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『ゴジラ』:1954、日本

 貨物船の栄光丸が太平洋上で原因不明の沈没事故を起こし、南海サルベージの所長である尾形秀人は連絡を受けて海上保安庁へ出向くことになった。尾形は一緒にコンサートに行く予定だった恋人の山根恵美子に詫びを入れた。
 貨物船の備後丸が救助に向かうが、これも沈没してしまった。3名を救助した大戸島の漁船も、原因不明の沈没事故を起こした。漁師の政治(まさじ)は筏にしがみ付いて大戸島に流れ着き、島民たちに救助された。

 大戸島では不漁が続き、長老は「呉爾羅(ゴジラ)かもしんねえ」と漏らす。呉爾羅とは昔からの言い伝えである怪物だが、島民たちは長老の言葉を本気にしなかった。島へ取材に来た毎朝新聞記者の萩原は、政治から「確かに生き物だった。奴は今でも海の中で暴れ回っている」と聞かされる。
 しかし政治の言葉を信じる者は、島民の中にもいなかった。取材を続けた萩原は、長老から呉爾羅の伝説を聞く。言い伝えによると、呉爾羅は海の生物を食い尽くすと陸に上がり、人間を食うという。

 暴風雨の夜、大戸島で多大な被害が出る出来事が発生した。村長の稲田を始めとする大戸島災害陳情団が国会に赴き、大山代議士らが委員を務める政府公聴会に出席して「巨大な生物に襲われた」と証言した。専門家として呼ばれていた古生物学者の山根恭平は意見を求められ、調査団を編成すべきだと主張した。
 調査団には山根の娘である恵美子や尾形も同行した。滅多に実験室から出て来ない恵美子の元婚約者・芹沢博士が船の見送りに来ているのを見つけた尾形は、最後の別れのつもりかもしれないと感じた。

 壊滅した村を調査した山根や田辺博士は、巨大な足跡を発見した。その足跡からは、強い放射能反応が確認された。さらに山根は、絶滅したはずのトリロバイトを発見して興奮を隠せなかった。
 半鐘が鳴り響き、調査団は山へ移動した。「私は見た、ジュラ紀の生物だ」と山根が口にした直後、尾形や恵美子たちの前に巨大怪獣が出現した。慌てて逃げ出した調査団は、砂浜に巨大な足跡を発見した。

 東京へ戻った山根は目撃した生物について国会公聴会で発表し、大戸島の伝説に従って「ゴジラ」と呼称することにした。ゴジラが日本近海に出現した原因について、山根は「海底洞窟にでもいて生き長らえていたが、度重なる水爆実験によって生活環境を破壊され、安住の地を追い出された」という推論を述べた。
 彼は自説を裏付ける証拠として、トリロバイトの存在と、ゴジラに付着していた砂に含まれている放射能のストロンチウム90を提示した。そして彼は、ゴジラも多量の水爆放射能を浴びていると説明した。

 与党の大山は「山根博士の報告は重大であり、軽々しく公表すべきではない」と主張し、野党の小沢婦人代議士は「重大だからこそ好評すべきだ」と反発した。政府は災害対策本部を設置し、海上でフリゲート艦による爆雷攻撃を実施した。その夜、ゴジラは東京近海に姿を現し、すぐに姿を消した。
 対策本部に呼ばれた山根は、ゴジラ殺害の方法について意見を求められる。山根は「水爆の洗礼を受けながらも、なおかつ生命を保っているゴジラを、何を持って抹殺しようと言うのですか、そんなことよりも、まずはあの不思議な生命力を研究すべきでしょう。第一の急務です」と語った。

 萩原はデスクから、芹沢と会って話を聞くよう指示された。芹沢は山根の養子となるはずだったが、戦争で片目を失い、恵美子との婚約を破棄していた。芹沢に門前払いを食わされた萩原は、恵美子に仲介役を依頼する。
 その場に居合わせた尾形は、恵美子のことでハッキリとした了解を求めたいと考え、恵美子に同行を申し出る。しかし恵美子が「私の口から切り出した方が、気安く聞いて下さると思うの」と言うので、彼女に任せることにした。

 萩原は取材によって、かつて彼が考えていたプランを完成させていればゴジラ対策の打開に繋がったはずだという情報を得ていた。彼は芹沢の科学研究所を訪れ、そのことを問い掛けてみる。しかし芹沢は「何かの間違いです。私の研究とは方向違いです」と否定し、今は特に話すほどの研究をやっていないと告げた。
 萩原が去った後、研究所に留まった恵美子から「本当に何を研究なさってるの?」と質問された芹沢は、秘密にするよう口止めした上で命懸けの実験内容を明かした。その実験を見た恵美子は、恐怖に慄いた。

