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【原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち】と【後世への最大遺物】 ②



「原発をとめる農家たち」
パンフレットをたよりに綴ります😃

大内信一さん

おおうちしんいち
1941年福島県二本松市生まれ。福島県有機農業の草分けとして半世紀以上のキャリアを持つ。78年二本松有機農業研究会を設立し代表を務める。代表引退後は後進の指導にあたっている。(パンフレットより)

農協が農薬と化学肥料をたくさんたくさん売っていた時代から、
土を大切にする農業に取り組まれていらしたのか!
大変だったろうな──妨害されなかったかな──その土に、その土が──

精一杯生きようとするほうれん草が土を守った
⇩映画でも、このお話をなさっていました。
土、植物、自然から学びつづけていらした人の深い智恵、回復する力、大いなる人に胸が震えます。

【「知る」って、おいしい。】より

近藤恵さん

こんどうけい 二本松営農ソーラー株式会社 代表
1979年東京都生まれ。基督教独立学園高等学校、筑波大学、全国愛農会、千葉県成田市、福島県二本松市、それぞれの地で有機農業の先達に師事。2006年より二本松市で専業有機農業経営。3.11原発事故に被災し農業を一次廃業。21年よりソーラーシェアリングで営農法人として兼業農業復帰。株式会社Sunshin(農業法人)、二本松営農ソーラー株式会社(4MW営農型発電事業)、二本松ご当地エネルギーをみんなで考える株式会社(仮称二本松電力の準備会社)、各社の代表取締役。(パンフレットより)

はじめたらすぐあの事故に!──こんなふうに笑えるのか──

剣を打ち直して鋤とし   近藤 恵

ニューヨークの国連広場の大きな壁に、平和を願う各国のビジョンがかかげられている。

彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
──イザヤ書2章4節

近い将来、軍備費の一部をソーラーシェアリングに割り振り、再エネと農業(新産業と従来産業の軋轢)、地方と都市(地域格差)、若者と年配(世代間格差)の融合が実現し、未来に怯えることのない世界・地域を作ることを、あの地で語り合いたいものだ。

パンフレットより

塚田晴さん

つかだはる 笹屋営農型発電農場 農場長
2002年生まれ。幼少期を福島県二本松市で過ごし、二本松有機農業研究会の消費者として農に親しむ。福島原発事故後、家族で兵庫県に自主避難。三重県の愛農学園農業高校へ進学し、果樹栽培を本格的に学ぶ。高校卒業と同時に単身で二本松市に戻り、株式会社Sunshinに就職。(パンフレットより)

赤ちゃんの塚田晴さんをお父さんがおんぶして
有機農業研究会の田植えだったでしょうか、参加されたときの写真が
スクリーンに映りました。パンフレットにその写真がなくて残念です。

農場と自分の今とこれから   塚田 晴

そして自立した「百姓」になりたい。「百姓」という言葉は蔑称として使われる場合もあるが、僕はあえて良い意味として使おうと思う。「百の仕事」をする者が百姓なのだ。そしてその中には、エネルギーを生産するということも含まれると思う。

パンフレットより
読み返そうかなー

菅野雄貴さん

すげのゆうき
1984年福島県二本松市生まれ。高校卒業後、専門学校を経て神奈川県相模原市でラジオ音楽関係の職に就く。東日本大震災を機に二本松市に戻り、地元企業へ就職。父親のきゅうり農場の近くで近藤恵がソーラーシェアリング農場を始める計画を知り、農業発展と自然エネルギーに興味を抱き2021年、株式会社Sunshinに入社、笹屋営農型発電農場 発電設備・農場担当となる。

大内 督さん

おおうちおさむ
1973年福島県二本松市生まれ。一般社団法人二本松有機農業研究会代表。97年に就農し、有機農業の世界に入る。野菜2町歩、稲作2町歩、大豆・小麦2町歩を作付け。原発事故を教訓にエネルギーについて学び、有機農業と発電事業に取り組む。

勉強会が終わると6月の小麦刈りの時に会った女性を見つけた。大内農場の研修生・大島慶子さんだ。前はインタビューしようとすると恥ずかしがって答えてもらえなかったので絶好のチャンスだ。

⇩監督日記46より

齋藤さんはお父様の農場を引き継ぐまでは機械設計のエンジニアをされていて、週末にお父様を手伝うかたちの兼業農家だった。原発事故後からソーラーシェアリングの生みの親・長島彬先生に師事して、なんと全てのパネルをご自分で設計・施工し、今はエンジニアから専業農家になられている。その経緯をお話しくださる合間に見せる笑顔から充実した仕事をされていることがよくわかる。大内さんの心を動かしたのは、この笑顔か。

⇩監督日記47より

喜一さんは主に果樹園を経営されている。事故以来、桃や梨の価格の下落に悩まされてきたうえに国や東電の損害賠償は年を重ねるごとにセコくなっているらしい。そんな話をしながらも終始ニコニコしてる喜一さん。深刻な話を聞いてもなんだかホッとする親子の存在は劇場に不思議な安心感を与えてくれるだろう。齋藤広幸さんのお父様は田畑に放射性物質が降り注いでも「ちゃんとやってれば必ずなんとかなる」とおっしゃっていたという。土とともに生きる農家さんたちは自分には分からない能力があることを感じる。
そして喜孝さんはソーラーシェアリングについて「原発をとめたいっていうのがあって、これを始めた」「すごい可能性があると思う」と笑いながらおっしゃった。
帰りに梨をなんと一箱もいただいてしまった!

⇩監督日記48より


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