見出し画像

席を譲る?譲らない?問題

「どうぞと声をかけたら断られた」
「老人扱いするなと怒られたことがあるから譲るのを辞めた」

昔から度々議論される電車やバスでの席を譲るか譲らないか問題。
あなたも一度や二度は譲った経験、もしくは譲ろうかどうしようか考えた経験があるのではないだろうか。
はたまた誰かに席を譲ってもらうことがなかっただろうか。

私は電車やバスで座っている時に混んでくると、どうしようかと考えて、声をかけるまでにアレコレ思考を巡らせてなかなか動けないタイプなので、なるべく考えるのを減らすため長距離移動やよっぽど疲れている時以外は混んでいなくても座らずに立つようにしている。

声をかけようか悩む理由は相手の事情がわからないからだ。
例えばおじいちゃんおばあちゃん世代の人が自分が座っている時に乗り込んできたとしても、
ひょっとしたら次の駅ですぐ降りるから座るほうが面倒かもしれないし、
膝が痛いから座るために膝を曲げるほうが辛く、立っている方が楽かもしれないし、痔でおしりが痛くて座れないかもしれない。

昔、腕を骨折している人が満員電車に乗ってきたことがあった。
私は始発にほど近い駅から乗車し、一番端の座席に座っていた。
快速電車だったため、あと20分は電車は止まらない。
その人は私が座っている座席横の窓際ポジションで扉に寄り掛かっていたけれど、揺れるわ隣の人の体が当たっているわで明らかに大変そうだったので恐る恐る「席、変わります!」とそんなに大きくないボリュームで声をかけた。

だがちょっと恥ずかしそうに「大丈夫です」と断られてしまった。

混んでいる電車内でバランスを取りながら座席の正面に移動することは大変だと判断したのかもしれないし、立って寄っかかっているほうが楽だったのかもしれないし、注目を集めるのが苦手で電車内という密閉空間の中で変に目立ってしまって恥ずかしかったのかもしれない。
私は「そうですか。」とすぐ引き下がってその人の意志を尊重した。

でも人に譲ろうとした行為自体は隣の席の人に「すごいね、えらいね。」と褒めてもらえた。
それこそネット記事のコメントでよく見かける「日本も捨てたもんじゃない」的な感じに写ったのだろう。
相手にとっては迷惑だったかもしれないけれども自分では行動に移したことに満足した。

時に私たちは、自分の厚意が受け入れられないと、受け入れなかった相手を責めてしまったり、凹んでしまいがちである。
なぜこんなにも長く「席を譲る?譲らない?問題」が起きるのかというと、
相手の背景を考えず一緒くたに「席を譲りましょう」と啓蒙しているのが原因ではないのかなとふと考えた。

圧倒的に座りたい人が多いから譲ることが正義のようになっているが、本当に席を譲られることが相手にとってベストなのかどうかは聞いてみないとわからない。
殆どの場合は譲られるとありがたいし、たとえ次の駅で降りるから座る必要がなかったとしても、その気遣いが嬉しいものである。

これはコミュニケーションの問題なのである。

「席を譲ったほうが良い」という植え付けられた先入観から、相手が座りたいのか座りたくないのかを聞かずに「どうぞ」と言っているのだから、それは断られる機会もあるだろう。

それに、老人扱いされてイヤな人がいるということは年齢関係なくどこでも起きていると思う。
だって、30越えたあたりから誕生日なんて嬉しくないとか年齢は言いたくないって思っている人は多いと思うし、他人からおじさん・おばさん扱いされたら嬉しくないと思う。
こういう感覚の人が、元気なのに勝手に年寄り扱いされて怒って断るのでは、と思う。

ちなみに、社内に口が悪い採用担当の鮫島さん(仮)という人がいるのだが、応募者や採用者に対して「あの人30代後半なのに雰囲気がおばちゃんなんだよな〜」とか「あの人若く見えるけど40超えてるんだ。おばちゃんじゃん」とか言ってるのがしょっちゅう聞こえてくる。アラフォーの私はいつ鮫島に一発くらわしてやろうか…と思っているので、私も高齢者になったときに席を譲られて勝手におばあさん扱いするなって怒るタイプかもしれない。


それを踏まえて、次に席を譲る機会がきた時には「お姉さん、電車の中で立つのと座るのだったら、どっちがいいですか?」と聞いてみようかと思っている。




この記事が参加している募集

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?