風が遠くに連れていくから
僕は海岸で佇んでいる。
風が波を連れてくる。
時に漣、時に大波。
波達は風に乗って戻っていく。
同じ波は二度として出逢えない。
水飛沫と水平線を見つめ続ける。
ライフステージが変わる事がある。
海外駐在、上京、就職、卒業。
僕は変化が起こると、ある事をする。
昔、住んだ街を訪れるのだ。
確かに懐かしさを感じに練り歩く節はある。
ただ、過去に生きてきた自分も連れ立って、
未来を歩みたいと考えているのではと思う。
過去の時間は存在しないし、触れることは出来ない。
時間が経てば経つほど、記憶は曖昧になっていく。
曖昧であろうが、その場に立つ。
そして、目を細めながら探すのだ。
水平線に映る微かな煌めきを。
日本を旅立つ前に、訪れた場所がある。
上京して初めて住んだ街。吉祥寺。
そして、当時住んでいたマンション。
5.4畳の一部屋。一人暮らしが初めてだった。
一般的な部屋の広さの基準を知らずに契約。
友達に犬小屋みたいな広さ。と言われた。
ただ、ウクレレ練習したり、遊んだり。
狭い部屋に、細やかな幸せが詰まっていた。
勿論、その部屋で嘆き苦しんだ日々もある。
仕事から帰ると玄関で
急に身体の力が抜ける。
お風呂も入らず、ご飯も取らず。
そのまま、朝を迎える日々が続いた。
餓死してやろうかと思った。
我慢出来ずに賞味期限の切れた
菓子パンを悔しさで握りしめながら
齧り付いていた、そんな夜。
僕は、ここで生きていたのだ。
それだけ思い出せば、十分だった。
住んでいたマンションの前に立っただけだ。
同じ時間は戻ってこない。
辛かった思い出だって、もう僕の目の前にない。
当時の波は、遠くに行ってしまったのだから。
美化されているのか、微かに煌めいている。
とにかく、水平線を見つめてやるのだ。
過去を振り返る。よく僕はする。
過去を振り返る行為は
今から数えて毎秒の未来を使って
過去を思い出すことにある。
だから、過去は後ろに存在しないと思う。
今、水飛沫が上がるその波の先。
遠くの水平線に見えるものだと思う。
また見える景色も変わっていくのだ。
この行動とよく似たシーンを知っている。
Netflixの火花だ。芥川賞作家 又吉が著者。
二人の芸人の物語。
キャッチコピーは
「狂おしいほど純粋すぎる、この二人」
主人公達の心は、まさに全裸だ。全裸作品。
吉祥寺が舞台なのだ。
二人の心は裸のまま、笑いを追求する。
途中で服を着る事を覚え、蟠りが生まれる。
そして、コンビは解散していく。
一人の芸人は、不動産屋に就職をした。
そして、思い出の吉祥寺の街を、
自転車に乗りながら、仕事中に回る。
あの時、何を思っていたのだろう。
僕には過去を肯定も否定もせず
唯、見つめているように思えた。
海と言うのは、実に恐ろしい。
どこで、どのような波が生まれて、
覆いかぶさってくるかが、海に引き込まれるか、
分からないのである。
「人間は考える葦である。」
フランスの思想家パスカルの言葉。
人間を宇宙全体に位置づけるのであれば
弱く儚い存在だ。だが、考える葦だ。
一生、漣だけを慈しみ生きていたい。
そんなわけにはいかない。
なので、ある程度の大波は覚悟している。
ただ、時に耐えられない大波が来る。
こんなふうに対処する。頭の中で想像してほしい。
男が大波を顔面から浴びながら
右上にポワポワと漫画の吹き出しを浮かべている。
言葉が書いてあるのだ。
「1年後、僕は何をしているだろう。」と。
なんて、滑稽なんだ。
だが人間は現実逃避の為
別の事を考える葦でもあるのだ。
そして、大波が去るのを待つのがいい。
風が遠くに連れていくから。