 ゴジラは東京湾に現れ、人々は逃げ惑う。山根博士は防衛隊の隊員を見つけ、「指揮官に伝えて下さい。ゴジラに光を当ててはいけません。ますます怒るばかりです」と告げた。防衛隊の機関銃攻撃も効果は無く、ゴジラは芝浦に上陸した。ゴジラは建物や列車を踏み潰し、海へと去った。
 各国の調査団が続々と到着する中、防衛隊は海岸線一帯に有刺鉄条網を張り巡らせ、5万ボルトの電流を流してゴジラを感電死させる作戦を立てた。しかしゴジラは電流を流した鉄条網を軽々と突破し、東京に上陸した。

 ゴジラは口から白熱光を吐き、戦車隊を壊滅させた。ゴジラの攻撃を受けた東京の街は、火の海に包まれた。戦闘戦闘機部隊がミサイル攻撃を開始する中、ゴジラは海へと姿を消した。恵美子は被害を受けた子供たちの姿を見て耐えられなくなり、尾形に「重大な話があるんです」と切り出した。
 彼女は芹沢との約束を破り、彼がオキシジェン・デストロイヤーという薬剤を開発していることを明かした。それは水中の酸素を一瞬にして破壊し、あらゆる生物を窒息死させ、液化させてしまう恐ろしい薬剤だった。芹沢は研究過程で偶然にも発見したのだが、それが兵器として利用されることを危惧していた…。

 監督は本多猪四郎、原作は香山滋、脚本は村田武雄&本多猪四郎、製作は田中友幸、撮影は玉井正夫、美術監督は北猛夫、美術は中古智、録音は下永尚、照明は石井長四郎、特殊技術は圓谷英二(円谷英二)&向山宏&渡辺明&岸田九一郎、監督助手は梶田興治、編集は平泰陳、音楽は伊福部昭。

 出演は宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬、村上冬樹、堺左千夫、小川虎之助、山本廉、林幹、恩田清二郎、笈川武夫、榊田敬二、鈴木豊明、高堂國典、菅井きん、川合玉江、東静子、馬野都留子、岡部正、鴨田清、今泉廉、橘正晃、帯一郎、堤康久、鈴川二郎、池谷三郎、手塚勝巳、中島春雄ら。

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 「ゴジラ」シリーズの第1作であり、日本で初めて作られた怪獣映画。監督は『太平洋の鷲』『さらばラバウル』の本多猪四郎。
 尾形を宝田明、恵美子を河内桃子、芹沢を平田昭彦、山根を志村喬、田辺を村上冬樹、萩原を堺左千夫、南海汽船社長を小川虎之助、政治を山本廉、国会公聴会委員長を林幹、大山を恩田清二郎、対策本部長を笈川武夫、稲田を榊田敬二、新吉を鈴木豊明、大戸島の長老を高堂國典、小沢を菅井きんが演じている。

 「水爆実験の影響で目を覚ました恐竜が日本を襲う」というプロットを着想した田中友幸プロデューサーが小説家の香山滋に依頼して原作を書いてもらい、それを叩き台にして脚本が作られた。
 既に欧米では恐竜や怪獣が登場する映画が作られており、そこではウィリス・H・オブライエンの生み出したストップモーション・アニメーションによってモンスターが描写されていた。しかし本作品では、その方法を用いるのがスケジュール的に無理だったため、スーツアクターがキグルミに入って演技をする方法を初めて採用している。

 当時の東宝はそれほど業績が好調とは言えず、余裕は無かったはずだ。しかし破格の予算が投入され、超大作として撮影体制が整えられた。
 日本で初めて作られるジャンルの映画であり、かなり思い切った賭けだったはずだが、公開されると大ヒットを記録し、東宝は特撮映画のジャンルで他の追随を許さないトップランナーになった。海外でも高い評価を得て、ゴジラは世界的に有名なモンスターとなった。

 まだ当時は「怪獣映画」というジャンルが確立されておらず、キワモノ映画という扱いになっても仕方の無い作品だ(実際、公開された当時、マスコミからはそういう批判的な論評が多かったそうだ)。
 だが、『生きる』や『七人の侍』に出演していた黒澤組の志村喬が起用され、『めし』や『山の音』などに参加した成瀬組の玉井正夫と中古智がそれぞれ撮影と美術を担当している。その辺りからも、東宝が本作品に力を入れていたことが良く分かる。

 未だに本作品を超える怪獣映画は作られていないし、今後も永遠に作られないのではないだろうか。既に書いている通り、公開当時は「怪獣映画」というジャンルが無く、「空想科学映画」というジャンルとして封切られているのだが、中身はパニック・サスペンス映画としてのテイストが濃い。
 その後に作られた「ゴジラ」シリーズの作品と大きく異なるのは、「ゴジラの恐ろしさ」という部分だ。この映画のゴジラは、後のシリーズ作品が束になって掛かっても敵わないぐらい恐ろしい。

