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昭和のくらし博物館を訪ねて

戦後復興期の民家がそっくりそのまま

 天気も良く、風も穏やかだったので、友人を誘って「昭和のくらし博物館」に行ってみた。昭和二十六年、住宅金融公庫の融資を受けて建てられた戦後復興期の木造民家が、そっくり博物館になっているのである。

 東急池上線の久が原駅から歩いて10分弱。「ここでほんとうにいいの?」と不安になるような狭い路地に入っていくと、それはある。

 門のわきにゴミ箱がある。上の蓋を開けてごみを投入する。前の蓋をスライドしてそこからごみを掻き出して回収する仕組みである。私の幼い頃は現役だった。数軒分のごみがこれ一つで足りたのである。今では信じられないほど家庭ごみの量が少なかったのだなと思う。

友人と「これ、あったー」と声を上げたなつかしい共同ゴミ箱。こんなに、ちっちゃかったのか!
友人はかくれんぼでよくこの中に隠れたそうだ。

 入場料を払うとスタッフさんが丁寧に解説して案内してくれる。
 この建物は館長である小泉和子氏の御実家だそうである。ご両親が亡くなり、住む人がいなくなったので、昭和復興期の建物や、家具調度や道具類などそっくり残っている今や貴重なそれら生活家財を公開することにしたという。
 設計は、和子さんのお父さんの小泉孝氏。設計技師だったとのことで、随所に工夫を凝らし、狭いながらも機能的である。家具もご自身で設計されている。

 最初は水道も井戸もなかった。それで、小泉家の子供たちは、毎朝近所の地主の家の井戸を借り、天秤棒にバケツを下げて水を汲みに行ったそうだ。 

玄関わきの井戸はちゃんと水もでる。ただし、開館当初はこの井戸はなかったので、これは後から掘ったもののよう。
一、二階合わせて十五坪の狭小住宅。ここに六人家族+下宿人二人が暮らしていたといいます。
(写真左側は博物館になった後の増築部分)

 庭は来館者用に椅子がいくつか置かれている。この庭も、戦後の食糧難の時代には家庭菜園であったようだ。
 天気も良く、温かかったので、椅子に座りながらのんびりしてしまった。見上げると柿の枝が青空に延びてた。

 入口の受付の小屋はミニギャラリーとミュージアムショップになっていて、そこにアニメ「この世界の片隅に」のカットがいくつかかざってあった。

 実は私はアニメ(ただし、当初公開版ではなく新作部分を加えた長尺版の方)をほんの少しお手伝いをしたことがあったので、そのことを言うと、スタッフの方が、アニメのスタッフがここに取材に来たと教えてくれた。

 彼らがそこで知りたかったのは、家事などの生活の所作だったという。料理、洗濯、裁縫などの動作である。そこで役立ったのが、小泉和子氏がお母さんのすずさん(偶然にもアニメの主人公と同名)が家事をする姿を記録した映像だったという。
 昭和の生活も消えつつあった80年代に、わざわざ映像資料として撮影したものだそうだ。それが、あの映画に活かされている。


 さて、帰りは別の道を通って駅に戻ろうということになった。この辺りは多摩川が削った崖の上になる。その崖の縁に沿って歩くと奇妙な祠があった。

 鳥居があるから何かの神様なのだろう。しかし、看板も説明もなければ、石柱のようなものにも、何も彫られていない。
 この謎の祠については次回に書くことにしよう。



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