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入院39日目



 仏教徒でもキリスト教徒でもないのに、死んだらお葬式をしてお墓を立て、クリスマスには淡い期待を抱く、不思議な民族。
 その期待は幼少期の記憶に紐づくものか。それが、いつから性なる夜になるのだろう。

 そんなこんなで、なんの変哲もない一日ではあるのだが、隣の受験生、家族からのLINE、聞こえてくる会話がクリスマスイブであることをしきりに煽るから、なんだかこちらまで意味もなくソワソワさせられる。


 23時入眠の6時起床。入院してから一番眠れたと思う。

 寝起きには鉛のような頭の重さが消えていたため、エンドキサンの副作用が完全に抜けたのだと分かる。気持ち悪さもなくなった。

 だが、昨日の下剤から便が出ておらず、看護師さんに「8時までに一回もお通じが出なければ、浣腸しますね」と可愛らしい顔で脅された。この娘になら浣腸されるのも本望かなと思わなくもないが、浣腸を逆流させる情けない姿を晒すのは避けたい。
 トイレで30分ほど気張ったらなんとか絞り出すことができた。
 腹筋がほぼ皆無に等しく、便を出すのもひと苦労である。浣腸回避の達成感と疲労感で、朝食までもう一度寝ることにした。


 朝食後、ラジオアイソトープ検査に呼ばれる。
 もし身体に悪いところがあれば一昨日に打った放射性医薬品(バリウム)がそこに蓄積しているので、その様子をCTのような機械で観察する。
 機械の動きがイメージしていたよりもとてもゆっくりで、全部診るのに正味40分ぐらいは縛られていただろうか。そんなにかかると思っておらず、目と鼻の先でずっと大きな機械が視界を遮っているので、大きなものの下敷きになったときの心細さを思い草臥れたが、寝落ちしたら終わっていた。


 病室に戻ると、主治医の先生から来週のリツキシマブ投与に関する説明があった。

 リツキシマブはリンパ球のB細胞にターゲットを絞って死滅させる薬で、もともとは悪性リンパ腫の治療に用いられている抗がん剤なのだが、ANCA関連血管炎などの自己免疫疾患にも効果が期待できると応用され、保険が適用されたのがつい最近の話とのこと。
 現状のステロイドとエンドキサンでの治療経過があまり芳しくないため、現状ではこのリツキシマブにかけるしかない、と先生は苦々しい顔で言っていた。

 そもそも、僕の年代でこの病気になる症例自体が珍しく、はっきりと何が有効なのかというデータは得られていない。
 ステロイドとエンドキサンがANCA関連血管炎に対するスタンダードな治療なので、とりあえず基本に則って進めていたという形になる。それが効かないので、そんなもんなのかなと腑に落ちないではいたが、僕が思っている以上に大ごとになっているらしかった。

「正直、ANCA関連血管炎でリツキシマブを投与するのは初めてです」
 その次の手として、ほぼほぼ透析に近い血漿交換療法も考えられるが、それはいまの僕の症例や病勢を考えてもリスクのほうが高いため、いまいち決めあぐねているという。

 最悪のシナリオとして、リツキシマブが効かずこのまま腎機能が低下し続けるのであれば、20代後半には透析、になるらしい。
 親族やドナーに腎臓を移植してもらうという最終手段もあることにはあるが、それはすなわち医療の限界、敗北を意味する。と、先生は俯いた。

 いかなる状況も想定することは大切だと思うが、先生の態度はいささかネガティブすぎるなと感じた。
 医者として申し訳ない気持ちは分からなくもないが、手は尽くしてもらっている。とても個人では払えないような金額の薬品がどんどん投与されていくし、その意思決定をしているのは日本最大級の医療機関である。これで駄目だったとしても、恨み節など残ろうはずがない。感謝しかない。


 それでも、20代で透析、という言葉の重みは僕にもイメージが湧かなかった。病室に戻り、その言葉をつぶやく。
「来週、僕もリツキサン入るんですよ」受験生がいつもの陽気な調子で話しかけてくれる。「月曜日だから、おそろですね」
 彼はリツキサンの投与が終わり、順調であれば来週の中ごろ退院になる。
「そうだね…月曜日は一緒に(副作用で)グダろうね」
「…でも、長谷川さんの病気になにが効くか、早く分かってほしいです。僕はリツキサンめっちゃ効きましたから」
「…効かなかったら、透析かもって」
「まだリツキサン入ってないじゃないですか」
「確かにね」僕はベッドから身体を起こした。「新しいの入る前に弱気じゃ駄目ですよね」
「そりゃ先生はそういうこと言いますよ。僕も昔言われましたけど、いろんな治療試して、こうやってなんとか病気と付き合えてますから。長谷川さんの年齢で、いまの医療の技術で、透析までって、基本的にないと思います。先生は立場上"絶対"なんて言えないけど、僕は言います。長谷川さんは絶対大丈夫です!」

 その絶対に、根拠はない。ただ、誰よりも説得力があった。
 医者は責任のある立場だから、こんな無責任なことは言えないだろう。しかし、このカーテン越しにいる"看護師"ならば言える。

 この言葉は、僕の心を軽くした。
 僕は、絶対大丈夫、と誰かに言ってほしかったのだろう。そして、誰よりもそれを信じていなかったのは僕自身だと気付く。

 気持ちが下を向いてしまっていては、治るものも治らない。
 彼は、前に入院していた小児病棟での話をしてくれた。同じ病室の子と仲良くなって、好きな音楽を流したり笑って話したりしはじめた途端、そこにいた全員がみるみる回復したという。それは頭を悩ませていた先生も驚くほどで、これで論文を書けますよ、と彼は自慢げに笑っていた。

 受験生の彼にはいろいろなものを頂きっぱなしである。
 気障な言い方をすると、絶対大丈夫という言葉は、僕にとってのなによりのプレゼントだった。
    現実逃避とも言えるが、ハナから負け戦と決め込んで挑む武将もないだろう。治療は始まってすらいない。来週月曜日のリツキシマブに期待をする、いまの僕にはそれしかないのだ。
    同世代から勇気をもらえる、こんなクリスマスならいいかな、と思う。
 
 今日も、窓際の爺さんを混ぜて、他愛のない話で盛り上がった。格闘技、野球、下ネタなど。全部が廊下まで丸聞こえで、とうとう苦情が入った。
 それでも懲りず、消灯前に一緒にホットミルクを買いに行っては、また消えたと看護師さんを困らせてしまっている。
 そんななのも来週の中ごろまでです、許してください。


 夕飯はクリスマス仕様だった。

夕飯(クリスマス仕様)


 見てください、ゼリーだけじゃなくて、サラダもクリスマスカラーですよ、と早口で説明するミーにほっこりした。メリークリスマス。

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