 取り残された婦人と幼い娘が死を覚悟して抱き合う様子があり、実況中継しているアナウンサーが自分の最期を伝えた直後にテレビ塔が破壊される描写がある。ゴジラが去った後、放射能に汚染されている子供や父親の死を受けて号泣する児童の姿が写し出される。
 「ゴジラの攻撃で人が死ぬ」という明確な残酷描写があるわけではないが、「ゴジラによって被害を被る人々」を描くことで、その脅威や恐怖が強く印象付けられる。また、そこには悲壮感や悲劇性も生じる。

 この映画では、冒頭からゴジラの引き起こした事故が描かれている。だが、次々に船が沈没しても、それは「原因不明の事故」であり、ゴジラの仕業だということは明らかにされない。「暴風雨の夜に巨大な生物が大戸島を襲う」という展開が訪れても、島を襲った巨大生物の姿は画面に登場しない。
 映画開始から20分ほど経過し、調査団が島に入ったところで、初めてゴジラが姿を現す。山の向こうにヌッと現れるシーンはインパクトがあるが、首から上が数秒だけ写って、すぐに姿を消してしまう。東京近海に出現する時も、チラッと上半身&尻尾が写るだけ。映画開始から45分ほど経過し、芝浦に上陸するシーンで、初めて全身が写し出される。ゴジラを見せることを、かなり勿体ぶっているのだ。

 当たり前のことだが、シリーズ2作目以降と比べて大きく異なるのは「ゴジラが初めて登場する」ということで、これは物語を構成する上で大きな強みになる。「ゴジラがなかなか姿を見せない」という、後にスティーヴン・スピルバーグが『ジョーズ』でやるような手法を使うことが出来るからだ。
 これは「まだ観客がゴジラに慣れ親しんでいない」という状況だからこそ出来るものであり、みんながゴジラを知っている状況で同じことをやっても、「どうせゴジラが出て来るんでしょ」と分かっているので、まるで効果的ではない。

 伊福部昭による音楽の貢献度も非常に高い。変拍子で作曲された『ゴジラのテーマ』は迫力と緊迫感があり、防衛隊が出動する時に流れるマーチ(後に『怪獣大戦争マーチ』と呼ばれるようになる)は高揚感がある。
 まあ『ゴジラのテーマ』は伊福部が過去に作曲した『ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲』の一部をそのまんま流用しているだけだし、それはモーリス・ラヴェルの『ピアノ協奏曲ト長調』の第3楽章に出てくるモチーフを参考にしているんだけど、ひとまず置いておくとして。また、ゴジラの独特の鳴き声も伊福部が考え出したものであり、コントラバスの弦をこすった音を加工して作られている。

 古い映画であり、モノクロで画質は粗いが、そのことがプラスに作用している部分もある。当時の特撮や合成技術は、今から見れば当然のことながら質は低いのだが、画質が良くないせいで、それが分かりにくいのだ。
 もう1つ、当時のゴジラのスーツは質が悪くて相当に重かったらしいが、これも「機敏に動くことが困難」ということが、「重量感のある動き」というプラスの方向に転がっている。

 この映画を観賞する上で注目すべき1つのポイントは、「まだ戦争の記憶が人々の中に強く残っている時代に公開されている」ということである。東京が火の海に包まれるという描写は、人々に戦時の空襲を思い出させることに繋がる。
 また、この映画が封切られた当時、ビキニ環礁での核実験と第五福竜丸の被爆事件によって、日本では核や放射能に対する不安が高まっていたが、ゴジラという存在は「水爆や放射能に対する恐怖」を感じさせる。そしてゴジラというモンスターの到来を通じて、この映画は原水爆反対のメッセージを訴え掛けている。実は、単なる娯楽映画ではなく、強烈な社会的メッセージを含んだ作品でもあるのだ。

 大量殺戮兵器である水爆の実験による影響で目覚めたゴジラを、大量殺戮兵器であるオキシジェン・デストロイヤーで抹殺することに芹沢が葛藤する描写があるが、これも反水爆への意識を示すシーンだ。
 そして最後には山根に「あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかもしれない」と語られており、明確に反水爆のメッセージを発信している。怪獣映画ではあるのだが、決して子供向けの楽しい映画ではなく、むしろ子供が見るには怖すぎるし、重すぎる作品だ。

 何の欠点も無い完璧なる傑作というわけではなくて、色々と粗もあるのだが、その中で私が引っ掛かったのは、「山根の考えが最後まで不変のままである」と言うことだ。
 古生物学者である彼は、ゴジラという貴重な生物を抹殺せず、生かしたまま研究すべきだと訴える。だが、大勢の犠牲者や甚大な被害が出ている中で、それでも「ゴジラを殺すべきではない」と訴え続ける山根は、かなり不愉快に感じられる。その後も犠牲は増えるが、それでも山根が「自分は間違っていた」と意見を変えることは無いのだ。
 そうなると、映画として、彼の意見が否定されないままで終わっていることになる。それは大いに引っ掛かるのだ。仮に娘がゴジラの犠牲に遭ったとして、それでも「ゴジラを殺すべきではない」と言えるのかと。もし言えるのなら、もはや完全にイカれている。

(観賞日:2014年1月4日)

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