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大事なお話(柔順な人こそ表現してください)

大事なお話

(起こった出来事そのものは、いろんな方にとってはそれほど大事ではないのですが、柔順な方々が自分の身を守る方法として必要なときもあるかもしれませんので、同じことで悩んだらいつかまた読んでいただきたいと思います。)

わたしはここで文章を書いてきました。歌って、動画まで録れたときは公開してきました。そこで災いを呼び込むことになってしまいました。だからわたしは書くのも歌うのも、やめようかと考えました。

災いとは、ここに書いたものや公開した歌などに、柔順さと、あまりにも人に訴える力のないことを見つけて、自分のものにしたいと強く願う人が現れたことです。

ご覧の通り、わたしの表現していることに目を通してくれる人は殆どいません。(貴重な存在です。)
いないのに、いないからこそ、折角柔順で素直な表現をするのに人の役にも立ててなくて勿体ないと思って下さったのかもしれませんが、強く願って、わたしを私物か、自分のパートナーのごとく公に扱う人物がいて、わたしは困窮しておりました。

それでも柔順で素直な表現を続けようとしておりましたが、火に油を注ぐようなことになり、わたしは本当にやめようかと、楽しみの一つであったのに、真剣に悩みました。

わたしは特定の方の持論をエスカレートさせ、妄想を強かにさせるために表現をしているのではありません。
このことを公言してから表現すれば、少しはわたしの心の咎も外れるだろうかと考えております。

柔順に、慎み深くすると、表現というものは難しくなる気がするのですが、わたしはそういう心を持つ方にこそ、たくさん表して、身を立ててほしいと願っていて、自分もそのようであるために、日々精進を心掛けております。

今後はこのような些末なことを気に病まずに、また一心に、感じたことを人間らしく共有できるようになりたいと思います。

お会いしたことのない方の個人宅を訪れて、お願いされたことにお応えするなどということは、断じてありません。わたしのためだと申されましても、ありません。
許可なしでの訪問や連絡にも一切応じませんので何卒よろしくお願い申し上げます。

もし、負けじと柔順、素直であることを貫こうよ、という気持ちでこれをお読み下さった方がいれば、そのお気持ち伝えて頂けますと心強いです。
敬意を込めてお礼し、応援したいと思います。

まだ、インターネットでは表現をやめようか、などと迷っている途中ですが、柔順な、素直な方々、決して表現そのものを続けてほしいと願っております。
読んでいただき、ありがとうございました。

難しいです……。