第4章 ある未完の草稿のエクリチュール

未完のアイデアを、公開する。それは詩的なものによって誤魔化すことを意味する。いずれ消したり、修正して再公開するかも。

起源としての叫びと、複製された音と光

四肢や胴体という器官(ジェスチャー)や声、そして光の全方位的な共有-太陽による視覚の共有、それらはいずれも光と音を主とする媒介-メディアが中心を占め、象形文字やオノマトペ的なコードが構造を為していた。コードの根源とは何か?それは「叫び」である。コードは媒介-メディアの変化と共に拡張する。技能とは技術であり技術とは技能を補完.模倣する。つまり、技術とは常に複製-反復を志向する。光や音は時代を経て複製可能となり、神経も計算機という形で複製され、拡張する媒介-メディアと共に、生態系も転換する。それは「アラウ」の凋落と共に、より計算の量的比較によるコードの質的な転換である。声が美しい人はボカロによって乗り越えられた。身体の美しさは、アバターによって。足の速さは自動車によって。操作可能なマテリアルの変化による自由度の増加と比例して、世界への叫びが単なる情報に還元されてしまい、そのリアリティが失われる。我々は元来、快楽や苦痛のメッセージを世界への呪詛として全力投球していた。「愛している」や「助けて」と全力で世界へ叫び、訴えようとする。そのような動物が我々、ホモ.サピエンスであり、そしてその「叫び」を意志した瞬間に、言語が生まれたのだと思う。使えるものはなんでも使って。最終的には、口が一番便利であった。
リアリティの喪失は、外国人や動物と話そうとするときに我々が魂の叫びとして、全身で、相手へとコードを伝達させようとする意志が、翻訳技術云々によって、失われることを思い浮かべればよい。それの是非はともかく。
技術の進歩とは魂の叫びを有するホモ.サピエンスの頽落でもあるのだ。

速度のクラスター 死票-0と民意-1

「言葉はまるで雪の結晶」とOfficial髭男dismは言った。声は10kmの半径に限られるが、「ユビキタス社会」においては、速度と距離は光速と非局所的なネットワークによって結ばれることとなった。
声の半径10kmから、光速に開かれた空間への移行によって、人と人の間には常に機械が介在する(ユビキタス)。自然言語から形式言語(プログラミング)へ、つまり、GUI.CUIへと空間-メディアへのインターフェースの仕様が変化したのである(言語から現象へ.落合陽一)。それはアルゴリズムへの親和性=情報処理速度の差異によって、社会.共同体のクラスターが従来的な暴力や声中心の階級構造が溶けることを意味する。速度の差異は常に存在する。それはニューラルネットワークにおける閾値へと至らない速度のニューロンは存在せず、海馬でのシナプス刈り込みがなされることへのアナロジーとして対比的に捉えるのなら、それは現代の民主主義というシグモイド関数的な集計における死票に値する。コードの転換によって、全体性からゾーニング-排斥される部分も共に転換したのである。
もう一度先ほどの例を挙げるのなら、声が美しい人はボカロによって、身体の美しさはアバターによって、足の速さは自動車によって、コードの転換と共に、ゲームのルールが変わった。
そして、速度の差異を止揚するものが国家に相当する。

名を与えられた者達

コードの転換としての「匿名性」は叫びのリアリティ喪失へ大きな意味をもつ。人々はアラウ-ひとつしかないものとしての名を捨て、計算機が介在した新しい自然.空間で、新しい名を与えられた。吟味.noteとは計算機という親-超自我への暗黙の隷属であり、この空間-インターネットにおける名の互換可能性ほどアラウの凋落を示すものはないだろう。
それは身体へと及んでいる。加熱する情報量に圧倒される自我は分裂し、インターフェース的主体として、計算機の眼差しを内面化させる。レコメンドとは名の付与なのである。そして、伝達経路の自然性は、技術によって経路が非線形でグローバルな流動性に晒され、経路の痕跡は事実上、追跡不可能。「ビックデータという名」へと身体がチューニングされていく。
出生前診断のような機械への過度の依存が人の生殺にまで及ぶ(シビュラ)ようになれば、それは計算機が親-超自我となり、それと戯れる子供達-「アルゴリズム症候群」による脱領土化が進められていくことは以下で述べていく。

超自我を司る計算機 シンギュラリティと「アルゴリズム症候群」

複数の「叫び」への応答はいいねという「ボタン」へと還元され、死票と、化け物と化したインフルエンサーの二極化を、その二つの速度の差異によって生み出し、極めて功利主義的なコードが蔓延している。
叫びの「アラウ」は、複製され、切り取られ、断片化し、微分化された部分が、ディープラーニング.生成AIによって積分化される。
つまり、速度の差異を極限にまで遂行させると、後には計算機という超自我しか残らない。
それが俗にいうシンギュラリティであり、脱領土化としての家族解体は、ニューラルネットワーク、ビッグデータ、ユーザーインターフェースという超自我によって、子供たちはアルゴリズムと対峙し、フィードバックループを重ね、ユニコーンが誕生する。遺伝子コードはオープンソースに共有され、改良.編集による脱構築的生成変化によるコードの飽和-ユニコーン化が生じる。木.カブトムシ.ネコや土.水.炎や重力や電磁気という元来の自然はもうない。そこには「アルゴリズム症候群」と名付けられることになる子供達がGUI.CUI.および電子工学.遺伝子工学による、空間-メディアへのアクセス権を巡って、ハッカー的なイタチごっこを無限に重ねる。あるいは、インターフェース的主体というVR的なエピクロス主義的唯物論によってアルゴリズム的享楽へ陥るのかもしれない。BMIによる変性意識状態へのジャックインと、神経のさらなる加速。

大地へ 山彦と故郷

「アルゴリズム症候群」に打ち勝つ唯一の方法は、叫びを取り戻すことだ。この地球という惑星における大地.海.山というインターフェースへ回帰すること。速度のクラスターに打ち勝つ唯一の方法は、対立ではなく差異による関係、原始的な共同体へと回帰することだ。

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