘れ物には気を付けて、必需品はよく確認してから出掛けましょう。  鞄さんにはこの、水色のペン。  犬が見つかるか見つからないかを事前に言うことは、今のところは出来ている。  事前に言った通りになっている。  本当に、筆記用具がないと自分のためにす

          見つかると言った犬は見つかるが、不思議はそのことではないのです。(未来を言うの続き)

          犬がいないとき(未来のことを言うの続き)

           犬の話をしましょうか。犬の話をしよう。  例として一つ書いておくと、犬がいなくなったときなどは最もわからない感じがする。  「犬は見つかるだろうか」という(質問を受けたとき)、通常はわからなくて当然の質問だと思うでしょう。  だけど相手が親しければ何とかして答えようとするわけです。  これは正解が出せるか、言うことが正解か、というよりも、まず精神力とか、誠実に、外しても本当に直観とか、直感とかの通りに言えるかどうかを自分に試さなければならないでしょう。  尚且つ正解であっ

          犬がいないとき(未来のことを言うの続き)

          未来のことを言うときの感覚

          未来を言う  わたしは今あることにまた気付いて、その感覚を保ちたくなっているから、それが文字の上にも滲んでくれれば良いと思います。  プルースト効果とは少し違うのかも知れないのだけれど、良い心地に切り替わるスイッチのようなものを探していて、これは何と言うのでしょうか?  状況を過去に戻すとか、自分の年齢を過去に戻すとかではなくて、気分だけ、心持ちだけ、人生のいくつかの場面で感じた、疑いようもないもの凄い気持ち、要するに、感動している自分を呼び戻して、今も素直に何にときめくか

          未来のことを言うときの感覚

          なぜわたしはとっ散らかり屋さんなのか(感覚の話の続き)

           こうして書くと、注意事項を書いているのに偏って感じる。それから、何かの主張のように感じる。(見ていて少し苛々する)  これが表面的にはどう見えるかというと、全く変わらず明るく見える。  下手をすると自分でも明るく元気なつもりで生活してしまうけれど、このくらい違和感が小さいうちに、何か対処するべきことがある。  これが、落ち込んだ感覚や、自分への不信感だということに、早く気付けるようになっていて下さい。  胸は何気なく苦しいけれど、この小さい辺りでバランスを取って、自分を盲

          なぜわたしはとっ散らかり屋さんなのか(感覚の話の続き)

          最初には善悪ではなくて感覚

           最初には感覚です。  善悪ではなくて、感覚です。  ここまでの経験から思うに、人は実は殆ど善悪での判断が正確ではありません。  倫理が完成しても、利か快楽がなければその通りには動きたくないものです。  どちらかと言えば、好き嫌いが先に来て、好きなものを正しいと思い、嫌いなものを悪いと思い、そのために言葉を尽くしたりもするし、気が変わることもあります。  好ましい感覚。本当の好ましい感覚。わたしは自分の本当に好ましい感覚というものを、これもよく追求していなかったでしょう。嫌悪

          最初には善悪ではなくて感覚

          序のその2 自分から大事な感覚を鈍らせているので

          序 続き わたし自身がこう、書きながら、自分を見失ってゆくときがあることを、理解して、覚えていなければなりません。  ここは、複雑な話で、人は生きていて確信を得たとき、これから取りかかることが何かの証明になるとか、自分や周囲にとって大変喜ばしいことになると確信の持てることが起こったとき、このときはとても幸せで、自分を信じることが出来るでしょう。  希望的観測を決めつけて確信に持って行って、安易に自分を信頼し切ってしまえることは、ある意味幸せでしょうが、わたしは自分に対しては

          序のその2 自分から大事な感覚を鈍らせているので

          序のその1(序文はまた後日続きます)1年後のわたしが言ったこと。

          序 ここから記すことは、わたしが確実に、ほぼ確実に自分にとって、自分の近しい人にとって、幸福であって欲しいと願う愛する人にとって、有用。暗闇や困難や、追い詰められたときをくぐり抜けて、希望と、愛されている自信と喜びを逃さないために、わたしが有用だと思ったことであって、わたしが死んでも、人に受け入れて頂けるものではないかも知れません。  だけれど、覚えておいて下さい。  忘れたら見に来て下さい。  注目のためでも、富のためでも、どなたかの気を惹くためでもございません。勿論、同

          序のその1(序文はまた後日続きます)1年後のわたしが言ったこと。

          【日記風小説】4月5日 胸中の手記 準じようとして疎かにならず自分から逃げず。

           4月5日 金曜日 曇り  確かに曇っています。確かなことは。  確かなことは、鼻が詰まっている。確かなこと、掃除、楽器でコード進行を組み立てるとき、自分から逃げる自分を発見したこと。  美しさの規準、幸福の規準、楽しさの規準が世にありまして、自分が苦悩することがあるのは、それに順じて、ではなくて、準じていないからだと考えていたけれど、これではまだ浅はかです。  規準に準じ切れていないからと、準じようと熱心になり、疲れて、規準を破った人たちのすることを好み、またそれに準じ

          【日記風小説】4月5日 胸中の手記 準じようとして疎かにならず自分から逃げず。

          【日記風小説】4月4日 胸中の手記 恋心よりも日記の時間。

           4月4日 木曜日 曇り  日記。それは重要です。わたくしのように、人を動かすよりも自分を動かすことが必要になっている人間にとっては、感じたことに忠実になる時間もまた重要です。  たとえば、そうする時間もないまま合羽を着て仕事に行くとね、この、仕事に行くのに合羽を着ている時の自分の考えがわからない。  雨の感覚も飛ばして、時間のために走って、理想を忘れた感じのまま、寝てしまっている、疲れて寝てしまっている雇い主を起こして、音が流れ、歌っても自分が見えず、人の声の中にも真実

          【日記風小説】4月4日 胸中の手記 恋心よりも日記の時間。