輔
入院してる間、ほぼ毎日書いてます(ました)。それらをまとめたやつです。
50日目、ってすごいな。 気が狂うよ、こんなところに50日も閉じ込められてちゃ。 恵まれているんだかなんだか分からないが、痛いとか、辛いとか、それがよくなったとか、そんな変化がまったくないんだから始末に負えないのだ。 勘違いしていたが、外来の再開は明日からだった。しかし、いつものように外来のコンビニまでコーヒーを買いに行ったところ、主治医の先生と擦れ違った。 「ああ、明けましておめでとうございます。ちょっと用事あってね」 割と休日もよく呼び出されている印象がある。
とんねるずのリアル野球BANが杉谷不在で少し物足りなかったが、展開は申し分ないぐらい面白かった。それよりも眠かったので終わったらすぐさまテレビを消して横になった。 22時就寝で4時ごろ目覚める。友達にすすめられていた「トレインスポッティング」という映画を観る。全編とおしてヤク中の話で、汚い描写が多いのだが、劇中の音楽や描写がいちいちお洒落で、そんなシーンすらグッと引き込ませる勢いがあった。ラストシーンは音楽も相まって、やったれーと主人公に感情移入して、とてもワクワクした。
消灯後は「ショーシャンクの空に」を観る。 わざわざ言うまでもない名作で、もう何度観たかは数えられないけれど、アンディと共に脱獄して自由の身にならないと年を越した気にならないのだ。 独房と、カーテンで仕切られた病床を勝手に重ねて、まだ幽閉されて1か月半やそこらだが、レッドのいう「施設慣れ」という言葉がやけに響いた。 ここでの生活にも慣れて、生来の怠け癖も出てきて、なんだか現時点では働く意欲が削がれてしまったように思う。それでも、一生ここにいるわけにもいかないので、あくま
2022年が、音もなく始まった。 消灯後も堂々とテレビを点け、RIZINを観終えて満足し、ようやく消す。年越し数分前に意識的に寝落ちした。そのため、わざとだが、年越しの瞬間は意識がない。独りでカウントダウンするほど阿呆らしいことはない。 5時ごろに採血で起こされる。そこからゴロゴロして、6時には顔を洗ったりで活動を始める。 一年の計は元旦にあり。 元旦というのは元日の正午までを指す。僕は割とこの言葉が好きだ。 一年が始まる節目として、この午前中だけ頑張って
昨日は消灯後にNetflixで「浅草キッド」を観てボロボロ泣いた。 最近は講談ばっかり聴いているから、矜持みたいなものを説かれるとすぐに泣いてしまうようになった。ひねくれていた心が純粋になったのか、はたまた単にジジイのように老け込んだのか。 そのあとは割り合いすぐに寝た。6時には同室の爺さんがモゾモゾと動き始めて、その音をキッカケに僕も重い頭を持ち上げることにした。 今日は大晦日。相変わらず天気が良い。 透析には年末年始もあったものではなく、午前中早々、右隣の
世間ではおおかた28日に仕事納めかと思うが、この病院では今日からが外来の年末年始休業で、4日から再開するとのこと。 昨年までは年末なんか関係なしに夜勤勤務だった。この入院生活では曜日感覚は失くす癖して、これだけ暇だと嫌でも季節の移ろいは意識せざるを得ず、皮肉にも、ここまで年の瀬の実感が湧いている年末というのも久しぶりである。 かといって、世間の動きは全く分からない。 皆、それぞれに忙しそうにしているのだろうか。会社の人とか、友達とか、受験生とか。どうせ与り知らないのは
不吉な数字が並んでしまったが、45日目とすると嘘になってしまう。 すでにご存じかもしれないが、大きな病院の受付に番号が振られているとき、基本的に"4番"は存在しない。そこまで大きな病院があるかは知らないが、おそらく"9番"もないだろう。いわゆる忌み数と呼ばれるものである。 災害救助時に支障をきたすなどの理由からか"4階"は基本的に存在するが、"4号室"などは避けられることが多い。 縁起と聞くと直感で日本的だなあと感じてしまうが、世界を見れば13だったり666だったり
今日ほど晴れやかな気持ちで過ごした一日はなかったと思う。 20時入眠、7時起床。 途中何度か起きたが、こんなに眠れたのはいつ振りだろうか。寝起きはいつものように頭が痛かった。案の定血糖値は低く、7時半ぐらいに早めの朝食がきた。 窓際の病床に移れはしないが、このまま年末にかけて新しい患者も受け入れないだろうし、窓際の病床は空いたままなので、いっそのことカーテンを全開にして、僕の病床から窓の外が見えるようにした。 ついでに、隣の受験生とのカーテンも開けて、病室全体
10時入眠。 3時半に起きて、朝まで眠れる気がしなかったので、いつものように本を開く。明け方には一冊読み終えた。 何度も言うようだが、リツキシマブ投与の当日。 点滴の投与自体は昼ごろになる見込み。 朝イチでレントゲンに呼ばれる。 今日はミーに車椅子を押してもらった。ミーと他愛もない世間話をして、年の瀬の外来を半袖短パンが駆け抜ける。彼女もここで働き始めたのはおよそ二か月前からという。ほぼほぼ同期だった。 戻ってからルートを取り直すのだが、今回は太めの
廊下側の爺さんは無限に眠り、イビキをかいていた。 そして、何故かはわからないが夜中に勝手にテレビが点き、そのテレビの角度も悪く、真っ暗な病室をクラブのように煌々と輝かせていた。 可哀そうなのは真横の受験生である。 真夜中もカーテンが七色に光り、それでいて溜め撃ちのような爆裂音のダブルパンチとくれば、眠れないのも当然であろう。 僕自身は耳栓をしてしまえばそこまで被害は被らないので、いつもどおり23時には眠ることができた。 4時ごろに起きてしばらく読書をして、6時
今日が正真正銘のクリスマスなのだが、朝にはとっくにほとぼりが冷めてしまっているのはキリストも納得しているのだろうか。 例によって23時入眠の6時起床で、ここのところよく眠れている。 受験生は、利尿剤を打っていないにも関わらずオシッコが止まらなくなり眠れなかったらしいが、6時には起きて活動していた。低血糖で起きられない僕を気遣って、チョコや飴玉を恵んでくれた。それらを舐めてもまだ横になっていたのはただの怠惰である。 おかげさまで脳が目覚めて、ナースステーションまで自
仏教徒でもキリスト教徒でもないのに、死んだらお葬式をしてお墓を立て、クリスマスには淡い期待を抱く、不思議な民族。 その期待は幼少期の記憶に紐づくものか。それが、いつから性なる夜になるのだろう。 そんなこんなで、なんの変哲もない一日ではあるのだが、隣の受験生、家族からのLINE、聞こえてくる会話がクリスマスイブであることをしきりに煽るから、なんだかこちらまで意味もなくソワソワさせられる。 23時入眠の6時起床。入院してから一番眠れたと思う。 寝起きには鉛のような
22時入眠3時起床。そこから1時間ほど寝返りを打ち、あとはひたすら朝まで読書をしていた。 どうやら横になっていると吐気は治まっていてくれるようだ。なので、ゴロゴロと寝返りを打ちながら暗がりで文字を追う分には普段どおりだった。 朝6時に僕の枕元の電気が点いていてびっくりした、と隣の受験生。 彼も健康的な起床時間になってきたようだ。僕が3時から起きていることには触れないでおいた。 午前中の回診が終わり、外来のコンビニまでコーヒーを買いに行く。付き 添いの受験生は
目を瞑ると、だんだんと気持ち悪くなってくる。目が回る、みたいな。 そういえば前回のエンドキサンも数日後にきた気がする。 夜中にビープ音で目覚め、耳栓をしてなかったことに後悔した。隣の受験生の点滴が放置されていて、終了のブザーが無限ループに入っている。 受験生は耳栓をして寝ているのだろう。爺さんたちから寝息は聞こえないが何も言わない。廊下にも響いていると思うが誰も止めにこず、脳が揺れて仕方ないため、痺れを切らして僕がナースコールを押した。 音が鎮まったあとの耳に残
消灯後、看護師さんによる点滴交換があったようだが、まったく気づかなかった。なんとなく腕を掴まれた気もしなくもないが、夢かうつつか。 3時半に目覚めたころには、すでにルートから点滴は外されていた。もぞもぞと起き上がって本を読んでいると、看護師さんが顔を覗かせにきた。 「あ、起きてるんだ。ごめん、モニタ外れたみたいだからちょっと見して」 …そうか、忌々しいコイツはまだついてるのか。まあ、投与後の異変を診るために着けているのだからそんな言い方をしてはいけないのだけれど。
こーんにーちはー。 錦鯉が優勝した瞬間は、カメラに切り抜かれたおじさんたちが片っ端から泣いていて、なぜかこちらまでもらい泣きさせられてしまった。 正直一回戦の時点ではオズワルドかと思っていたが、決勝でも勢いをそのままに駆け抜けたのが錦鯉で、納得の優勝だと思った。お笑いを語れる身ではないけれど。 暗がりの中で、テレビを点けていたのは僕だけだった。22時を少し回ったころには大人しくテレビを消したが、しばらくは興奮で眠れなかった。 毎年毎年、夢や希望を与えてくれるなあ